2021年2月14日日曜日

中東を背景にした映画 アラビャのローレンス

 映画『アラビャのロレンス』が封切られたのは私が中学一年生の時であったが映画を見たのはずっと後である。いつごろか思い出せないがテレビの名画劇場で見たからおそらく封切りから20年近くたっていたように思う。一応そのとき見たという記憶はあるがほとんど印象に残っていない。昭和時代のテレビ名画鑑賞というのは、今でこそハイビジョンで横長の大画面だが、当時は横縦4:3で画面も小さい、一応カラーになっていたが解像度や色調は良好なものではなかった。映画を原語で鑑賞したくても日本語の吹き替えであり、またこれが最も致命的な欠陥なのだが、商業放送の都合でオリジナルのフィルムのあちらこちらを勝手に切り取り、時間内に収まるように短くされていた。これではどんな名画でも面白さは半減、いやそれ以下になるであろう。印象がほとんどないのも無理はない。

 だから封切り映画館で見るような鑑賞が可能になったのはハイビジョンテレビとDVDの普及後である。最近、中東に興味が出てきて中東あるいはイスラム関係の本を図書館で探して読んでいるが、その図書館のDVDコーナーにこの『アラビアのロレンス』があった。お蔭でじっくり見ることができて実質これが初めての本格的鑑賞といっていいだろう。

 さてその鑑賞後の私の感想であるが、これが実に不思議な印象を受けたのである。表面は、ラクダにまたがり土着のアラブ反乱軍の指揮を執るロレンス、彼は雄々しい姿であり、敵の列車爆破、そしてトルコ兵をやっつけるところなどは、血沸き肉躍る冒険活劇の一種とも見える。しかし、その中に実に深刻で深遠な(と私には思える)挿話(エピソード)がいくつも入っていて、その中には重々しすぎて映画全体の印象を180°転換させるのではないかと思われるものがあるのだ。なぜこのような全体を(つまり反乱冒険活劇というジャンルでの面白さ)ぶち壊しかねないような挿話を入れるのだろう、もちろん、現実のロレンスは生身の人間で、誰でもそうであるように彼だって善行もあれば多少の悪行もあり、また強烈な個性も考えられるし、奇行、奇癖だってあるだろうが、大作映画のヒーローともなればやはりそこは偶像(アイドル)として演出がされるはずだ、一体監督はなにを狙っていたのだろう。ロレンスの実像に少しでも近づけようとおもってこんなちぐはぐな挿入場面のある筋になったのか、と思った。

 その不思議な印象を与えた挿入場面(エピソード)、一体何か気になるところだが、これはもう実際に直接自分でDVDを鑑賞してそれを確認してもらう以外ない。私が指摘したところでそれは私の印象であり、見た人がそう思うとは限らないからである。しかしこれだけは言っておくが、彼の回顧録ともいえる「知恵の七柱」を読むと、その挿入場面は実際あったことであり、映画の描かれ方よりもっと深刻なものであった。映画の方が実はかなり婉曲にしか表現していなかったのである。

 そんなわけで中東に対する興味によってこの映画鑑賞をしたが、それにひかれて映画の元となった彼の著作「知恵の七柱」ではいったいどうなっているのだろうと、さらに興味がわきそれを読んだ。映画による偶像ではなく実体のロレンスを知りたかったのである。もちろん自叙伝でもあるロレンスの著作を読むときは、かなり批判的に読まねばならない。後世に残す自叙伝であってみればどうしても自分に不利、欠点に類することはあまり書きたくないであろうし、また話を面白くするため誇張しがちになる。中には大ぼらと批判されるものもある。

 だからアラブの反乱軍を率いての彼の戦勲の記述などはそのように批判的な見方で読むべきであり、またそのためには他人の彼についての評価なども読む必要がある。しかし中東の歴史や風土に興味があってロレンスの映画、そして彼の自叙伝を読む私としては、血沸き肉躍るような戦記の記述にはほとんど興味ない。私が彼の自署の「知恵の七柱」を読んで最も知りたいのは彼の、アラブの風土やそれがもたらすアラブ人の性向のついての分析である。この「知恵の七柱」は5巻もある大作であるが、そのようなアラブの風土やアラブ人の性向について書いてあるのは第1巻の最初の方である。このあたりは序文に近いこともあって具体的な戦記や戦況の記述はない。その部分を読んでいると、まるで歴史や哲学が専門の学者が書いているようにおもえる。

