2011年6月2日木曜日

政治勝敗ゲーム

 永田町では国民不在の政治ゲームをやっているようにしかみえない。
 そこで、普通なら不謹慎だが、私もゲームをやります。
 いたってシンプル。数時間後には結果が、勝敗勝ち負けゲーム。

 「不信任案は通るかどうか?どっち?」

 私は僅差で通るに賭けるとしましょう。(こちらが断然、ぶが悪いでしょうが)
 
 いま午前9時37分、さて

 皆さん、どっち?

3 件のコメント:

Unknown さんのコメント...

 こんな政治は空中分解して無くなればいいと思います。ある人が、政治は国民の意識の無邪気な鏡のようなものであるとおっしゃっていました。具体的には、国民一人々の意識の集合体である集合意識が政府をコントロールしているといううことですね。ですから、どんなに優秀な人がリーダーになっても、国民意識が低ければ空回りになるし、逆に国民の意識レベルが上がれば、バカな政治家は自然に消滅するでしょうね。結局は自分自身の問題に跳ね返るんですけどね。

yamasan さんのコメント...

 まったくそのとおり。
 チャーチルだったかな、政治の程度は民度に比例するって。
 
 国民は政治が無能とか貧困とかいうけど、そっくりそのまま、国民と相似形です。

 民主主義は非能率だけどどの政治制度よりマシ、とかいってたけど、ほんとかね、

 プラトンの「哲人政治」や老子かな、「小国寡民」の制度の方が、民主制よりいいかも。
 もう一度、検討すればいい。

Unknown さんのコメント...

ある人は王政がいいとおっしゃっていました。
意識の高い、啓発した方による政治ですが、ちょっと怖いような気もします。アルクトゥルス人は、今の人類の文明をバビロニアン・ルーレットといっていました。それはルーレットに当たった者、つまりごく一部の人が、ずっと財産と権力を握り続けるシステムのことみたいですけど、あったているように思います。問題は権力の分散か中央集権かということでしょうけど、どちらも弊害ありですよね。個人が全員啓発すれば、個人意識がが集合意識とリアルタイムで完全にコンタクトできるとおもいますので、部分と全体が統合したような理想の形の統治ができるような気がしています。