2019年6月2日日曜日

私の産土神社

20181109

 私の今までのブログには熊野の神さんだの他の神さんは取り上げているが自分の産土神社の神さんは取り上げていなかった。これをいう時自分の不信心に忸怩たる思いがする。というのも若いうちは神仏に関心がなく旦那寺に対する仏事、産土神社に対する神事なども祖父まかせでほとんど何もしなかった。そのうち古い家はつぶれてしまい新しい地域に(もちろん産土神の土地からは離れている)家をつくり引っ越していった。

 こういう場合、神事はどうするのが正統な行いのだろうか、地域は違うが前の神社の氏子としてとどまる。それとも新しい地域の神社が新しい産土神社となるのか、はたまた新旧二つの神社として二神社の氏子となるのか。私の場合新しい地域の氏子にもならず、また祖父の死とともに以前の神社の氏子としての縁も切れてしまった。察するところわが田舎から都会に出て行って新しい家庭を持った多くの人も同じようなものじゃないのだろうか。このような新参の住民は地域のまつりにギャラリーとして参加するが氏子としては神社には属していない人がほとんどであろう。特に人口の多い地域に住む人ほどそうだろう。
 
 ある神を産土神とするのと氏子であることと同じようにとらえられるが、一般的に言って産土神とするのは、生まれて初めて産土神と定めた神社に宮参りし、ど~ぞ、この子の産土神となって、この子の一生をお守りください、とその神社の神と縁を結ぶことをいう。氏子という場合はいろいろな神社の行事に参加し、また経済的に神社を維持するため積極的に援助し、また神社経営にも携わらねばならない、などのかなり重い義務を生じる。氏子名簿のようなものもありそこに登録されて氏子となる場合も多い。

 そのように考えると氏子は一生(まぁ、途中でやめると意思表示でもしない限りだが)いろいろな義務を負うのに対し、産土神になっていただくのは生まれた時の宮参りの時の契約のみでも可能ということになる。もっとも大昔は氏子の子が宮参りし、当然、その子もやがて氏子となったが、今は必ずしもそうはならない。でもたった一度の宮参りの時の神さんに対する契約のみで一生、産土神となってくれるものか。そのような不信心者にはお守りどころか罰(ばち)を当てられそうな気もするが、それでも赤ちゃんの時にお宮参りしたお神さんであるということは消せないから、その神を自分の産土神と呼ぶには差し支えあるまい。

 とまあ今までの不信心を棚に上げて自分のいいように解釈するのであるが、今日、その産土神社にお参りしてきた。

 鴨島町喜来 『若宮神社』

 若宮とは天皇の皇子、または神々の子、御子神のことをさす。若宮と名が付く神社は全国にたくさんあるが応神天皇を中心としてその眷属の神を祀っているのが多い。応神天皇の母は神功皇后で母の体内にいるときから天皇の位にあったから、応神天皇を祀るのに若宮というのだろうか。

 この神社は応神天皇を含め三神(ほか大山祇神、大国主の神)を祀ると由緒書きにある。創建は寛保三年とあるから275年前となる。私が子供のころ境内でよく遊んだがその時の社殿は昭和60年1月に出火で焼亡し、ご覧のような新社殿になっている。

 賽銭箱の上にこのようなおみくじがあった。氏子といわずお参りしてくれる人に対していろいろ工夫をしているようだ。

 御神木はクスノキ、先日見た石井高原の王子神社のクスほど樹齢はないが、二本のクスノキが成長とともにほとんど一体化しその胴回りは樹齢千年の木の大きさがある。 


若宮神社追記 祭神について

 前のブログで若宮神社の御祭神を三神と説明した。応神天皇、大山祇神、大国主の神である。しかし徳島神社庁が出している『徳島県神社誌』の鴨島町喜来の「若宮神社」の項を見ると御祭神の大山祇神、大国主の神の二神は変わらないが、あとの一神(これが主神とみられる)が応神天皇ではなく仁徳天皇となっている。

 神社誌に載せられている若宮の祭神は、大雀(おおささぎ)命、大山祇神、大名持神となっている。神社の由来書きと二神は名前が違っている。大名持の神は大国主の神の別名だからいいとして大雀(おおささぎ)命は仁徳天皇のお名前(天皇号でもなくおくり名でもない本名)である。応神天皇だと誉田別尊(ほむたわけのみこと)、あるいは誉田別命(ほんだわけのみこと)とならねばならない。

 神社の由来書きにはこのようにしっかりと応神天皇と書いてあり、仁徳天皇ではない。

 いったいどちらが正しいのであろうか。応神天皇は仁徳天皇の父親であり、全国的に若宮神社にはよく合同されてというか、おそらく混合されて祀られていることが多いからそれが混乱した原因だろうか。先のブログで「若宮」とは皇子または神の御子神という意味があるといった。応神天皇は母の神功皇后の胎内にいるときから天皇の位を践んでいたから若宮じゃないかと推測したが、もし応神天皇の子供の仁徳天皇なら若宮という言葉はよりぴったりする。ちなみに天皇・皇后号で「神」と付いた名を持つお方は4人しかいない、初代神武天皇、崇神天皇、応神天皇、そして神功皇后である。大変な事績を上げたし、また皇統の上でも重要な結び目(それぞれ王朝の始祖であるという説もある)に位置し、後世もっとも神格化された天皇でもある。その神と同じ応神天皇の御子神の若宮が仁徳天皇なら若宮神社の御祭神として呼び名もしっくりする。

 どちらが正しいのであろうか、熊野の神様のように別の神格を持つ神が習合して一つとして祀られている場合もあるから、応神、仁徳は父子でもあることだし、どちらでもいいというか、むかしからどちらにもとってよいようになっていたのかもしれない。厳密に考えることではないのだろう。

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