 風土がもたらす人々の民族性ないしは性向という記述では、和辻哲郎の『風土』がある。以前読んだことがあったが、特に最近中東の歴史、文化に関する本を次々読んでいるので、和辻の『風土』の砂漠地帯の章の部分をもう一度読んだ。学術書らしく和辻の記述は個人的な感情の抜けた中立的なものであり、価値判断などは持ち込んではいない。ところがこれと比較するとロレンスのアラブの風土とその性向についての記述はかなり個人的な感情が入っていると見えてしまうのである。全体的には冷静にアラブについて分析しているなと思えるが、ところどころそれが噴出しているのである。まあそれがこのロレンスの書の面白いところではあるが。

 その中で特に私が印象に残ったものをここに引用する。

『男どもは若く、強壮で欲望をたぎらせた肉と血は無意識のうちに権利を主張し、彼らの下腹部を異様な渇望でさいなんだ。さまざまな不如意と危機が、考えられる限りに過酷な風土にあって牡としての火を煽り立てた、独りで過ごせる閉所はなく、肉体の要求を覆い隠せる厚手の衣服もなかった。男と男が、あらゆることであけすけに生きていた。

 アラブ人は、生来が禁欲的であり、普通婚の慣行で部族内の不身持はほぼ一掃されている。何ヶ月も歩き回っているうちにまれに出くわす集落に足を踏み入れると、身をひさぐ女は、そのすさんだ体が健常な器官を持つ男に好ましく思えた時ですら、我々の仲間には無価値だった。この種の不潔な交渉を嫌う若者は、汚れのない自分の体でなんのこだわりもなく相互の欲望を満たす(比較の上でいえば性を伴わない、純粋とすら思える寒々とした便法)ことを始める。後のことだが、この実りのない方法を是認する人が出てきて、こう断定した。『やわらかい砂上で熱っぽい四肢による至福の法要に体を震わせる二人は、情火に燃えるひとつの行為に身も心も融ける官能的な情念の共同作用が、暗闇の中にひそかにあると知っているのだ。』と。また数は少ないが、完全には止めることのできない欲求を懲らしめようと切望するものは、体を貶めることに狂おしい誇りをもち、肉体上の苦痛、汚穢をもたらすあらゆる習慣にやみくもに身を委ねている。』

 英語から日本語への訳文であるにしてもわかりにくい文である。アラブの風土やその気質、そしてそれがもたらす性向(文字通り性的な気風)について叙述しているのはわかるとしても後半部分は具体的に何のことやら読者にはわかりにくい。この後半部分の「やわらかい砂上で熱っぽい・・」云々という描写についてはおぼろげながら想像はつくが、叙述について具体的に想像するより先にイメージとしてまず私の頭に思い浮かんだのは、5年ほど前やはり映画でアカデミー賞をとった「ムーンライト」の一シーン、夜の砂浜の上で身を寄せあう二人の黒人少年であった。

 アラブ人の特にベドウィン(砂漠の遊牧民族)の性的な性向を叙述するにしても、ちょっと生々しすぎるというかドギツい(特に当時は)と思ってしまう。これは和辻の「風土」と比較すれば明確である。和辻は術語(自分でも作りだしながら)を駆使しながら論じ、中立的客観的態度を堅持して、学術書のように砂漠の民の、風土がもたらす人々の性向について書いている。しかしロレンスの文章の場合、風土とそれが与えるアラブの人々に対する影響・性向についての描写には彼の個人的感情や思い入れを強く感じる。私などはこの部分を読むと一種の彼のロマンの発露ではないのかと思ってしまう。

 古代ギリシャ、そして近代までの中近東には、師弟愛、年少者の年長者に対する敬愛、その逆の未熟な若者に対する大人の慈愛、そして男ばかりの戦士の同志愛、という男同士の愛の表現が文学、絵画、彫刻などに多数存在する。それが過度の熱愛になるともはや「同性愛」といっていいだろう。それは相手(男性)に対する美の賛美や肉の接触の希求となって表れる。引用したロレンスのアラブ人の性向については、男性美への賛美は見られず、もっぱら肉の接触となっている。これは表面上は同性愛行為ともみられるが、よく言われるように、男ばかりで構成されている閉鎖社会、例えばこのような戦場でもそうだし、また刑務所の中では本来は男性との肉体的な接触を忌避するものが、女性の代替として男を求めることがある。昔はこのようなのを疑似あるいは仮同性愛と呼んだ。このアラブの戦士社会に見られる傾向もそうではないのか。と思うが、疑似だの仮だのといってそう単純に割り切っていいものではない。

