我が家に来た子ダヌキのボンタ、ポンタ、ホンタは列車が大好きである。
いうことを聞かず、ぐずぐずと権太を言っていても列車にのせてやるとご覧のようにニコニコ顔になる。
動物の中で狸は一番列車好きなのではないかと思う。
もうそろそろ子ダヌキたちは寝る時間だが、今夜も寝る前に昔話を聞かせろと騒いでいる。そこで今夜は列車好きの狸の話をしてやった。
もう2世紀も前の話じゃった。わが鴨島の町にも列車が開通した。19世紀もおしつまった1899年、徳島から鴨島まで約20キロメートルを単線・狭軌の線路が敷設され、蒸気機関車が列車を引っ張り、一日5往復した。
旧街道沿いに作ればよかったんじゃろうが、なにせ、当時の迷信深い人々、やれ、火の粉をまき散らし火事が起こるだの、風水の地脈を断つだの、いって通さなかった。集落の密集地なんぞはもちろんダメ。やまさんのひいひい爺さんなんかも強硬に反対したそうじゃ。
いくら文明開化の世とはいえ、まだ19世紀の阿波の片田舎、轟音を響かせ黒煙を吐きながら疾駆する鉄の塊は、わけのわからんキリシタン伴天連の魔物のように見えたんじゃろな。
仕方ないので、できるだけ人家も田や畑もない原野を探し、通さなければならなかった。そんなところはといえば、川に近い原っぱ、山に近い林、石や岩の多い野原じゃった。
しかし、まあ考えておみ、そんな原野、確かに人口密度はゼロに違いないが、狸口密度はずいぶんと多かった。
今の場所でいうと、牛島駅から麻植塚駅にかけての一帯、人家はほとんどないが狸の巣窟だった。物寂しい場所で夜になると道を通る人も滅多にいなかった。当然、狸に化かされる人も続出しておった。
そんなところに鉄道がとおったんじゃ。さてさて、ボンタよ!おみゃあの先祖狸、どうしたと思う?
おタヌキ様はな、もともとモダンな考えを持っていたんじゃよ。ともかく、新しいもの好き、文明開化で西洋のものが入ってきたら、必ずそれに興味を持って、一応それに化けてみたんじゃ。
狐の野郎はそういう点保守的でな、新文物に興味を示さず、だんだん追い詰められ、徳川様の世が終わるのと運命を共にしたんじゃよ。
そんな狸だから、列車が通りだすやいなや、ぞろぞろと見物、まではよかったが、中には化け比べを挑む狸も出てきた。
え、誰と化け比べって?
蒸気機関車じゃ。なんといっても畜生の浅はかさ、おっと、これは失言!黒い鉄の大きな生き物と思ったんじゃろな。
もちろん夜、
この原野を突きっきればあと少しで終点の鴨島駅、機関士がラストスパートをかけていると、線路の向こうにヘッドライトに浮かび上がる美女。
「あっ、危ない!」
急ブレーキをかける。しかし、間に合わない、轢いたと思われる点から何十メートルも行き過ぎてようやく停まる。おそるおそる車輪の下を見たり、引き換えし線路の上を見るが何事もない。
横の草っ原の中を見ると二つの緑にひかる目がいくつもみえる。
「あ、狸のしわざじゃ。」
とわかる。
このようなことがたびたび起こるので鉄道会社も困り果てていた。
そしてこんなことまで起こってしまった。最終列車が牛島駅を出発して鴨島へ向かっているとき、なんと向こうからこちらに向かって列車が突き進んでくるではないか!単線だからこのままいけば大衝突は免れない。
もう機関士は必死で急ブレーキを操作する。
「ギギギギギギー!」恐ろしい音が上がる
あわや、という一歩手前で停まった。乗客は急ブレーキで車内で3メートルも飛ばされ頭、腰を打つ者続出。向かい合うボックス席では意図もせず、強制キッス、強制抱擁があちこちで見られたそうな、おおごとじゃのう。
機関士が飛び降りよく見ると
なんと!提灯を片手に持った狸が一列になって行進していた。
こら!という気力も萎え、機関士はヘタヘタと座り込んでしまったそうじゃ。
まったくいたずら狸どもよのう。
頭を抱えた社長は、ここらのタヌキの大将に頼みに行ったそうじゃ。
「もう、おこらえなして。」
しかし、大将曰く
「わしらも人様に迷惑かけるつもりはないんじゃが、わしら、蒸気機関車が大好きでの。見たら、もう一緒に遊びとうてたまらんのよ。」
そこで社長、
「あの~、どうでしょう、毎日、一匹づつ牛島から鴨島まで列車に乗っていただくということで、こらえてくれんでしょうか。一日一枚のみであれば葉っぱの切符でも結構です。」
「ただし、タヌキのままでは困りますので、人にお化けいただいて乗っていただくことになります。」
それで手打ちとなった。
じゃからのう。今でも、一日一人は人に化けた狸が列車にのっとるそうじゃ。
とここまで話し、子ダヌキを見ると寝るどころか目をらんらんと輝かせ、次の話をねだる。
「こらあ、はよねんかい」
(子ダヌキたちへの寝物語ですので、この話は私の創作で民話・伝説とは一切関係ありません)
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