2019年6月1日土曜日

長井はん亜米利加の大西部を疾走する

20180821


 最近、地デジは全く見ないが新聞の番組表を見ても地デジドラマに洋物は少ない。洋ドラが結構好きなオイラはデェライフチャンネルを見ている。こちらは朝から晩まで洋ドラが中心でワイの好かん韓流もない。しかしこの頃の洋ドラはサスペンスかアクションがほとんど。ワイらのような世代に非常に懐かしいそして大好きだった西部劇はまずない。チンマイころ昭和30年代、白黒テレビの丸っこく小さな画面で見た西部劇、思い出すだけでも『ララミー牧場』『ライフルマン』『幌馬車隊』『ローハイド』『ボナンザ』・・・他はちょっとすぐ思い出せん。

 なんで最近、西部劇ドラマがほとんどなくなったんやろか?これ、考えると日本のテレビドラマから時代劇がのうなったんと同じ現象ちゃうやろか、建国が新しく国の歴史が近代より古くは遡れないアメリカで時代劇といえば西部劇がそれに相当する。日本では時代劇を好んだ世代が(もともと年配者が多かったが)高齢化して高齢者対象では経済効果が引き合わないため、作らなくなったといわれている。アメリカでもそうだろう。高齢化による世代交代もあり、視聴者の嗜好が変化して西部劇を作ってもコマーシャルがそのドラマにつかなくなってきているのだ。

 そんななか、最近作られた数少ない西部劇ドラマに「荒野のピンカートン探偵社」というのがある。昔のテレビドラマシリーズと同じ毎回完結の約45分間のドラマ。西部の小さな町を舞台にしていてもちろん時代場所設定すべて西部劇ドラマの範疇定義にはいる。しかし題からもわかるように推理、サスペンスが中心なのは今風の西部劇である。このドラマ、ネットの無料ドラマ配信サイトの『ギャオ』で見られる。西部劇ファンとしては毎回楽しみにして見ている。日本人の視聴者としてうれしいのは準レギュラーとしてデェン・フジオカが出演している。(今週は13・14話配信、見る方はここクリック、ただし8月25日で配信終了)

 ここで先ほどちょっと出てきたが『西部劇』の範疇定義について書いておこう。まず場所は当然ながらアメリカ、その西部である(だから西部劇というが)。だが西部とは言っても場所に関する重要なキーワードがある。それは「フロンティア」である。日本語に訳せば「開拓最前線」とでも言おうか。皆さんご存知のように建国当初アメリカは大陸東部の海岸沿いの狭い13州だった。しかし若くて腕力のあるアメリカは大陸内陸部に向かってどんどん膨張していく。大自然が残ったところを領土として取り込んでいくのだから移住者による開拓が19世紀を通じてアメリカの歴史となる。世紀初頭に中部(ミシシッピ流域地域)の広大な土地をフランスから譲り受け、また40年代に近づくと、メキシコにいちゃもんをつけ、メキシコの頭をぶん殴りテキサスをせしめ、さらには太平洋岸へと向かって領土の獲得が続く。

 その結果、60年代までに領土は今のアメリカとほぼ同じになる(アラスカもこの年代の終わりころロシアから購入する、今から思たらビックリするくらい安い買い物や!)。しかし太平洋岸までの広大な土地を手に入れたが、西部は人口は極めて少なく、開拓が進んでいない土地であった。そのため南北戦争が終わった1865年以降、東部、中部あるいは欧州からの開拓移民が西部に押し寄せることとなる。無産に近い開拓者は政府から無償あるいはタダ同然の価格で自前の農地・宅地を払い下げられ、開拓に精を出した。牧場、農地が開かれ、町が生まれ、新しい郡そして州が生まれた。ほとんど無人の西部へのその開拓の前線が「フロンティア」と呼ばれた。そのフロンティアはどんどん西に進んだ。そのフロンティアの部分が西部劇の舞台となるのである。しかし開拓が進めばいつかはそのフロンティアは消滅する。その消滅した時期は1890年といわれている。だから南北戦争の終わりから数え25年、四半世紀間が西部劇の時代である。

