いやぁ~、ホンマに夢のようなありがたい世界になりましたな。誰でも動画をつくることができる。ワイは持ってへんけど若い衆はみんなスマホもってまっしゃろ。あれを簡単に操作するだけで動画撮影できるし、もちろん録画も、そしてたいていはスマホに無料ではいているアプリたらゆうもんを使たら動画編集もできる。やろうとおもたらちょっとしたストリのある映画もできまっせ。ワイのような棺桶に両足突っ込んだようなジジイでも動画つくりができるし、現にワイはやってまっさ。スマホは持ってへんけど一万円少々で買ぅたデジカメの動画モード使うてやってます。ワイのようなもんでもできるっちゅうこつはつまり動画つくりは誰にでも難なくできるっつうこっちゃ。
これがいかにすごいこつか、皆はん考えた事ありまっか?ワイのちんまいころ、小学生の授業で退屈したとき、授業中こっそり楽しむある遊びを悪ガキから教っせてもろた。それは本の余白に一ページごと、鉛筆で白丸を描いて、ページ一枚違うごとに白丸の位置を少しずつ違えて描いていくことである。そして描き終わったらその余白を見ながら本をパラパラとめくると白丸があたかもボールが飛んでいるように動いて見えるのである。むつかしいこと言うと目の生理から「動体残像」してあたかもボールが動いているように見えるわけでんな。そんな原理的なこと知らんけど初めてやってみる斬新な遊びに興奮してしばらくやったもんや(そのうち飽きてきたが)これ今から考えたら期せずして動画の原初の体験をワイはしよったんやな。
描いたものが動く、こりゃあ老若問わず面白い。本パラパラの目の錯覚「動体残像」を利用したものばかりでなく、他にもいろいろ工夫して絵を動かそうとした。こういう遊びに関してはワイら日本人の御先祖さんは世界中の人に比べても引けをとりまへんな。江戸末期に欧米人が来たとき異口同音に日本の玩具類の多様性、意外性に驚いていますがその中で感心したものに「回り灯籠」がありました。皆さんもどこかで見たことあるでしょう。灯籠の内部に浮かぶ影、人影の場合は「盗人」とそれを追いかける「目明し」というのが多いが、ロウソクの上昇気流で羽車が回り、その影絵がくるくる回り、あたかも盗人が逃げて目明しが追いかけているように影絵が動くのです。そんな動く絵の玩具を江戸の職人たちは紙と竹だけで作りわずか十文余りで売った。誰でも買える玩具類だったのだ。欧米人は自分たちも作れないことはないけどおそらくかなり高級なおもちゃとして意識していた。それなのに安価に庶民が買えるものとして動く絵の玩具類が江戸の巷に氾濫しているのにおぶけたのだ。
こちらも江戸の祭礼でおなじみの「絵が動く」仕掛けで低廉な見料で見られるいわゆる「のぞきからくり」である。正面は看板でこちらはもちろん動かない絵ですが、下にあるいくつかの穴にはレンズが取り付けてあり、覗くと絵が立体的に浮き上がって見えるものです。そして今となってはその仕掛けはよくわかっていませんが、カラクリ屋のおっさんが紐を引くと場面が変わったりあるいは人型が動いたりして、おっさんの物語の口上に合わせて場面がくるくると変わっていったのでした。物語の内容で人気のあったのは「八百屋お七」、「お染久松」、「小栗判官一代記」などでした。それを場面に合わせておっさんが節をつけて面白く語るのです。幕末、江戸に来た西洋人たちは祭礼でのこんな下品で猥雑な見世物類はまず見なかったでしょうが、もし見ていたらその動く絵物語の斬新性にこれまたおぶけたんじゃないでしょうか。
というのも次の写真を見てください。
これ動画(映画)のもっとも初期のものです。アメリカのエジソン発明のキネトスコープというものです。こちらは動画の原初ということで実際の写真を束ね「動体残像」によりあたかも写真が動くように見られるものでありましたが、外形をみると見料を払ってみるアメリカ式の「のぞきからくり」とも思えますね。もちろん江戸ののぞきからくりとエジソンのキネトスコープの内容は雲泥の差はあるにしても、動く絵を見たいという人間の本能的な欲求にこたえたものであることは間違いありません。映画が発明されるまで何らかのカタチで動く絵を見て楽しむということにかんして日本の庶民たちは西洋に劣るどころか多くの庶民レベルではむしろ上を行っていたのではないでしょうか。
