源頼光はんは典型的な平安時代の武士やなと思う、朝廷貴族の命令通り手足となって動く武力装置、悪ぅ言うたら朝廷の犬や。朝廷に逆らうものを武力で滅ぼすか完全に圧伏させる。もともと源氏の武士というものはそうゆうものであったんやな。だから退治といえばなんか妖怪鬼の類のように見られるが、それは伝説の話で実際は為政者にとって都合の悪い土豪などを攻めたのだ。それがもとになっていろいろな伝説が生まれたのであろう。 土蜘蛛、しかり、山姥もしかり、酒呑童子も同じである。酒呑童子伝説は推測するに畿内の北方日本海側にいた朝廷に逆らう土豪を源頼光がやっつけたのが伝説になったのだろう。
下は広島で見た神楽「山姥」だがこの場合は救いがあるのは頼光は山姥母子を殺さず、子は家来として召し抱え、母は追放するという処分にしたのである。しかし、だいたいは惨く殺されてしまうのがオチであった。
源頼光と渡辺綱に降参する山姥とその子怪童丸(後の坂田金時)
酒呑童子も首を切られ、その首は都へこれ見よがしに凱旋の引き出物にされる。酒呑童子は頼光らに勝るとも劣らない武力や胆力知力を持っていたが、例によってだまし討ちに近い計略で(油断させて美酒を飲ませ人事不省にする)やっつけるのである。
酒呑童子絵巻というビジュアルな資料があるがそれをもとに酒呑童子退治を見てみよう。
物語の出だしは当然、酒呑童子はんの悪行に始まる。この悪行、話の上では残虐で恐ろしいほど良い。やっつける悪は大きいほど頼光はんの評判は上がる。また簡単に成敗できぬ怪力と人をまやかす魔力も持っている。酒呑童子はんは都の美女がお好きなようでそれも高貴な姫を狙い、大江山の山中にあるアジトに監禁していた。そりゃぁいったい何のためぞぃ?と考える、いまなら美少女誘拐っつうたら、性的満足のため口では言えんようなそれはそれはエゲツないことをして最後には殺してしまうとか、美少女ペットにして監禁して飼うとか、身代金目当てっつう場合は美少女誘拐ではあんましないやろな。
じゃけんど、平安時代は美少女、美女、若い女誘拐っつうたらいわゆる人さらいである。離れた地方へ人身売買として売るのである。平安京の盗賊どもは財物も奪うが、若い娘は何よりの高価な盗品だったのである。都でさえ治安がおぼつかなかったのであるから、こんな人さらい人身売買が横行するのもやむをえないのである。だがもちろん人さらいは悪いが治安や法をを維持しなければならない為政者の責任も大きいのである。そんな為政者の不作為を棚に上げ、高貴な姫をさらう酒呑童子を討ち取れと頼光はんに為政者は命じるのである。はびこる多くの人さらいどもをほっといて、たった一人の酒呑童子を派手にやっつけるのがこの大江山酒呑童子の話であるが、これによって治安が極めて乱れていたことや無法状態などは隠され、みんな酒呑童子はんの悪行にすべての人さらいの悪行を重ね、因果応報、ざまぁみさらせ!っつうて人々はカタルシスを感じるのである。
そのためにはこれでもかこれどもか、つぅ~くらいの悪行残虐が酒呑童子はんに求められる。いくら平安時代でも、「酒呑はん、そりゃ~なかろうぜ!」という修羅場が大江山アジトで繰り広げられる。まず姫の生き血を絞る、そして美少女の片足や腿を切り取り(切り取られてもまだ姫は呻きながら生きながらえている)、膾(酢漬け)にしたり、干し肉にしたりして酒呑童子やその一党の食べ物とするのである。そのために牢獄のような場所に引っさらってきた美少女を多く監禁している。おおお!なんつう、おぞましさ!当時の人も人肉嗜食は忌むべきものと思われていて人肉を食べると人身が鬼になると信じられていた。そのためお話では酒呑童子はんは昼まは人間の姿をしているが夜は鬼の姿になっている。もちろん妖力も使うことができ、魑魅魍魎共も従えているという設定になっている。
