2019年6月2日日曜日

源頼光はん、殺生やわ

20181108

 先日見た広島神楽は「山姥」と「紅葉狩り」だがどちらも英雄伝説である。神に祝福された武者が里人を取って喰う妖婆や鬼を退治する話である。このような英雄譚のルーツを探ると神話にその起源が求められる。世界各地にそのような神話は存在する、有名なのはギリシア神話にあるペルセウスが怪物からアンドロメダ姫を救う話である。このような話はアンドロメダ神話といい、日本の古事記神話の八岐大蛇退治も同じである。

 これなどは美しい姫を救う英雄譚なのでロマンがある。じゃあ、美しくない娘は救うたらあかんのか?救う価値もないんか?といわれそうだが、神話は人から人へ語られ多くの人々から受け入れられる話である。美女でなかったらお話にならんやろ。とはいえ、日本神話のおもっしょいとこは、顔の御不自由(busu)な姫さんでも、美女に勝るいいとこを持っているのである。イワナガヒメは姉妹のコノハナサクヤヒメと比べて醜女(シコメシコメしき娘)であったが、このヒメと一緒になった男は永遠の命を得られるという永久アゲマンの女性だったのである。

 とまあ閑話休題(それはさておき)!アンドロメダ型神話以外にも英雄が神に祝福され怪力をふるいワルモノを退治する話がある。古事記日本神話では日本武尊の話が知られている。しかし英雄が滅ぼすいわゆる「ワルモノ」というのは今日的価値の悪人ではない。日本武尊は「まつろわぬものども」すなわち大和政権に服属しないものを「ワルモノ」としてやっつけるのである。政権や体制から見てそれに服属しないものはワルモノになるのである。そうしてそのような征服譚が語り継がれていくうちに反体制の人々は異形のモノとされ、やがて鬼だの妖怪だのにされて退治される話としてできあがってくるのである。

 源頼光は神話時代からの系譜をひくオーソドックスな英雄であるが、彼の英雄譚の一つに『土蜘蛛退治』というのがある。人々を困らせる土蜘蛛をやっつけるのである。しかし、この土蜘蛛という言葉の意味は古代において朝廷や天皇に従わなかった土豪を指す言葉である。伝説の土蜘蛛は大きな化け物のクモで人をとって喰うが、朝廷に忠実な武者である頼光が土蜘蛛を退治するという話は、朝廷に従わない部族を成敗したということの象徴ではないかと思われる。同じ頼光が大江山の酒呑童子を退治する話は日本海岸に流れ着いたおそらくアーリア系(白人)の異人を鬼とみたててしなくてもよい殺生をしたのではないかと主張する人もいる。

 下は土蜘蛛絵巻より、頼光、土蜘蛛を退治するの図、左が頼光、右が渡辺綱、私が見るにこの土蜘蛛怖くない、むしろ愛嬌を感じる、しかし、頼光はんは情け容赦もなく、刀で土蜘蛛の首を切ろうとしている。哀れなのは子クモである、どうしていいかわからず親のクモのそばをチョロチョロしている。今まさに親が首を切られようとしていてもなすすべもなく(おさないためか)かわいい顔をして見守っている。

 「頼光はん、殺生やで!」

 そうそう、ネットで源頼光の画像を探そうとするとなんと、このような超ボインの二次元イラスト美女がズラズラと何ページにもわたって出てきて、武者の源頼光はんがおらん!なんでや!なんやこれ?どうもこれ若いこの間で流行ってるゲームのキャラのようや、わいジイヤンやけん、なんも知らなんだわ。それにしてもこれが源頼光とわ、おぶけたわ。それにしてもこのでかチチ、異常やな。


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