このように動画(広い意味で動く絵も入る)を見たい!そして楽しみたいという人々の欲求は高く、そしてそれを満足させる様々な玩具類や見世物類がありました。それは江戸から明治になっても変わりません。のぞきからくりは明治になり写真を採用するものもあったようです、よりリアル感が増す場面では効果的ですが(ニュース、戦記ものなど)、物語などは写真のほうがいいわけではありません、昔のように絵を描きそれを工夫して動かすほうがいい場合がほとんどでした。
上記のエジソンのキネトスコープはあと数年で20世紀を迎えようとするころ発明され歓楽の巷に置かれたのでしたが、のぞきからくり的な見世物の域を出ません。しかし同じころ巻フィルムを使い、一秒間に8~16コマを連射できる映写機が発明されると映写幕に写すようになり、大勢の人が写真動画を見られるようになると今日の映画鑑賞の形ができました。これがまさに映画の最初でした。これが日本に入ってきたときは動画の革命でした。動く像を見たいといっても、それが絵の場合と写真の場合とではリアルさは全く違います。写真があまりにもリアルであるとビックリ仰天してから数十年、今度はそのリアルな写真が動き出したのですから人々は驚き、熱狂し、巡回の活動写真上映会に押し掛けたのでした。
でも初期の動画(映画)は大変だったようですよ。ごく初期は日本ではまだ撮影はできずもちろん輸入物、フイルムを入手するのはいいとしてもそれを映写するのも大変、コマの映写速度は一秒間に8(これは最低、これより遅いと動きがおかしくなる)~16、厳密にいうと手回しだから遅くしたり早くしたりもできる。口上に合わせて速度を調節することもできるというもの。しかも時代は明治30年代、まだどこやかしこに電線が引っ張られているわけではなし、多くはランプの時代、映写の光源もなんとガス灯、よ~そんで十分な明るさの光源が得られたんかいな、と心配して調べると、このガス灯、ライムライトというもので結構強く輝くことがわかった。でも3000℃近い炎を出さなあかんから、ガスは二流の管を吹き付ける、一本は水素、もう一本は酸素、そしてその超高温の炎の中に石灰(ライム)の棒を入れると眩いばかりに輝く明かりが得られるというものだが、といっても後の映写機のアーク灯よりは暗い。左の写真はその水素酸素炎の中に石灰の棒を突っ込み輝いたところの写真。
そしてもう一つ厄介なのはフィルム、巻取りフィルムであるため手回しの速度や引っ張る張力に注意しないと切れる、それでなくても自然に切れることも多く、つなぐのが厄介、またフィルムが遅くなったり、滞ったりしていると光源にさらされ続けたフィルムは面白いくらい簡単に発火し、強烈に燃え上がった。何せ当時のフィルムの素材は「硝酸セルロース」、これ爆薬そのもの、ものすごく恐ろしいものだった。だから映写機原因の火事は頻繁に起きた。
やがて輸入した撮影機やフィルムで日本でも活動写真が撮られるようになり、動画作りも始まったが、「一体何をとるか」に頭を悩ます。単に写真が動いて人々がそれだけで驚くというのはごく初期のみでそんなのは飽きられてくるから、面白い被写体や動きが求められた。そんな中でいい素材となるのが「歌舞伎」や「相撲」を撮ることである。特別な演出はいらず、そのまま撮れるといいが、問題になるのは露出の照度である。当時のフィルムは感度が悪くかなり強烈な明かりの下で取らなければならない。歌舞伎をとるにしても閉じられた舞台から出て白昼のギラギラした太陽の元、露天の場を設定して撮ったりした。日射病に罹ってぶっ倒れたりしたそうだ。「相撲」なんどの場合はそのまま流しても観客は十分楽しめるが、「歌舞伎」なんどの場合は音楽、セリフをどう処理するかが問題になる。楽団をスクリーン下に並べて演奏するのはいいとしてもセリフはどうするか、その動画に出演した役者がそのままスクリーン裏でしゃべるか、という問題もあり、それはうまい方法ではないと気づく、昭和初期まで大活躍した「弁士」が誕生するまでには試行錯誤があった。
まあともかく動画(活動写真)を一本つくるにしてもあれやこれや、資金だの、出演者(被写体)だの、そして技術、演出、そのほか大変であったことがわかる。この時代の日本最古の動画で今現存しているのは何かないかと「ヨウツベ」を探すとさすがヨウツベ!誰かがアップしていたので共有して下に貼りつけておきます。これが現存、ワイらが見られる最古の活動写真(動画)です。この動画は最古という価値だけではありません。江戸から明治にかけての大歌舞伎役者、九代目市川団十郎と五代目尾上菊五郎、いわゆる団菊が出演しているのです。演目は「紅葉狩り」、まあ、まずは見てつかはれ。
最初のオープニングタイトルと音楽はずっと後世になって記録保存のため付け加えたもの。だからオリジナルは活動写真の部分のみ。出演は更科姫が九代目団十郎、維茂が五代目尾上菊五郎です。