と酒呑童子はんの憎々しさがいや増す、そのうえで物語はチャァァンチャララァンン~~~~、正義の味方スーパーマン、源頼光はんがさっそうと登場と相成る。
この頼光はん、前のブログでも言ったように妖怪退治のエキスパート、強い武士でもちろん武力でも相手をやってけられるが大したことない妖怪変化の類では、頼光はんの一睨みで、こりゃかなわん、と消えてしまうくらいの力を持っていた。
下は平安京のはずれのあばら家で、顔のデカい巫女の妖怪と対峙する頼光、このあと頼光はんに睨まれたこの妖怪のおばはんは何もせずに消えてしまう。(二頭身の魑魅魍魎は日本の妖怪によく出ている)
さて、朝廷から引っさらわれた姫を助け、酒呑童子を退治することを命じられた頼光はんやその配下、四天王(有名な渡辺綱はんや、坂田金時はんもはいってまっせ)は正体を隠し山伏姿となって大江山の酒呑童子のアジトに向かう。途中、なぜか三人の僧侶に出会う。これが八幡、住吉、熊野の権現さんが受肉して現れたもの、そして我々神も力を貸そうと鼓舞される。下はアジトにたどり着いたところ、アジトっつうが山奥にはあり得ないような門構えの立派な御殿、こんなあり得ない場所にこの建物、酒呑童子の住処に違いない。
案内を乞うと出てくるこの御殿の召使どもは鬼や魑魅魍魎の類ばかり、やはりそうであったか、との思いは心に秘め、主人への取次ぎを頼む。そして主殿の御簾から「どぉれ~」と酒呑童子が登場するが、その名の通り、童形姿、意外、可愛らしい顔をしている。しかし大柄な子供である。
歌舞伎の酒呑童子、やはり童子姿の酒呑童子は悪人とは思えない(主演、中村勘九郎)
ここからが頼光はんの策略となる、日本の伝説では何度も使われる自分より大きな力を持ったものを倒すためのトリックである。クマソタケル対ヤマトタケル、八岐大蛇対スサノオノミトコもそう、楽しい宴会を開き美酒を進め、さんざん楽しませ、深酔いさせた挙句、力を奪い、そこをバッサリ!
下は頼光一行と酒呑童子はんと宴会を開き酒盛りをしているところ、あらかじめ頼光が持ってきた美酒を勧められ、のむ酒呑童子、極めて機嫌が良い。
宴会にはアトラクションがつきもの、酒呑童子はんの宴会では演技者は鬼や魑魅魍魎の類、でも絵巻物を見る限り、怖ぉ~ないがな。いっそおもろい。
この酒宴ですっり心を開いた酒呑童子はんは、実は、ワイなぁ、元は越後の国の住人やったんねん、アッチャコッチャの山でこれでも修業したんでっせ、それやのに比叡のお山では伝教大師はんに追われ、南の山へいったら今度は弘法大師はんにおわれ、あっちこっちに行っても追われてばっかしや、そのうちにこないになってもうた、としみじみ告白するのである。これ大変重要である。もともと酒呑童子はんは自由人、山で縄文の系譜そのままに一族らと暮らしとった。里の勢力や体制には入らずあくまで縄文の昔から続く誰ぁ~れにも支配されない暮らしを満喫してたのに、だんだん勢力を拡大する国家体制は彼らをどんどん追い立てた。そして最後の本拠地にまで迫ってきた。これが酒呑童子はんの言わんとするホンマの意味ちゃうやろか。
寝たれる酒呑童子はん、憎々し気な鬼に変身している。寝たのを見計らって負ってきた笈から具足、武具を取り出し武備を整え、酒呑童子に迫る頼光の一党
あえなく首を切られ
首は都への凱旋の戦利品としてこのように運ばれ、姫も解放されともに都へ。
めでたし、めでたし、で終わりやが、伝説の酒呑童子はんは恐ろしい鬼やったが、酒呑童子はんの話の元となった山に巣くう一族ってホンマに滅ばされなあかん極悪非道の人々やったんやろか、みなさんどう思われます。
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