2019年6月3日月曜日

クリスマスこぼれ話、なるほどこれが一神教なんやな

20181224

 前のブログでも紹介したように太陽の力がもっとも衰える冬至頃は、もしこのまま太陽の力が回復しなければ恐ろしいことになると、人々に不安を与えた時期であった。日本のように北緯35°でもそうなのだからもっと太陽が低く昼が短くなる高緯度地方はそれ以上不安であったろう。おまけに冬はぎびしくて長い。それだけに日本より高緯度地方に住む民族なんかはより強く太陽の力が回復することを希ったに違いない。ヨーロッパなどは特にそうである。だから日々日影の棒が長くなっていたのが上昇に転じた時は(つまり高度が高くなる)さぞやうれしかっただろう。民族の長い長い経験からその日は365日ごとに巡りくることがわかっていた。だからその日は太陽の力が回復に転じた日というので盛大な祭りが行われた。

 それの太陽が回復に転じた日というのが現代の暦でいう12月22日(年によって一日ずれることもある)冬至の日と言いたいが、ちょっと違う。前のブログのヒメコ大巫女はんの時も話したが、もう一度言うと12月20日前頃からは棒の日影は長くなるのが止まり、足踏み状態となるのである。今のジャスト冬至の日はその前日前々日さらには翌日と比べても変化がないのである。これは古代の目測ではやむを得まい。この足踏みした日々が過ぎて目に見えてはっきりと影が短くなった(太陽高度が高くなった)と確認できるのが25日頃となる。そこでこの日を太陽回復のまつりとしたのである。

 ここまで書けば皆さんピンとくるでしょう?クリスマスはいつですか、最近の若い衆はクリスマスは24日と思っているでしょうが、クリスマスは25日なのです。いやもっと正確にいうと起源ごろのユダヤの一日の数え方で一日の始まりは実は日没なんですね、一日は日没から次の日没まで。だからクリストはんの誕生日は当時の風習では24日の陽が沈んで一日が始まり、次の25日に夕方陽が沈むまでが誕生日と言いうことなのです。この25日のクリスマスは高緯度地方の民族のクリスト以前からあった太陽回復の祭りとぴったり一致しますね。もうお分かりですね。クリスト教のクリスマスは異教の太陽回復の祝祭を乗っ取ったものなのです。うんにゃ、そうではないだろう、たまたまクリストの誕生日と以前からあった異教の町理が重なったものだろうと、しかし、皇帝でも王でもないクリストはん、公式な記録が残っているわけじゃないし、証拠はあまりありません。でも今日ではクリスト教の信仰の篤い聖書学者でさえ12月25日はクリストの誕生日ではないといっています。つまりこの日が誕生日というのは大嘘と断定していいでしょう。

 クリスト教の歴史は2000年余りですがこの太陽回復のまつりはおそらくその何倍も前(大胆にいうと6000年前以上)から行われていました。しかしこの民族にもクリスト教が広まっていきます。クリスト教は一神教です。異教の神など許すはずはありません。でも古来から民族の祭として脈々として受け継がれてきたものは、クリスト教のボンさんが力の限り説教したってそうやすやすと追い払えるものではありません。そこでどうしたか?ここがクリスト教のドずんべらこいところですが、それは異教の大事な祝祭日をクリスト教の聖人の祭に重ねてしまうことでした。ほかにも民族が伝えてきたクリスト教以前の民族の聖地に無理にクリスト教会を建てたのです。そうすることによって、古い伝統や異教への郷愁が残っている人に祭りや聖地を重ねることによりうまい具合にそれらをクリスト教に取り込んでいったのです。全く、ドずんべらこいやり方ではありませんか。

 ワイらが心を寄せるこれらヨーロッパの古い異教に「ケルト」の民族宗教がありましたね。宗教というにはちゃんとした教義もないところは日本の神道と似ていますが、精霊崇拝、山川、森、木々にも神が宿るというケルトの大昔の人の考えは日本人と親和性が高いですね。また北欧の「北欧神話」の話は日本の古事記神話以上の英雄譚が面白く、これも記紀神話を持つ日本人にはスッと受け入れられています。北欧の人々の大きな樫の木に精霊が宿るというところなど、日本人の神に対する心性によく似ていますね。残念ながらこれは国々ではクリスト教の、以上見たような政策によりほぼ(表面上は)絶えてしまいました。これらの国ではクリスマスはれっきとしたクリスト教の聖なる祭りとしてもはや伝統になっていますね。

 それでは世界で一番ちゅうくらいクリスマスを楽しむ日本ではどうでしょう。うれしいことか、はたまた悲しいことか、クリスト教の聖なる祭りとしての意味はほぼ無化されていますね。心ウキウキ、宗教のことやしらんが、この日は、恋人や友達とちょっとはめをはずして騒ぎ、ジングルベェ~♪、を歌い、ケーキを食べ、きらびやかな電飾ツリーで目を楽しませ大いに歓楽する日になってます。ハロインもそうやったが、クリスト教のボンさんに言わしたら、全くこの日本ちゅう国は宗教的真摯さがない、布教に苦労するわと、でもここは八百万の神の国、そんな小難しいこと言わんとクリスト教の神さんも八百万の神と共存するなら十分やっていけまっせ。

 ここでちょっと大胆な推測をしてみよう。クリストはんってホンマはいつが誕生日なんやろ。確定はできんがワイのブログでは妄想は自由や。手掛かりはあんましないが、その中でワイが注目するのはやっぱ聖書や。聖書のルカ伝、第二章、八節にこんな言葉がある。クリストはんが生まれたちょうどその晩のイスラエルの荒野を描写したもんや。英訳欽定聖書ではこうなってる(聖書の最も古いのはギリシャ語、それからラテン語、英訳欽定はそのラテン語の訳)

 Now there were in the same country shepherds living out in the fields, keeping watch over their flock by night.

 意味は、羊飼いたちが夜通し、羊の群れの番をしていたっちゅうこっちゃ、このことから、この季節が12月の末ということはまずありえない。この地域、乾燥地帯であるが緯度はワイの住んでる徳島とほぼ変わらん。12月はかなり寒く、冷え込みはわが四国よりキツイ、霜も下りるし雪も降る、そして地中海式気候の縁でもあるためこの時期雨が多く悪天が続くことがある。この初冬にまず野外で羊の群れを夜間に番をするということはないそうである(今もそうである)、冬はちゃんと囲い込んだ家の周辺に群れを入れるのだろう。とすると、ここから大胆予測になるが、冬雨気候で冬の間たっぷり潤った大地に草の新芽が伸び、気温も上昇し、うららかな天気の続く3月から4、5月頃のイスラエルの野原の様子がこのルカ伝の記述の風景ではないだろうか。クリストはんは3~5月生まれの可能性が高いといえる。ということは4月8日もあり得ることで、そうなりゃぁ、お釈迦はんの誕生日と一緒や。

 先日、テレビでおもっしょいアニメをやっていた。「セイントお兄さん」、途中から見たからいきさつは知らないがなぜかクリストはんとお釈迦はんが東京の小汚い下宿に一緒に住んでいるというもの、うんと日常の些末な出来事にこの聖人二人が振り回されるというのが面白い、これで見るとお釈迦はんとクリストはんお互いがお互いのこと大好きで友情以上の愛情も感じられそうであるが、二人の誕生日が一緒だったらもっと面白い展開になりそう。お、もしかして双子か、いやちゃぁうわ、生まれた年がちゃぁうからな、でも東京の下宿に一緒にいるっちゅうことはどうゆうこと?わからん、続きも見てないからなぁ。

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