あけましておめでとうございます。
明け方、かなり気温が下がり、早朝は薄氷がアッチャコッチャで見られたが、日の出とともに素晴らしい冬晴れとなった。風もなく、穏やかな元日である。今日はワイの書斎である図書館も休みなのでヨンモルにきてこのブログをアップしております。ヨンモルも昼が近づくころにはぎょぉさんの人で混みだした。
下の写真は本日の午前十時過ぎヨンモルの前の公園から取った眉山。快晴、風もなく、陽光に当たれば早朝の寒さも嘘のようにあったかい。新町川も静かな湖面のように眉山や街を映している。
穏やかな冬晴れの元日は縁起のいい吉兆やろな、こりゃぁいい一年になるぞ、と願いたいが、うんざりするほど生きてきたこのジジの経験から言わせりゃぁ、みんなそれぞれに大変なことがあるんよなぁ、悲しいことに外れることが多い。
こら、こら、元日から縁起の悪いこといわんでつか、っていわれそうやわな、なんぼぅ、ジジイになって偏屈でほぅけほぅけしくなっていても、そんなこと元日から口に出したらいかんのや、悪い言葉を吐けば悪ぃことがやってくるちゅう考えは一理あるしな。
縁起悪ぅても本質をつくような言葉を形にして吐いていいのは悟りきったジイサンだけや。ワイはまだまだ。そういや、悟りきったジイサンになった一休はんはこんな句を元日作ったそうや。
『元日や 冥土の旅の 一里塚』
これ『俳諧連句』っぽうて、この前句にあと句をつけて
『めでたくもありめでたくもなし』
ごく最近は少し緩和してきたが、暦の区切りの特別の日はいくつもあるがその中で「元日」は一番重要視している。でもこれは江戸期以降らしい。明治~大正~昭和とそれが続き、ワイらのちんまい時でもおションガツっつうたらどの店も七日くらい休んみょったもんや。しかし中世では元日は暦のはじめとしてそれなりに行事もあったが、むしろそれより「立春」その前日の「節分」、そして1月7日の「人日(じんじつ)の節句」(今日の七草)が重要視された。
明治五年まで日本は太陽とずれる太陰暦を採用していたから太陽の運行に合わせるため一年の初めになるピンを黄道(太陽の天球上の軌跡)のどこかに止めて、それで月の運行とのずれを補正しなければならなかったがその一年の初めに打つピンの位置が「立春」である。だから月の朔(一日)と多少ずれるが立春頃に旧暦の元日が来るようにしていた。時として立春と元日が一致する年もあるし(そんな年はめでたいっちゅうて大騒ぎや)、また旧年中に(12月)に立春が来るときもあったが、だいたい立春頃になる。季節(太陽の高度)を無視してふらふらする旧暦元日より、しっかりと季節に連動された二十四節季の「立春」を実質一年の初めの打ったてとして元日より重要視したのである。
そう考えると中世の連歌師、山崎宗鑑はんが立春に作ったワイの好きなこの句も一年の初めの日にふさわしい句となる。
『佐保姫の 春立ちながら 尿(しと)をして』
俳諧連歌だから後句は
『霞の衣 裾は濡れけり』
である。
ワイが若いころから(このシリズの初めはなんと!ワイ高校三年や)好きだった映画に「男はつらいよ」があった。その寅さんが本業のテキヤをやっている時の口上が素晴らしく気に入っていた。その口上はながいがその一部に
『・・・粋な姉ちゃん、立ションベン、チャラチャラ流れるお茶の水~』
というのがあった。いつも笑ったものである。でも粋な姉ちゃんが立ションベンするかな?ワイのちんまい時は田舎のバァヤンが中腰になりお尻をつきだし着物をまくって半立ションベンしたのは見た記憶があるが、若い娘がなぁ~?
でも大学の古典のテキストで上の山崎宗鑑の句を見たとき、これを思い出し、こりゃあ、中世の寅さんやな、とニンマリした。
ワイのブログ、エッチな話だの、糞尿の話だののゲサクな締めが多いが、今年もまたそれを多用しそうである。
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