2012年4月11日水曜日

走馬灯


 前々回のブログは動画の歴史に関する事であったが、今日のブログでも少しそのことについて考えてみた。

 今は中高生のガキでもデジカメ、ビデオ、パソコンを持っているので「動画」など作ろうと思ったら容易にできるだろう。
 しかし、そんなに容易に動画を我が物にできても、動画の科学技術の本質的理解は、動画など容易に自分で作ることのできなかった昔の中高生にも劣るのではないのかなぁ、と思っている。なぜそう思うか、私の体験からお話しする。

 わたしの動画の科学的な理解は中学生の時、極めて退屈な国語の授業がもたらしたものであった。

 国語なんどは、読み書きのスキル、そしてあとはせいぜい作文の練習、とやれば充分であると思うのに、その先生は、たぶん純文学に思い入れがあったんでしょうなぁ、やたらとテキストの文章をこね繰り返し、主題がどうの、主人公の気持ちがどうの、とわけのわからないことを話し、揚句、自分の文学観を滔々としゃべるもんだから、私らにはちんぷんかんぷん、面白くないことこの上ない。

 授業をこっそり逸脱しやったのが、教科書の落書き、大文豪の肖像なんかはとっくに変装させられ、女装したり、怪しげな格好になったりしてましたが、そのうち思いついたのが

 『パラパラ動画』

 教科書で一番ページ数の多いのが国語の教科書、1ページ目から針金人形を少しずつ変化させ何ページも描き、パラパラページを繰ると、針金人形の動く体操が出来上がった。
 ボールをほうり上げる動作も作った。
 もっとも原始的な動画の出来上がりである。名づけて

 『パラパラスコープ』

 この中学生ころになると、動画の原理も科学本を読んで頭に入ってましたから、一秒間に数枚以上少しづつ違った絵を見て、錯覚で動くことになるのを実際に確かめたわけです。

 こんなことに興味が向いていた中学時代でしたから、動画の「科学技術史」(もちろんジュニア向きの)の本も読み漁りました。
 その時、たぶん、前々回のブログの主題人物のエドワード・J・マイブリッジという名前もその本に出てきたはずでしたが、忘れていました。その彼が撮った写真を元に作った、回転するスリットから見ると動画になるというガジェットを今日見て、その昔、ジュニア本で見た彼の業績を思い出しました。
 そのガジェット(動画装置)がこれです。
 ゾエトロープというそうです。見たことありませんか?
 なにか前世期のサーカス小屋や見世物小屋においてある呼び込みつきの見世物装置のような感じがします(って、おまえは19世紀を生きた人間か?言われそうですが)

 これを一方向のスリットから見ると、馬とそれの上輪くぐりするライオンが動いて見られるのです。

 「これは動画の原点となるガジェットなのです」

 さて、これを見ながら、また別の連想が湧いてきました。上の絵を見て連想したのが、

 『走馬灯』

 まったく原理は違うけれど、大昔の日本人が作った上の写真とよく似た円筒形または多角形のものである。灯籠が中で影絵を作って回るから回り灯籠とも言われている。

 この『走馬灯』は現在、言葉のみ一人歩きして実物を知る人は私以上の年配のものしかあるまいと思う。電気仕掛けは今でも見るが、ロウソクで動く走馬灯(回り灯籠)はまず見まい。なぜ内部の影絵のシルエットが動くか?というと実によく考えられていて、灯籠の光源であるろうそくの火の上昇に向かう弱い気流を紙の風車で受けそれが回るとそれに連動した影絵の紙の原画がまわる仕掛けである。

 それが内部でカラカラまわるとき、そのシルエットが一番外部の灯籠の薄い紙に影絵として映るのである。
 ろうそくの灯る限り、半永久機関のような回転の仕組みである。

 私が子供の頃、家の前に長屋のような家があったがその一軒にこの蝋燭の光の『走馬灯』が吊るされていた。
 暗い夜、もう何のシルエットか忘れたが、くるくる回り、永遠に繰り返すその追いつ追われつの絵の動きに何とも言えぬ不思議な印象を受けたのを思い出す。
 実はこのような体験があって初めて、先ほど言った、言葉上のみで今は残っている『走馬灯』という意味が鮮明になってくる。

 こんな話を聞いたことがある(よく考えるとその体験を語るのはあり得ぬ話で物語だとわかるが・・)
 「死刑の判決を受け、ギロチン(断頭機械)にかけられる男がいた。ギロチンに首を固定され、合図のドラムがとどろく中、うつらうつら夢を見た、そして断頭刃が落ちるまでのホンの数秒で、自分の一生が走馬灯のように蘇ってきた・・・」

 走馬灯はこのように使われるが、今は単なる「一連の思い出」くらいにしか解釈されていない。しかし、暗い夜、一点に灯るろうそくの光で、永遠に繰り返すその追いつ追われつの影絵の不思議さ、神秘さ、を体験したものは別の感慨が浮かんでくる。

 暗い中空に浮かぶ釣り灯籠・・まわり続ける円環・・永遠の繰り返し・・追いつ追われつ・・夢・・幻・・闇に消えゆく儚い光・・

 死ぬとき一生が走馬灯のようによみがえるとはどのようなことか?体験した人はたくさんいるだろうと思うが、もう二度と帰ってこない彼岸に行った人なので聞くことはできない。

私の好きな初音ミクちゃんの「走れ走馬灯」の歌があったので貼り付けておきます。

2 件のコメント:

Unknown さんのコメント...

走馬灯って、歌謡曲の歌詞によくでてきますよね。意味は妄想と思っていましたが、馬が走る灯篭ですか、死ぬ時の走馬灯現象は、人生の記憶の超早送りか、ハイライト特集か知りませんが、フラッシュバックが起こるんでしょうね。時空を超えた次元に行く時の登竜門的な体験じゃないでしょうか?(゜_゜)

yamasan さんのコメント...

私もこのブログを書き上げた後、知ったのですが、死ぬ時の走馬灯現象って、よくあるらしいですね。
 その解釈はいろいろあるようですね。

 ちょっと超常現象かSFっぽくなりますが、
 「たった数秒であっても夢は一生の長さの夢を見られる」
 と言ってたのを昔読みました。これも走馬灯現象の一種ですかね。