2012年3月17日土曜日
やまさん中世を歩く その19 キリストとシーザー
キリストはローマ帝国内の一地方のパレスティナから出ることなく生涯を終えた。彼は清貧を貫き、世俗の権威・権力からは程遠くにいて、世俗の王国とは違う神の国を説いた。
キリストはローマの皇帝(一般名詞でシーザー、ツァーともいう)シーザーとは一度もまみえてはいない。
だいたいどの聖者といわれる人でも、清貧を旨とし、世俗の権威・権力は否定しないまでも近づかぬものである。(これは物理的な距離をも含む)
そのため聖者と最高権力者が面と向かうことなどはまずない。
ところが一遍さんは、最高権力者と遭遇し、面と向かったのである。その2人の遭遇は今に残る絵巻物に鮮やかに残っている。
今日の旅はその世紀の一瞬を見るたびである。
時は弘安五年(1282年)、場所は最高権力者のお膝元鎌倉である。キリスト(聖なる者)たる一遍さんに対するシーザー・ツァー(最高権力者)は、蒙古を撃退した鎌倉幕府執権・北条時宗。
それでは鎌倉に一遍さん一行と一緒に入って見ましょう。今回のガイドは、蔵本太郎信一殿は鎌倉御家人で北条執権の家来でもあるので遠慮いただいて、中立の公家の姫君である情事姫にお願いしたいと思います。
鎌倉は武家の都、京都などに比べるとそのつくりは大きく異なっております。武家の都だけあって、軍事を主眼に町割り、が考えられています。そもそも鎌倉の地形は三方を山に囲まれ、南は海、まことに守るに易く、攻めるに難しい要塞に向いております。
これこのように
それゆえ鎌倉に入るにはこの周りを城壁のように囲った山の坂を越えるか切通しを通らねばなりません。そこには関門がおかれ、通行自由というわけにはまいりません。
しかし聖教を広めている一遍様はそんなことにはお構いなく、もし、咎められればそれを最期と思う、とまで言い切り、巨福呂坂より入られました。3月1日のことです。上図の矢印で示したあたりです。
その時でございます。世紀の一瞬、ひじり様と執権北条時宗様が出合ったのは。その結果、いかがなりましたでしょう?まずは絵巻を見ながらお話しいたしましょう。
一遍さんはこの道は今日、執権様が通られるのを知らされ、知っておりました、しかし、それを強いて通られ、鎌倉に入ろうとしたのです。やはり、執権様とぶつかりました。もちろん先触れ。執権様の家来に咎められます。それでも一遍様は一歩も引かず、この場面となったのです。
一遍様の念仏を広めるため突き進むという気概に家来はたじたじとなりますが、家来は杖にて一遍様を2度打ち据えます。一遍様は
「このように制止せられては、自分はもうどこへも行く気はない、ここを死に場所と思う。」
とおっしゃり、動きません。
グッと睨みつける執権、負けじの一遍様の睨み返し、火花が散るところでございましょう。
一遍様につき従うものは杖、鞭でこのように追われております。しかし一遍様は引きません。
一遍様はここで最後となるのでしょうか?
執権様のご命令があれば、一遍様の首は一瞬で飛ぶでしょう。
しかし、しばらく一遍様と対峙し凝視していた執権様は、何か思うこと悟ることがあったのでしょうか、一遍様にこのようにおっしゃいました。
「鎌倉といっても規制外の場所もある。海岸、河川敷き、山の際、道の端、そこならば聖教しても咎めはすまい。」
と、
結局、その制外の場所に行き、念仏行を行い、鎌倉中の道俗が雲のように集まったそうです。
下の図はその鎌倉の山のそば(規制外の場所)で人々が集い、一遍さん一行にお接待をしたり、また一遍さんから教えを受けるところです。
これは3月1日の夜のことになります。
そして一遍様の鎌倉での目的は達せられたのでございます。
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4 件のコメント:
鎌倉て、いい所ですよ。行かれてみてはいかがですか。
Wiki には「弘安5年(1282年)には鎌倉入りを図るも拒絶される。」とありますが聖教は出来たんですね。まずは目的達成といったところでしょうか。
私が鎌倉入りしたのは1980年の5月です。卒業後大阪の西淀川の阪神電鉄の寮に入ったのですが、1ヶ月で鎌倉に転勤になりました。場所はちょうど一遍さんが鎌倉入りを試みた巨福呂坂方面にある鎌倉中央公園の西側の山崎という所です。一年ほどして4kmほど北へ引っ越すと何故か横浜市になってしまいましたが、浜っ子というより鎌倉っ子とか沼南ボーイって感じでしょうか?まあそんないいものではありませんが、こいらで7年間も過ごしていました。
時宗の総本山が神奈川県藤沢市の清浄光寺だというのも意外ですね。なぜか隣町ですけどね。何か縁があるのかな?(^.^)
>>てるさん
鎌倉に初めて行ったのは、高校2年の修学旅行でした。中世の歴史好きの私にとっては堪えられない街でした。
だからその後も何度も行きましたよ。
もちろん関東にいたてるさんも何度も行ったんでしょうね。
一度は車で行きましたが、ガソリンがびっくりするほど高かったのを覚えています。
>>しんさま
一応の社会人になったのは私と同じ22歳だったんですね。私の場合は、地元だったため何もなかったですが、遠く離れて旅立つしんさまは、かぐや姫の「22歳の別れ」の歌のようなほろ苦いロマンがあっただろうと推察いたします。
しんさまが鎌倉に住んでいたことがあるとは意外でした。いい街ですね。私は主に観光で何度も行きましたが大体一日でしたが、車で行った21年前は2泊3日で鎌倉の街の歴史観光をしました、小さい町なので、それこそ隅々までまわりました。鎌倉はちょうど指の股のような「谷・山」ヤツという地形が特長ですね。
今でも思い出すのは、銭洗い弁天です。行かれましたか。
他、歴史的地名を探し回って行きました。材木座、和賀江島、・・・だいたいどこを回っても表示の杭が建っていて説明されてますので見逃せません。
歴史的な寺も多いんですがその都度の拝観料には閉口しました。
いい街ですが私が住むには高級すぎます。敬して時々観光、遊びで行くのがいいですね。
次回の私のブログは、藤沢市で一遍さんの本邦初のディスコ、「サタデーナイトフィーバー」になります、ご期待ください。
それにしても鎌倉で7年、うらやましい限りです。いいことたくさんあったんでしょ。憎いね、この~~!(-_-)/~~~ピシー!ピシー!
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