2012年4月11日水曜日
惜春
つい数日前、美濃田の淵で満開の桜の下を歩いたのに、今日は雨の一日となってかの地の桜もこれで一気に散るだろう。
雨に濡れて散った桜の枝木を無残と見るか、それもまた趣深いものと見るか、人それぞれであろうが満開の桜に比べて、トウモロコシの喰いカスのまばらな実のように中途半端に残る桜や葉桜を鑑賞する人はうんと少なくなるから、人気がないことは確かである。
昼前に雨が少しぱらついているが鴨島公園へ行った。小道の脇、隅にはうず高いという形容が大げさではないくらい桜が吹き溜まり、折からのお湿りにまだピンクの色は残るものの早くも濡れ落ち葉のような荒廃・朽ち、をみせている。落ちた桜の花びらほど儚いものはない、あっという間に変色し、まるで気化するようにその存在を消してゆく。
桜樹の花や花吹雪を愛で、鑑賞するのが世の一般の人。落ちて朽ちつつある桜の花びらなんどを鑑賞し、物思いにふける人間などはさしずめ変人か天邪鬼か、しかし、そういう私もその一人である。
もう数えきれないほど春を迎え、そして送り、だんだんに朽ちつつある体を持つ私にはこっちの鑑賞が似合っている。
公園の中を一筋の人工の小川が流れている。見ると幾片もの花びらが流れ下っている。このように落ちた花びらが水に浮かんで流れるさまを昔の人は『花筏』と名づけている。
「落ちた桜の花びらにも「美」を見出す人は昔からいたんだなぁ。」
流れる花びらの行方を追いながら、変わり者は自分だけじゃないんだとちょっとうれしくなる。
花びらはそこから十メートルも流れないうちにこれも観賞用の水車のところの小滝から池に落ちる。池にはたくさんの「花筏」が浮いている。
この花びらもやがて朽ちて池の底に沈むか、開口部から江川に流れ下って行く。
まったく詩心のない私ですが、本歌取りくらいならできるだろうと、さんざん呻きかえし、作ったのが次の和歌です。ほとんどパロディー歌(狂歌)と見てください。
過ぎてゆく 春の行方は 知らねども 流れに落ちる 桜の花びら (本歌は新古今でおます)
池の奥、写真では上方真ん中あたりに流れ落ちる小滝が見えております。
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2 件のコメント:
「桜散る」いい響きですね!
いろんな事を想像しますが、潔さという点ではカッコイイと思いました。満開に咲いて散るっていいですね。私の人生もこれで逝こうと思いました。(^o^)/
しんさまはかっこいいとこばかり取りますね。
捨てられどぶに転がり落ちたぼろ靴とか、濡れ落ち葉なんかのイメージも私としてはご用意できますが、やはり、美しく散る桜ですか。
誰か詩人が言ってましたよ、
「僕が神様だったら、人生の最後に青春を持ってくる」
と、桜で散るのは青春(まさに人生の春)に散ること、水を差すようで悪いですけど、しんさま、美しくはあるけど、青春というにはちょっと・・・・・
って、これ私のやっかみですから気を悪くしないでください。
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