阿波踊りがすんだ。昨夜は徳島市では踊り最終日であったが、午後からカミナリはんはなるわ、雨は降るわで中止でないのかしらと思っていた。私は初日から阿波踊りの見る阿呆はもちろん踊る阿呆も遠慮していたので昨夜のことは知らなかった。しかし今朝ニュースを見るとザンザ降りの中でも踊っていたらしい。秋冬の雨ならビショコになると風をひいたり悪くすると肺炎などを起こして大変なことになるが、真夏の雨に打たれるくらいならなんともなかろ。いっそ、頭からシャンプでもふりかけ、雨のシャワーで泡だらけになり、これがホンマの「泡おどり」とかシャレてほしかった。もしかしてそんな「アバサカリ者」がいやしまいかとヨウツベの動画を繰ってみたが、さすがにそんな洒落者はいなかったようだ。わが町でも14~16日に駅前通りで阿波踊り大会があるが昨夜は中止になった。
昨夏に続いて二度目になるがモラエス著『徳島の盆踊り』を読んでいる。モラエスさんは徳島のこの盆踊りがいたく気に入って彼の本の随所に取り上げている。しかし「阿波踊り」とかいう言葉は一度も出てこない。出てくるのは「盆踊り」である。それもそのはずこの「阿波踊り」という言葉は昭和の時代になってしばらくしてから、県庁や市役所、観光課などが対外的な宣伝のため作った言葉であるらしい。
モラエスさんはお盆を「盆まつり」と「盆おどり」の二つに分けて本国であるポルトガルの友人に説明している。モラエスさんと同時に生きた大正や昭和初期の徳島の人がこのモラエスさんの説明を受けても、「何をわかり切ったことをモラエスさんは言よんぞいなぁ~、ほんなことわかり切ったことでぇ~」と思われるだろう。しかし今は平成30年、このモラエスさんの「盆まつり」と「盆おどり」の説明に現代人は、何も知らないポルトガル人と同じ程度に教えられることが多い。
モらエスさんの随想から
「盆まつり」の始まる数日前から、墓場に出かけ、墓を掃除し花や線香をあげる、その盆まつりがここ徳島では12日と13日になる。12日はその墓にまず霊が降りてきて訪れ、そこから家庭へ、ふらふらと宙を飛んでいくと信じられています。
13日には死者の霊が気の合った家族と一緒に静かに過ごします。家庭の祭壇である「ぶつだん」を美しく飾っていろいろなものをお供えします。死者にはたくさんのごちそうがお供えされても生者の食事は質素である。お坊さんや尼さんがそれぞれお得意の家庭を訪問して、仏壇のそばで祈る神秘的なしぐさをします。
死者の訪問はほんのつかのまのものです。13日の夜になると、霊魂は後ろ髪をひかれる思いでしぶしぶ極楽に飛んで帰るということです。ところによって海や川のほとりではそこの民衆が灯をともした小さなおもちゃの舟をたくさん水に浮かべて流します。(モラエスは長崎で見たその光景を驚嘆すべきものだといっています)
「死者のまつり」がすむと引き続いて今度は生者のまつりというものになります。死者のまつりに続くこの生者のまつりの主な特徴は「ぼんおどり」という踊りであって二三日の間いたるところの町村で民衆が踊りに熱狂します。土地によってその状況はまちまちですが徳島はその踊りで有名です。
盆まつりのすんだ後だから盆おどりは14、15日、になります。モラエスははじめてその徳島の盆おどりをみたとき非常に驚嘆します。
民衆は伝染性の熱狂的ヒステリー症に罹ります。するともはや盆踊り以外のことは口にしません。みんな昼も夜も外出しますがことに最も熱狂するのは夜です。繁華街は群衆で埋まります。ときどき、鉦や太鼓の騒々しい群れがどこかから現れて口々に大声で歌いながら、大勢で込み合っている群れをかき分けて踊っていきます。高く掲げた提灯が人影・・・男も女も子供も・・・三味線をかき鳴らすもの、唄を歌うもの、細かいいろいろな身振りをするものを幻想的に照らし出します。
なかでも最も目に付くのが「げいしゃ」であって美しい絹の着物を優美に着こなしていてその顔を昔、鳥追いが使っていた広い笠で半ば隠しているのです。しかし踊っているのはげいしゃばかりではなく、ほとんどすべての市民が踊っているのです。じいさんばあさんからか弱い子供まで、生者のみんなが楽しむのです。死者を讃えて・・・
さて百年後の今の「阿波踊り」はモラエスさんの言ったような特徴を持っているだろうか。民衆は集団的ヒステリー状態となるか?みんな楽しみにはしているが集団的ヒステリーというには大げさである。このような民衆の状態は日本史で習った「お陰参り」を思い出す。そういえばお陰参りは江戸時代末期この阿波から始まったこともあったといわれている。はっきり言うと、今の徳島県人には阿波踊りに集団的ヒステイリーとなることはない。またモラエスさんは「死者を讃えて・・・」みんなが楽しむとあるが、そのような死者や霊との結びつきは今の「阿波踊り」には全く感じられない。
ただやはり伝統だなと思わせるものは多く残っている。鉦や太鼓の騒々しい群れが・・・とあるが、今もご存知のように気も狂わんばかりの鉦や太鼓の音の響きは存在している。また鳥追いの笠は今や女踊りの衣装の定番となっている。
今は全市民参加とはいいがたいが、それでも大勢の市民が連をなどに参加して踊っている。昔の踊りの型はわからないが自由度はモラエスさんのいた大正時代のほうが大きかったようである。
「盆まつり」は12、13日、「盆おどり」は14、15日であるがこれはみんな旧暦である。今の阿波踊り太陽暦の8月12~15日となっている。月遅れのお盆と称している。しかし厳密にいうと旧暦のお盆は(たいてい)一月よりもう少し後にずれる。かなり秋の気配が濃くなりつつなるころである。そして何よりの違いは、次の図を見てください。江戸時代末期の盆おどりの図と昭和9年の盆踊りのポスターです。(昭和9年はこの日が旧暦のお盆になる)
わかりましたか。
そうなのです。旧暦のお盆は必ず満月に近いお月様が夜空から地上を照らしているのです。明るい灯火のなかった時代、満月の明かりは、まさにモラエスさんの随想で述べられているように、盆おどりの人々を幻想的に照らしたのです。(ポスターの踊り子の月光の影に注意してください。人工照明ではなく月影なのです)
今日は16日、徳島市の阿波踊りは終了したが、わが町では今夜が最終日である。天気は小雨と出ている。昨夜は中止になったが、今夜は開催できるであろうか。
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