 中近東の文化を少しだけ勉強して驚いたことがある。中世から近世にかけてペルシャ、アラビアでは詩作が隆盛を見た。その中で「恋愛詩」は日本語に訳されたものしか読んではない。だから原詩とのニュアンスの違いはあるにしても日本人の私が読んでも素晴らしいものが多数ある。ところがなんと詩中の熱愛の情の吐露、美への賛美のほとんどがこれ詩作の男性から、対象となる男性に対するものだったのである。これにはカルチャアショックを受けた。日本の伝統的詩歌に和歌があり恋愛を歌ったものは多数あるが同性同士のそれはきわめて少ない。それを考えると中世ペルシャ、アラブの恋愛詩が大抵男性に向けられたものでありその内容にも驚かざるを得ない。これを見ると、先の引用のアラブの戦士たちのある性向が、女性がいないから一時的に同性に代替を求めるためだけにそのような傾向があるのだとは言えなくなる。砂漠に日が落ちて、火を囲み多くのアラブ戦士が唱和したであろう恋愛の有名な詩が男性への愛、そして男性への美を讃えるものであるなら・・・果たして。

 最後に彼の大著『智慧の七柱』の冒頭部分にある彼の詩を挙げておきたい。イニシャルS,Aへこの本とともにささげるとある。出版されてから百年、このS,Aとはいったい誰か、ということが問題になっており(彼は明言しなかった)いまだ確定はしていないようだが、おおかたのみるところ、彼が23歳ころメソポタミアの発掘作業で使っていた15~6歳の少年で彼がうんと可愛がっていたダフウムであるといわれている。ダフウムはロレンスがアラビアを去るまえ21歳ころ発疹チビスで亡くなっている。詩の内容やそのダフウムについて考える時、私もこのS,Aはダフウムに違いないと思うのである。


 この英詩は英文学の専門家から見ると秀作というよりむしろ駄作と評価されることが多い。それだけに難解な単語や文法はなく、高校英語以上の力があると自分でも逐語訳はできるが、その内容はちょっと謎めいている。下に和訳(田隅恒生訳)もあげておく。

私はお前を愛していた、それで私はこの潮のごとき人の群れをわが手にひきいれ

空いっぱいに星々でわが遺書を書き残した、

おまえが「自由」を、七つの柱が支えるあのみごとな家を手に入れ、

目を輝かせて待ちも受けてくれるように、

私の来るのを。

死はわが道行きの僕だった、二人でお前に近づき、

お前が待っていると知るまでは、

お前が微笑むと、死はねたみに駆られて私を追い抜き、

お前を連れ去った

おのれの静寂の世界に。

かくてわれらの恋の得たものは投げ棄てられたお前の体のみ、

抱けるのは一瞬の間しかなく

やがて「大地」のしなやかな手がお前の頭をまさぐり

盲目の蛆虫どもが変えてしまう、

朽ち果ててゆくお前の体を。

男たちは私に請うて私の手になるまだ穢れなき家を

お前の形見にしたいという。

だがふさわしい記念碑を求めて未完のそれを私は打ち砕き、そしていま

小さな破片が這い出ては集まり、あばら家に仕上げようとする、

お前のもらった贈り物が

壊されたすぐそばで。

 ダフウムはどんな青年であったかちょっと知りたくなる、彼の写真は少ないが下にあげておく。


 ところでロレンスに対する日本人一般のイメージはやはり映画「アラビアのロレンス」の影響が大きい。名優ピーター・オトゥールの演技もそれに与かっている。ピーター・オトゥールのように金髪、碧眼であることは同じだが体躯はウンと小さく英国人としてはチビである。アラブ風の服装のロレンスは目に焼き付いているが、下は軍服姿で同僚と撮った写真である。これを見ると確かに小さい。華奢な彼ではあるが2m近いラクダの背にまたがりアラブの服をまとい縦横無尽に砂漠をかける姿には土着のアラブ人も瞠目したといわれている。


 なおロレンスはアラブ独立を願いファイサル王子を助けたのであるが、第一次世界大戦後のヴェルサイユ体制の元、戦勝国のパワーゲームに翻弄され、イギリスがファイサル王子に約束したことは空手形に終わった。それでもイギリスは少しはファイサルに済まないと思ったのかアラブを分割して作ったイラクにファイサルを国王として推している。よく中東の歴史を知らない頃は、この映画に出てくるファイサル王子の系統が今のサウジアラビア王家であると勘違いしていたがこちらは全く別系統、リアド周辺の土侯サウジ家である。そして元々ファイサル王子の王家の本拠であったメッカをサウジ家は力で奪いサウジアラビア王国を建てている。
 イラク国王におさまったファイサル一家は子、孫と三代王家がつづくが1958年、クーデターが起こり孫にあたる23歳の若い国王を含め王家の人々はクーデターの当日を出ず虐殺されイラク王国はそれをもって終わっている。

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