下は、佐古高架下、出来島川の川岸から沈む夕日を撮った。時刻は午後7時ジャスト。
足が悪い人であろうが、ねたきりであろうが、いや、たとい人を殺めた極悪人であっても阿弥陀様は極楽にすくいとるといういう本願をたててくれた。念じる人を取りこぼすことはないという。
むかしむかし、人を殺し、とても救われぬとあきらめた人がこの弥陀の本願におすがりすれば極楽に行けると聞き、西方に向かい旅立った。
ただひたすら
「阿弥陀仏よや、おいおい。」
と呼びかけながら、野や山、川を横切り西方へ、
幾日も旅をし、やがて陸が尽き、海に面した崖にたどり着いた。ここからはもはや進めない。
西方の海に向かって伸びた崖に生える松の先端にまたがり、
「阿弥陀仏よや、おいおい」
と何度も呼ばわっている。そして幾日も幾日も、
精も根も尽き果て、今わの際に、最後の力を振り絞り,ひときわ大きく呼ばわった。
「阿弥陀仏よや、おいおい」
そのとき遥か西方の海上から大声で
「ここにあり」
息絶えた男の口からは美しい一輪の蓮の花が開いたそうな。
わたしのもっとも好きな中世説話である。
我は何して老いぬらん、思えばいとこそ哀れなれ、今は西方極楽の弥陀の願いを念ずべし (中世今様・梁塵秘抄より)
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