山頭火が二度目の阿波路に遍歴に来たのは昭和14年、亡くなる一年前の11月である。山頭火といえば有名な句に
『うしろすがたのしぐれていくか』(昭和6年・福岡八女)
というのがあるが、この阿波の最後の遍歴は季節も晩秋、まさにしぐれの季節である。一昨日文書館でこの阿波の遍歴の日記並びに句集をみたが期待に違わず「しぐれ」が入っている句がいくつかある。
山頭火は十月末日に大窪寺を経由して徳島・板野郡に入り、鳴門撫養に一泊し明けて十一月をむかえている。旧板野郡は旧吉野川をはじめいくつもの支流が流れているその流れの一つに架かる橋を渡った時に詠んだ句は
ふたたびはわたらない橋のながいながい風
遍歴托鉢しつつ野辺に死す覚悟の山頭火である。そしてこの日から一年も待たずに死んでいる。それを思いつつこの句を鑑賞すると俳句の深みなどはとてもわからない私ではあるが、感慨一入である。
この頃、晩秋から初冬にかけては日本海側でなくてもここ阿波でも晴雨定めなき日がある、しかしたとえ風にあおられ時雨に濡れようとも遍歴・托鉢の旅は続く、そんな一日を振り返った句。鳴門撫養にて
朝は晴れ夕べはくもる旅から旅へ
11月3日は牟岐の長尾屋に泊まっている。その日の句、しぐれの語の入った四句
しぐれてぬれて旅ごろもしぼってはゆく
しぐれてぬれてまっかな柿もろた
しぐるるほどは波の音たかく
しぐれて人が海をみてゐる
しぐれ、という言葉を聞くだけで何となく物寂しい感じがするが、まして明日をも知れぬ老遍路がしぐれにぬれつつ・・・などと想像するだけでもものがなしくなる。しかし上の二番目の句はなんかほっこりする。モノトーンのようなしぐれの風景の中、きわだつ赤色、そしてお接待だろうちょっとした人情の温かさを感じる。
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