四国には橋が架かり、車・バスで行き来できるようになり、京阪神へ行くのに船で渡る必要もなくなった。だが橋ができる前は、鳴門、徳島、小松島の港が海の玄関口であった。
昭和30年代はまだ定期航空便を利用する人は皆無といってよく、船便が京阪神への手段であった。当時は多くの客が小松島港経由であり、小松島港が当時の徳島の表玄関であった。
しかし、時代は変わった。小松島港の旅客船便は絶滅。それに代わって遠距離を短時間で直線で結ぶ航空便が賑わっている。そのため徳島空港が「空の玄関口」と言われている。
前にその徳島空港の動画をブログでアップした。
これです。
空の玄関口に対し、海の玄関口は衰退甚だしく、今や徳島港の南海フェリー乗り場のみとなりました。今日はその動画をブログにアップしました。ご覧ください。
この動画の最後の方に、犬が出てまいります。これを撮影しつつ私は驚嘆しております。なぜ私は驚嘆したか、この謎、解けるでしょうか?
6 件のコメント:
う~ん、難解ですね。南海フェリーだからでしょうか?犬を見て、やまさんいぬ(帰る)でしょうか?ダジャレで驚嘆はしないと思いますので違いますね。
喜捨は与えた人が居なくなるまで頂かないのでしょうか、それをこの犬に見たのでは?ちがうな~わかりません。(-"-)P
しんさまこんばんわ
しんさまだけはわかってくれると思ったのに残念です。
ちょうど一年一か月前、しんさまと私のコメントのやり取りを覚えていませんか?
この犬、あの時の犬であったと思い出しました。そんな馬鹿な、というかもしれませんが、私は信じます。
まるで奇跡のような話です。旦夕に迫ったかぼそい命が、一年一か月後も命のろうそくが燃えているのを不思議に思います。
私は間違いなくあの時の犬と信じます。その命の奇跡に驚嘆しました。
ちなみにこれがその時のブログコメントのやり取りです。
http://hcin5057.blogspot.com/2011/02/100.html
こちらはオリジナルのコメントです。
http://koromonotate.blogspot.com/2011/02/blog-post_02.html
思い出しました。あれから一年もたったんですね。思い出したということは、まだボケてはなかったということで、よかったです。犬も生きていてよかったです。(^_^)
>>しんさま
客観的に考えれば、全くの偶然で別の弱った犬放置されていたかもしれません。
しかし最近、心身ともに弱っているのと、ブログで「聖」の遊行を取り上げているせいか、何か奇跡を信じたい状態になっています。
「あれは、きっとあの時の犬であってほしい」
という願望の幻かもしれません。
それにしても、犬の悲しそうであるけれど悟ったような眼は忘れられません。
世界には多くの宗教があるけれど、動物にも仏性があり、救われるとするのは、インド系の宗教か仏教しかありませんね。
特に仏教は動物の殺生を厳しく戒め、肉も食べませんものね。
猫には笑いを催しますが、犬には一掬の涙を流します。
徳島の玄関口て、どこだろうか?小松島は壊滅、徳島空港は、投資した割にはあまり利用されていない。飛行機を使う人には、駐車場代を無料にしてほしい。
LCCを就航させて、有効活用を¨
徳島空港て、必要かな?
関空から格安のバスを走らせればいらないのでは。
徳島線、牟岐線は全国の中でも、指折りの赤字路線だそうです。もう少し料金を値下げして、利用しやすくすべきです。
>>てるさん
一年前のブログを見ていたら、テルさんが沖の洲の料理屋「ししくい」の前から深日フェリーがでてると書いてましたね。私は乗ったことがありませんが、テルさんは昔、利用されたんじゃないですか。
これらの中小フェリーはみんななくなりましたね。
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