2012年3月11日日曜日
やまさん中世を歩く その15 中世のロックか
京都にしばらく滞在したのち、8月、旧暦では仲秋になりますが、信濃の善光寺に参ります。急がぬ旅の蔵本太郎信一殿も、もの参りの旅の情事姫も同じコースを取っております。
この時代は江戸時代のように旅籠や茶屋はありません。旅は苦しく辛い一面、移り変わる美しい自然に魅せられ、和歌などを詠む楽しみもあります。また霊場を廻る旅は修行として、何か魂を浄化するような幸せな気分をもたらしてくれます。
さて一遍さん、それと蔵本太郎信一殿、情事姫は善光寺参りにどのようなコースをとったのでしょう。この信濃の国は五畿七道(日本の旧国は60余あるんだけど、それを地域別にグループ分けしたもの)の東山道になります。(ちなみに阿波はなに道?四国道?そんなアホな、阿波は南海道、じょあ、九州は?これは西海道となります。)
この東山道の昔からの幹線道路は江戸時代になって「中仙道」となります。一行はそのコースをたどります。
「え?あこがれの富士は見えるかって?」
見えます。ただし東海道コースじゃないから、信濃の諏訪湖あたりから、裏富士が見えるはずです。ちょっと旅のあの2人に追いついて聞いてみましょう。
ええ、京都から琵琶湖岸を通り、長浜から米原、そして「不破の関」、といってもわからないわね。今の関ヶ原ですよ。そこから尾張(名古屋)へ入り、木曽を通って諏訪湖へ、そこから和田峠を通って佐久(そうねぇ、知ってる地名でいえば今の小諸の南あたり)へ出たんですよ。
そこからは善光寺道が分岐してるからね。(今風にしゃべり、侍言葉はやめます)
その佐久の辺りで未来の人に見せたいものがいくつかあるから、紹介しよう。
まず市、月にせいぜい3回から6回しか開かれない。多くの日は閑散としている。
カラスや犬がやりたい放題、さびしい限り、あの福岡の市のような喧騒はどこにもないな。人っ子一人いやしない・・・あ、いた。乞食か?
わたしは女だから街道でモノを運ぶ女房達に注目して解説するわね。
皆さんの知ってる木桶は短冊様のいくつかの木の板を丸く組み合わせ箍(タガ)をしめてつくるんだろうけど、この時代はそんなのはまだなかったの。一枚の板を丸めて円筒にして桶を作ったの、よく見ると留めたピンが見えるでしょ。
なるほどね。こういうものにも技術の歴史があるんだね。
その同じ信濃の小田切というところでいきさつはよくわからないが、初めて念仏踊りを行った。下の図である。
拡大図でもよく見て欲しい、踊る人々、表情を見るとエクスタシィーに達していそうである。音楽リズム、踊りによるエクスタシィーは宗教的な「法悦」と共通するものなのだろうか。
左の一遍さんの拡大図を見た時、私、思わず、これ、ラテン楽器の「ギロ」かと思いました。まるで、
「用意はいいかい。行くよ、ほれ、ほれ、シャッシャカ、シャッシャカ、イェイ、イェイ、イェイ、イェ~イ」
とギロを擦りあげながらリズムを取っているのかと思いました。
しかし、これは喜捨の小箱だそうで違いました。でも、そんな雰囲気感じるでしょう。
この踊り狂う人を見ると「中世のロックンロール」という感じがしますね。
同じ国の大井太郎という家でも念仏踊りをしましたが、踊り狂い、人々が板敷を踏み破り、家の縁は抜け落ちてます。踊りが終わった後の家をご覧ください。
そして踊り果てて、満足げに帰る人々の様子。
デスコで踊り疲れ、明方、引き上げる現代の若者のように・・・・・見えませんか?
「そりゃ、無理!」
そうでしょうね。
でも踊り狂うことで法悦に達する。
「わかる気がしませんか?」
つづく
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2 件のコメント:
踊りでハイになるのは万国共通みたいですね。脳内にエンドルフィンが出るからでしょうか?音楽のリズムは、念仏のように繰り返されると思考停止状態になるのかな? これは雑念を追いやる方法論の一つと思います。
また、ダンスは筋肉をほぐし、血行が良くなり肉体的ストレスを取るのにいい様に思います。踊念仏は肉体と精神の両方からアプローチする、動的な瞑想方法ですね。すばらしい!\(^o^)/
昔の人ほど慣習や身分による縛りが強いから、つつましやかに暮らしているか?といえば、うんと昔のこの中世において、中世人はびっくりするような行動の迸りを見せます。
この衝動、エネルギーは現代人の比じゃないですね。
刹那的な享楽に命を懸けるような人、身も心も揺り動かし狂喜乱舞する人、
明日をも知れぬ中世に生きる人ならではの心性でしょうかね。
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