これ作るとき大変だったらしいでっせ、歌舞伎も明治になって西洋の演劇やオペラに匹敵するものを育てようとした新政府の文化方針に従ってそのバックアップを受け、また稀代の名優団菊がでて意気軒高な歌舞伎です。
「なに?活動写真?下駄はいたまま見世物小屋とかわらんところに立ってみるような奴らにワイらの歌舞伎を見せられるか、嫌じゃ」
という団菊を何とか説得して、
「両優二人が生きている間は絶対見せまへん、これも文化保存の一環でなんとか記録に残しとぅおま、何とか頼んますわ」
と拝み倒して出てもらったらしい。
さあ。それからが大変、露天のオープンセットに紅葉狩りの舞台をつくらにゃなりまへん、それも大変だが、当日の天気もハラハラもの、ギラギラお日ぃさんに照ってもらわにゃ、途中で陰ったりされたら、当時の感度の悪いフィルム、マダラの夜昼になってしまいまさ。またカメラワークもなし、定点に据え付けることしか能がない、ズムアプもできひん、更科姫の所作事(踊り)がカメラの視界も深度も小さいから焦点、視界から外れてしもたら困る。それでオープンの舞台にその範囲に綱を敷いた。まんで相撲の土俵ですわ。そして何より大事な貴重なフィルム、試し撮りだの、ストックだのする余裕もありまへん。一発勝負。まったくうまく撮れたのは奇跡ですわ。
当時、この「紅葉狩り」の活動写真(動画)を撮るのに以上のように苦労したんでっせ、ところが今やどうです!ワイのブログで10月31日から11月1日に行った広島旅行のブログ動画見てくだはれ、なんと偶然の一致とは恐ろしおまんな、この旅行の夜神楽で撮った舞台の一つが同じ「紅葉狩り」(三つ撮った演目の一つ)。ワイの一万円のバカチョンデジカメでこの「紅葉狩り」の動画、何の苦労もなく、舞台を見つつ片手間で失敗もせんとバッチし撮れてま、それも総天然色、動きもスムーズ、一万円のカメラでもズームもついてましてアップもできてま、おまけにトーキー(音も入る、当たり前や!)、これもし活動写真草創期の関係者が見たら卒倒もんの夢のような世界でっせ。
さらに当時の人から見たらもっと恐ろしのは、ワイの夜神楽「紅葉狩り」はヨウツベにアップしてるから、何時でも誰でも瞬時にアクセスしてその動画が見られることです。これに対して滅多に回ってこない巡回活動写真を心待ちにし、ようやく回ってきたら木戸口の行列に並び木戸銭払い、やっと見られたのが明治期の活動写真「紅葉狩り」、隔世の感どころかもう次元が数段違う天国のような異世界ですわ。
なぜ、人は動画に魅かれると思います?それは夢が結べるからではないでしょうか。夢、文字通り寝てみる夢でっせ、頭の奥にあって脳の中だけのある種の作用かもしれまへんがでも寝てみる夢は実際に動画のように焦点を結んで人が動きそして話しもします。いい夢は見ると気持ちいいものです。こんな夢、ぜひ見たいと思って寝る、あるいはいい夢の途中で目覚めて、続きが見たいと二度寝する。しかし希望はだいたいかないません。そんなに都合の良い夢は見ません。
人が活動写真を発明し、写真が動いたとき、それは脳内で見ていた夢のシーンになんと似ていることでしょう。実体はない、でも見える。すでに過去になった風景も人も眼前に再生してくれる。さらにフィルムに処理を加えればもっと夢に近づきます。一瞬でシーンが変わったりする。夢で脈絡なく別の場面に飛ぶことは皆さん経験済みですね。これまさに活動写真ならではできることです。楽しい夢を眼前に作ること、それはまさに動画づくりにほかなりません。
ついこの間(ワイから言わしたらやが、10年くらい前)まで、夢を追い求め動画をつくることは一般人には大変でした。一般人でもマニアは8mの撮影機や映写機をもって動画つくりをやっ手ましたが、専門知識や技能もある程度必要で誰でもといいうわけにはいきません。また作品ができてもいつだれでも自由に見られるものでもありませんでした。一般人の夢つくりはそう簡単に追い求められるものではありません。ところがここ10年の進歩、文明開化はどうです!デジカメ、デジタルビデオ、パソコン、ネット、そしてついに出ましたどこでも誰でもプロダクション、放送局になれる『ヨウツベ』。どんな人でも動画に夢を結べる時代が来たのです。ああ、ありがたや、ありがたや。ユゥチュゥバァーの皆はん、よい夢の動画をつくってくださいね。
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