 さて前置きが長くなったが、横浜から東回りでドイツ留学にでた長井はん、太平洋航路でサンフランシスコに着いたのが明治4年(1871)の2月27日、そして3月2日には開通してまだ2年に満たない大陸横断鉄道に乗ってアメリカ大陸を横断するのであるが、時場所はまさに西部劇の世界である。そこを長井はんは列車に乗って疾走していくのである。長井はんが見た西部の世界はどんなものだったか、彼の報告を見てみよう。

 長井はんの報告の日付は旧暦である。太陽暦に切り替えるのは明治5年12月であるから、暦はまだ江戸時代である。だからアメリカ大陸横断鉄道に乗った3月2日は太陽暦では4月の中旬、東京では桜も散るころである。サンフランシスコも同じようなあたたかな春である。出発した初日は春色爛漫、草木は青々として快いといっている。珍しい草木も車窓から見えて本草学にも造詣の深い長井はんは採集したかったがなにぶんにも列車が早くて取ることができず残念とも述べている。

 下は長井はんがスケッチした列車、機関車、客車、荷物車、寝車(寝台車の事)の説明がついている。(ちなみに日本に初めての鉄道ができるのはまだ1年以上後)

 しかし翌日になると風景は一変する。彼によれば「水気が少なくなり、且つ山は高く、寒く、不毛の地なり」といっているが湿潤な海岸地方から内陸の乾燥地帯に入ったのである、いよいよ大西部に突入である。大西部といえばワイら西部劇でおなじみの風景、こんな景色に長井はん出くわしたんやろか。

 車中からだが彼はこう書いている。「不毛の地ながら、ただ尺に満たざる(30㎝未満)草がまだ春芽も出ずあり」、つまり樹木もない荒野に枯草のような植物が点々としているのである。その形態を彼は(我が国に見る)麻黄のようだといっている。そこで麻黄とはどんな植物か探すと、なるほど西部の不毛の荒野に点々と生える草に似てるわ。やっぱ西部らしい風景を車中ながら長井はんは見とったんや。
 下は植物の「麻黄」の写真、上図の西部荒野に生える丈の短い草に確かに似ている。

 大陸横断鉄道に乗って西部を疾走する長井はん、できたら西部のアチャラコチャラで列車を降りて、西部の雰囲気を満喫してほしかったが大きな使命のある派遣留学生、そんな暇は残念ながらない。それでも西部のソルトレキシチ(大きな塩の湖のあるところ)で少し寄り道をしている。ここには温泉があり、長井はん、その温泉に浸かったりしている。西部にも温泉があったんやな。

 ワイに文才があったら、長井はんが西部で大活躍する西部劇を書きたいな。ドイツに向けて大陸を横断していた日本の留学生がなんらかのアクシデントで西部の小さな駅で降り、そこで大活躍するというもの。下を見ておくんなはれ、長井はん、あのディン・フジオカと並べてみても負けないくらいの男前でっしゃろ、洋装の長井はん、当然ながら西部劇のウェスタンスタイルのコスチュームと時代が重なる。つまり西部劇の衣装と変わらない。スタイルはカッコええし、顔も申し分ない。頭は天才的やし、語学達者やし、これで剣術か柔道、射撃でもええわ、それがそなわれば(実のとこ長井はんのそっちの腕はわからん)申し分ないキャラでっせ。大活躍の後、大志のある身、ここにいつまでも留まってはいられない。惚れられて泣きながら縋り付く白人女性を振り切り、朝日を浴びながら(彼は地球を東に回っているから)去っていく。

 『このぉ~~、色男!後家殺し!』

 ※ホントの長井はんは禁欲的で学究肌の人です。

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