2021年11月12日金曜日

初冬の風情

  三日前は宵から未明にかけて時雨とは思えぬほどの大雨となり、渇水期にもかかわらず江川も鮎喰川もみぎわまでまけまけ一杯に流れている。しかしその後、一昨日も昨日もそして今朝も天気は時雨もよい、日が射すかと思えば曇り、雨もパラパラ、まことに初冬らしい定めなき天気となった。

 初冬を区切る行事といえばわが徳島では昔は(ワイが20代のころ貞光あたりの山のほうではまだその行事があった)「おいのこさん」がそれにあたる。旧暦10月の最初の亥の日である。子どもが各家をイノコ槌を手に回り、お菓子などをふるまわれる行事である。これは欧米のハロウィン祭りに似ている。時期もよく似ている。初冬を区切るといったが江戸時代はこの日(神無月の亥の最初の日)はまた「こたつ」を出す(開く)日でもあった。欧米でも万霊節(ハロウィンの翌日)が済めばもう冬の到来と思われたのであるから、まさにハロウィン=おいのこさん=冬の到来であったわけである。ただ近年おいのこさんはほぼ絶滅してしまったため、強いて考えればハロウィンが初冬の到来の区切りとなる。

 今年の旧暦10月の最初の亥の日(昔のこたつ開き)はいつか調べると今年は太陽暦では昨日となっている。ワイんくではもう先月の中ごろから唯一の暖房具ホットカァーペトを出しているから今よりも寒かった江戸時代にはずいぶん寒くなるまで暖房なんどは我慢したのである。

 江戸時代だけでなくワイの子供の時はまだ「炬燵」という暖房器具があった。何やら難しい漢字だが旁は巨と達でキョ、タツと読み、あと扁が「火」だから、そう覚えば書くことも難しくない。この「炬燵」は今の人がコタツという言葉を聞いてイメージする暖房具とはおそらく違っている。ワイの(70歳以上)年齢くらいにならないとおそらく「炬燵」は正しくイメージされない。

 子供のころジイチャン、バァチャンの寝床の布団の中にはこのようなものがあった。

 我が家のものとはちょっと違っているがおおむねこのようなもので間違いない。中の素焼きの円筒には灰が入っており、その中に木炭というより、消し炭の「燠」(おき)が半ば灰に埋もれて入っている。そして四方が開いたカワラケの容器に入れ、それを布団にいれ寝るときの暖房にするのである。

 そしてこれに木枠をつけ、布団を被せれば置き炬燵となり、座って下半身を温める暖房器となる。いま電気コタツはこれが原型となる。したが昔の本来の「置き炬燵」

 しかしこれを使ったのもワイの小学校低学年ころまでで、その後は床を真四角に一段下げて、底部に練炭火鉢をいれ、練炭の掘り下げコタツとなった。またジイチャン、バァチャンの寝具の中も豆炭アンカから、すぐ電気アンカとなった。しかし練炭の掘り下げコタツはワイが高校を卒業するまで使われ、そのあと電気コタツとなった。



時雨降るとき、コタツでゴロンと横になりうたたねするのはまことに気持ち良い。歌舞伎あるいは文楽で有名シーンで「時雨の炬燵」(心中天網島)というのがある。はっきりしない意志の弱い男が時雨の炬燵の中でグズグズしているという設定だが、何となくわかる気がする。(左図は文楽より心中天網島・時雨の炬燵

 時雨降る中コタツでウトウトしていると子どもの時、やはりコタツでうたたねしていた時の気持ちの良い感覚がよみがえってくる。そんなとき60余年の時は須臾の間であったような錯覚を覚える。祖母の「そんなところでうたたねしてると風邪ひくでよ」という声が聞こえてきそうである。時雨とはよく言ったものである。「時」が雨のように降るのであろう、降りこめられたコタツのなかでつい昨日のように甘い子供の時の夢を見る。

※ 数日前、気象庁が南米沖でラ・ニーニャ現象(海水温の異常)が起こったと言っていた。これが起こると日本の冬は寒冬、多雪傾向となると付け加えていた。久しぶりに昔の冬らしい冬となるのか。

0 件のコメント: