2024年3月15日金曜日

駅じまい

  昨日、お彼岸も近いので墓を掃除して新しい花(樒)をあげてきた。明後日の彼岸の入りは再び訪れて正式に香華をささげお祈りしようと思っている。この墓も私がなくなれば参る人はいなくなる。当然管理もできずいずれは無縁墓として整理の対象となるだろう。ふと「墓じまい」という言葉が思い浮かぶ。しかし墓じまいするにもそれなりの手続き、また永代供養をするなら宗教施設に頼まねばならない、また宗教施設が嫌でも、遺骨はどうにかしなければならず、遺骨を保存してくれるところが必要である(勝手に遺棄できないよう法律がある)。それにも相当の金がかかる。

 ネットで「一番安い墓じまい費用」と検索すると金額が出てくる。それによると30万~300万とある。最低の30万は墓の撤去費用のみくらいで、遺骨をどうにかする費用は入ってないのでそれを入れると50万以上はどうしてもかかるようである。同じくネットで一番安い直葬費用は?と検索すると、いま各葬儀社から格安の直葬費用が広告されている。6万5千円とある。なんと墓じまいの費用より、私の直葬の方が安い。考えると直葬は私一人だが、永代供養は先祖幾人もが累積しているからやはり高くなるであろうかな。

 墓じまいというような考えは浮かぶが、今の私にそんな墓じまいを実行しようという気力もないし、第一そんな高額の金もない。下世話でいうように「死んだ後のことはしらん~、どうとでもしてくれ、焼いて粉にして屁で飛ばそうともご随意にぃ~」と開き直りたくなる。いったいどないすりゃええんぞい。

 その「〇〇しまい」という関連でいうと今日、JR四国の徳島県内の6つの駅の「駅じまい」があった。板野駅、勝瑞駅、佐古駅、南小松島駅、羽ノ浦駅、石井駅である。どの駅も100年以上あるいはそれに近い歴史を持つ古い駅である。駅そのものは存続するが、明日からは完全な無人駅となるのである。駅員さんがいなくなるのである。6駅の中で私がなじみ深いのは石井駅である。最近まで(バス定期にするまで)JRの定期をこの石井駅の駅員さんから買っていた。また我が家のある駅ではないが、用事や友人と会うのにこの駅でよく乗り降りした。女性の駅員さんとは当然顔なじみとなり、駅で待つ間、いろいろな世間話もした。

 鉄道路線が廃止になるわけでもないし、また無人駅になっても駅が存続するのだから、なにも完全な「しまい」になるわけではないからいいではないかとも思われようが、この歳までいろいろな「しまい」を見てきたし、また我が人生の「しまい」がそこに見えてきたいま、このような「駅じまい」を見なければならないのはつらくなる。

 今日は石井駅まで列車で行った。駅員さんに一言、「お世話になりました」と言いたくなったためである。大勢の高校生の通学者が降りる一番最後から降り、改札口を最後に出ながら駅員さんに御挨拶すると、もう何人もの人から惜別の言葉をかけられていたようで、丁寧にあいさつを返してくれた。中には花を贈ってくれた人もいたようで、このようにいただいたんですよ、といって改札口の横に飾ってあった。最後に深く礼をして改札口を出たが、駅員さんの目が潤んでいたようにみえた。

 断って今日を最後の駅業務を撮らせていただいた。駅業務も明日からは見られなくなる。


 駅舎もやがては壊されて(管理する人がいなくなるから)バスの停留所のような簡易な建物になるのだろうな。

 13年前、(桃山日記の)ブログ(2011.3.4)に張り付けるのに、「愛の終着駅」BGMの動画を作った。画質は良くないが、駅じまいの今日、その歌を聞きたくなったので再度張り付けておきます。(撮影場所は小松島の赤石駅そして弁天島にかけて、春まだ浅い寒い日だった、当時は昔からの駅舎もあったが、今はバス停留所のような味気ない建物がポツンとあるだけである

2024年3月12日火曜日

アカデミィ賞について

  昨日から今日にかけてのニュースについて、ま、前日が3月11日ということもあって一面やトップニュスは「13年目を迎えた東日本大震災」に座を譲ったが、実質トップニュス扱いは、日本の映画が二本もアカデミィ賞を受賞して、目出度いなぁ、ちゅうことであった。


 喜ばしいことだが、素人のワイは気になることがある。アカデミィ賞の分野部門別の各受賞がゴチャゴチャとたくさんあることである。二本のうち「ゴジラー1.0」視覚効果賞たらいうやつ、アニメの「君たちはどう生きるか」というのは長編アニメ賞たらいうやつである。ワイは昭和前期に育ったためか頭のなかで、競争=賞、っちゅう結びつきが強い。なんぞっちゅうたら、どれが一番ぞいなぁ、その次は・・・と考えてしまう。

 だから今回日本の二作品がとった賞もそれに結びつけてしまう。「それって最高峰の賞か?それとも次点か?」と、そこでネットではどないいよんぞいなぁ、とみると、それぞれ映画のプロが評価し、また投票もし、各分野でもっとも人気のあったものを受賞と決めるので、ワイが考えるような、総合的に順番に順位をつけるように、これが一番、これがゲトっちゅうのはない。総合的判断からの第一位っちゅうのを決めてもよい気がするが、ともかく各分野で賞を決めるので、「今年ノミネトされた映画でこれぞ最高峰の映画!」ちゅうようなものはないらしい。


 そうはいってもハリウッドのアカデミィ賞でもっとももてはやされる作品の賞はある、まさにその名も「作品賞」を受賞したものであるようだ。また俳優個人としては「主演男優賞」「主演女優賞」も賞の中では大変価値がある。ことしの作品賞は次回ワイが見に行こうと思っている「オッペンハイマァ」他にも別分野で各7部門の賞もとった)であった。3月29日からこの徳島で公開予定じゃが、核科学物理学者の生涯を描いた作品で、どちらかというと地味なかんじがする。これじゃあんまし人気はでまい、もしかすると数週間でシネコンから引き上げかと思うとったが、アカデミィ賞をとったため、映画のミィハァがようけ見に行くかもしれん。ま、これを見て核兵器に関しての知見が広がるならエエこっちゃ。

2024年3月10日日曜日

岩脇香風公園

  羽ノ浦の岩脇へ友人とドライブに行った。朝はずいぶん冷えたが日中は雲一つない晴天となり、春らしい陽気となった。岩脇の香風公園は高台にあり、阿南市が一望できる。遠くには紀伊水道も見える。


 また今の季節の花として早咲きの桜(蜂須賀桜)と水仙が見られる。



2024年3月6日水曜日

最近見た映画の感想(二題)



 最近シネコンで映画を二作見た。「カラオケいこ」と「ボーは恐れている」である。前者はコメディーである。普通結びつきのないと思われる真面目な合唱部の中学生男子と、若いやくざが出会い絡みつくところから、ただならぬ展開が予想される。といっても脅しや恐喝のようなものではない。むしろ友情物語である。ありえぬ設定とも思われるが、絶対ないとも言えず、このような友情があってもいいな、と私には思える。中学生の少年とやくざの若者のお互いをおもいやる細やかな情の交換がほほえましい。これは部活青春コメディーの範疇に入るのではないか。


 二作目の「ボーは恐れている」は分類でいえばどのような映画になるのだろうか、展開の筋が一見ハチャメチャのように見えるため分類しにくいが心理スリラーというジャンルが思い浮かんだ。しかし映画のビラをみると「オデッセイスリラー」と書いてある。聞いたことがない映画の分類である。オデッセイ(帰省)とカッコ表記の説明もある。一種のロードムービーと思われる。確かに離れて暮らしている母親(謎の死を遂げたと連絡がある)のもとに向かう展開がある。しかしあえてオデッセイスリラーと言われているのには、ある意味が込められているとおもっている。

 オデッセイ古代ギリシャ叙事詩・オデュッセイアから)とは多くの試練、苦難の長旅10年にわたる)の叙事詩のことであるが、それだけではあるまい。ギリシャ神話(叙事詩)にはある複雑な心理傾向を表すオイディプスコンプレックス、エレクトラコンプレックスを持つ主人公が登場する。叙事詩オデッセイもやはり何らかのコンプレックスを有するとみられる主人公が登場している。

 成人しても人は父や母に対しては相反する複雑な心理を持っている。過度な親密さや甘えがある反面、反発、怒り、恐れ、あるいは殺意さえも抱く複雑な心理状態である。このボー(主人公の名)も母親、そしてまだ見ぬ父に対しこのようなコンプレックスをもっている。長旅だけでなく、それも含めギリシャ叙事詩にもとづく「オデッセイ」スリラーと表現したのではないか。

 ボーは中年のおっさんであるが、きわめて繊細で傷つきやすい心を持っている。それがためだろう心を病んでいる(怪しげぇな精神分析医が出てくるが、これもボーの主観を投影したものだろう)。だから映像ではボーの心象風景が現実のものとなって映る、それは異常な暴力や不条理、狂気が充満する世界である。ボーがそのように認識しているのである。

 これは心を病んだボーだけの世界だろうか、いや我々にも実は似た世界が現れることがある。それは睡眠中見る夢、「悪夢」の中である。我々が覚醒中の心の中は、良識、社会性、節度で言い表されるような「抑圧機能」が強く働いている。そのため心の奥にあるボーが持つような、他者(または世界そのもの)に対する恐怖暗い情動、コンプレックスは抑えられているが、しかし夢あるいは悪夢では違う、抑制や制約は働かず、それらは奔放にあらわれ、この映画のように脈絡なく異常な世界が次々現れる。

 最近私が見る夢は悪夢に近く、甘美さもあるにはあるが、あっという間に恐ろしいものに暗転する。それを見た瞬間はおそらくリアルに体現しているのだろうが、やはり夢である。目覚めると儚く薄れるが、いやな感じは後々まで残っている。このような私からすると、ボーの認識を映像化したシーンは一見わけのわからぬものに見えるが、十分共感できる。

 さいごに 映画の最終のシーンで、真の闇とも違う極めて薄い光がかすかに瞬くドーム状の中の水面が出てくる、ボーは逃れて(恐ろしい審判の場面がその前にある)ボートに乗って水面に漕ぎ出すが、突然爆発・巨大な水柱があがりボーは終焉する。これはボーの一生の終焉のみならず、宇宙そのものの終焉を象徴しているのではないかと私は見た。そのあとかすかな闇と静寂がかなり長く続く(そのままエンドロールに入る)、それは永遠に続くものと思われる。それはと同じように我々をぞっとさせる。この映画で唯一、誰もがたどり着く現実がおそらくこれであろう。それはいいようがなく恐ろしい。(両作品とも明日3月7日まで北島フジグランシネマで上映

 三月下旬公開の映画に「オッペンハイマ」がある。原爆開発の父と称される科学者を主人公にした映画である。これを次回は見に行こうと思っている。おもっしょかったらまた感想をブログにアップしようと思っています。

2024年3月5日火曜日

桜の花びら

  一日過ぎればこうも違うものか、昨日はうららかな春日の一日だったのに今日は未明から雨が降る。昼が過ぎてなおも降る。雨の一日だ。陰鬱な天気に同調するように体調は良くない。

 昨日の徳島城公園の助任川ぞい、満開の蜂須賀桜を愛でる人でにぎわっている。


 老いて朽ちた私は自分にふさわしく、下をうつむき、見棄てられた落花をこっそり見て歩く


 助任川に落ちた桜の花びらは、蛍のように淡い光を水面にきらめかせ、流れていく


2024年3月4日月曜日

椿園と大菩薩峠

  三月三日友人と一日のドライブに出た。出る時はどこへとも決めず、車中で気が向いたところに行くことにした。今日はひな祭り当日ということもあり、讃岐の引田のブギウギひな祭りはどうかとも考えたが、日曜と三月三日がかさなり車も人も混雑が予想されるのでやめた。それに五日前に坂本のひな祭りみたので、もうひな祭りはいいわ、ということであった。

 季節の花を見に行くということでは、梅と椿が考えられるが、私の好みで椿を見に行こうということになった。阿南市橘湾の山にある「椿自然園」を目的に定めた。ここは小ホテルもあり、宿泊もできるが、昼のランチ、そして展望露天風呂も利用できる。大勢の客で混雑するのを恐れていたがついてみると、人少なで、ゆっりと椿園の散策、そしてお昼のランチを楽しめた。

 周りの遊歩道にはたくさんの椿が咲いている。椿の温室もあり黄色の珍しい椿もあった。




 ホテルで食べたランチ

 橘湾を見下ろす景色もよい(動画)

 


 そして帰りは、橘湾へいったのなら必ず帰りに寄ろうと思っていた喫茶店に寄った。その名も「大菩薩峠」、この喫茶店に私が初めて行ったのは20代の時であった。友人から変わった喫茶店があるから行かないかと誘われてのことだった。何せ喫茶店の建物自体が、マスターの手作りで、その特異な建築が当時から話題だった。手作りだから木造のログハウスっぽいものかと思うが、なんと、中世の城や要塞のように煉瓦で作るというから、恐れ入る。ガウディーよろしく完成は(私の若い時の時点で)はるか未来ということだった。当時から作りかけ感漂う建物だった。

 もう30年以上来てなかった。入る前によく見ると、確かに前来た時より建物が増殖している。



 ヨーロッパ中世の騎士物語の撮影をこの日本で、この建物を使ってロケができそうだ。

 

喫茶室の内部はまるでノートルダム寺院の屋根裏にいるよう。丸い窓が印象的だった。

2024年3月2日土曜日

少子化

  先月下旬に発表された厚生省の統計によれば一年間の日本の出生率は過去最低となったそうだ。こんな状態が続けばやがて日本人がいなくなるということもあり得る。なんとか女性が二人ないしそれ以上生んでほしいと思うのは自然だろうと思うが、こればかりは強制どころか、いうこともタブーである。


 数日前にDVDで「女王陛下のお気に入り」という映画を見た。18世紀初めに英国の宮廷を舞台としている。主人公は三人いるが、そのひとり英国女王アンが出てくる。彼女のセリフで、私はたくさんの子を流産したり、幼くしてなくした、と映画の中で言っていたので、史実ではどうだろうかとネットで調べるとなんと17回妊娠し、そのうち13人は流産あるいは死産、のこり4人も幼くしてなくなり十歳以上まで生きた子は一人もいない。なんと!もし現在のように産科医療が発達していれば彼女は17人も子を持てた可能性があるのである。可能性としては一人の女性が17人も子を持てるのである。

 私が子供の時はまだ子供が5人あるいはそれ以上いる家もあった、昭和10年代は二けたの子を持つ夫婦もいたとよく祖父母が話していた。まぁそんな時代もあったのである。もうベビーブームはこないのだろうな。日本は衰退一方になるのか。