2019年6月1日土曜日

護国神社境内にある記念館

20180731


 それでなんで文化の森から護国神社へ行ったかというと県立博物館にこんなパンフレットが置いてあってそれを見たからだ。


 博物館にはその展示分野によって○○博物館と名打つものがある。諸外国にあって日本にないものそれは『戦争博物館』である。このような名前を聞くだけで日本人は拒否反応を起こすから、日本にないのも頷ける。しかし『戦争』も人の歴史であり、人の営みの一つでもある。戦争とはいかなるものかを展示し、戦争を正しく理解し学習する博物館があるというのは外国では当たり前である。

 戦争博物館というとなんか戦争を賛美するのに利すると思われがちだがそんなものではない。できるだけ展示物の説明には価値判断は避け、淡々と当時あった事実を列挙展示し、見る人一人一人に価値判断はゆだねるのが良い。

 そんな博物館であっても日本では戦争博物館とは名付けられない。靖国にある遊就館がそれに近いものではあるがこれも右翼の宣伝媒体だと悪評がある。でも見ないで悪評を信じることはない。一度見て見るがよい、決してそんなものではない。

 徳島県ではそんな戦争関係の博物展示が少ない中で、このポスターにある護国神社の境内にある「徳島県戦没者記念館」の展示は、戦争とはいかなるものかを知る場を提供している。今、えらそうに昔はなぁ~、とかいって若い者に説教を垂れてるジジババでも戦争に参加した人はほとんどいない。戦争に関しては今のジジババも若い子もみんな無知が多い。だからジジババでもこんな場所でぜひ若い子と一緒に戦争とはいかなるものかオベンキョしてほしい。オベンキョしてもテストはないし、模範解答もない、みんな一人一人の心の中に戦争とはこんなものだという自分なりの学習成果が刻まれればいいと思う。

 記念館入り口


 記念館前の芝生にある兵士を見送る家族の像


 展示室(一部)


 戦没した兵士・軍属の写真がずらりと並ぶみんな20代、30代だ。もし生きて社会で活躍していればどれだけのものをこの世に残せたかと思うと・・・・・・感慨は深い。


 動画


 わが町鴨島の英霊の写真も


 家族にあてた兵士の最後の手紙を読んだとき、涙が止まらなかった。


 徴兵検査を受ける満二十歳の青年、出征してはたして幾人帰れたのだろう。


 召集令状、その用紙の色から「赤紙」と呼ばれた。


 戦争指導者は日本のみが「平和に対する罪」というので裁かれ多くは死刑になった。原爆使用、無差別の都市爆撃は、すべて日本が悪いのか?考えさせられるのが東京裁判のパル判事の主張だ。小さいコラムながら取り上げられている。


 かなりの時間ここにいたが私以外誰一人いなかった。

 外に出ると蝉の声がうるさく響いている。参道では8月にある「みたままつり」の白張提灯をつるす作業を三人の兄ちゃんが汗だくになりながらしていた。

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