毎日暇な上に雨が降り続き、外へ出れなくて家で過ごす時間が多くなる。いきおいパソコンに向かう時間が長くなり、それに伴って、ブログも長くなる。冗長なブログは書かないようにしようと思ってもくだくだと書いてしまう。
作文技法の上手下手、また内容の質はおくとしても、一番大事なことは、伝えたいことを文章にできているか、そしてそれが読み手に伝わる文章か。の2点である。くだくだと長くなると幹より枝葉が多くなり、幹が隠れてしまう。伝えたいことが幹とするとそれは隠れては困る。
「だから長々しいのは、よせ。」ということである。
まあ、それ以外にも筋道のしっかりした論理的な文章を書くよう目指せという人もいるが、これについては言い訳がある。
私のブログはあくまでも「日記」である。日々心に思い浮かんだことや、日々の出来事を見、感じたことを思いのまま書き綴れるものとして「日記」の様式を選んだのである。
小論文を書くわけじゃないので、気の向くまま、心の向くまま、一貫性のない叙述だって許されるはずだ。
「夢日記」というのをつけてる人がいると聞く、自分の見た夢を朝起きると忘れないうちにすぐにノートに書くそうである。この日記などは論理矛盾、筋の破たん、何の脈絡もない唐突な展開ばかりだろう、だってそうじゃなきゃ、「夢」ではない。
ほらほら、私の文の悪弊として言った通りになってる。何が言いたいか「幹」の部分がかくれ、夢日記などと枝葉の関係ないものが混ざってきている。そのようにうだうだ書いてるからまた長くなる!
結局は、つれづれなるまま、思い浮かんだことを書き散らす日記ということで筋、論理からは外れていますのでご承知ください。
それにしても、歴史上も今も日本人って人に読まれることを前提に書く「日記」だの「ブログ」だのが好きですね。
当たり障りのない花鳥風月などを書いてる日記も多いんですけど、中には赤裸々なのもありますよね。私もその傾向がなきにしもあらず、なんです。
そんな日記を人に読んでもらうことを前提に書くって、悪く例えれば、自分のマスターベーションを人に見せたがっているようなちょっといやらしさを感じるんですが・・・いやいや、こんなたとえ話、考えてはいけませんね。
今日から少し短く簡潔に書こうと思っている。
あじさいの季節
欧米などでは6月は一番明るい季節なのに今日も雨空で陰鬱である。しかし厚い雲や雨で暗く、じめっとすればするほど何故かあじさいは冴えた美しさを見せる。
蛍光のようにまわりの光を受けた以上に光を跳ね返すような花弁のためだろうか。
公園であじさいを2枚撮影した。上は「ガクアジサイ」、下は柳の根方の「赤いアジサイ」
どこも今アジサイがきれいである。
「アジサイの花ことばってなんじゃろ」
家へ帰ってネットで調べるとなんと10以上もある。目を通してみるが、私にはピンとくるものがない。
だから私は自分で「花言葉」を作ることにした。漢字2文字で次のようにしました。
「微妙」
アジサイって土地の性質によって色が変わっていくし、なかには千変万化し、白~青~赤~紫のグラジュエーションを見せ、えもいわれぬ色の乱舞になるのもあります。
この変化する色を断定的に割り切り表すことは無理があります。それこそ「微妙」な色の味わいを感じて欲しいものです。
日本的な美の形容詞に
「微かなる」(かすかなる)、沢の蛍の微かな光・・・
「妙なる」(たえなる)、妙なる琴の音・・・
があります。この2つを結びつけたものが「微妙」なのです。
花々や新緑が輝くように美しかった初夏とぎらぎらするまぶしい真夏に前後を取り囲まれ、しっとりして少し暗い今の季節、美しく咲くアジサイに「微妙な美しさ」の言葉を与えたいと思います。
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