2012年3月6日火曜日

やまさん中世を歩く その9 中世でもこんな楽しみが

 オーケストラを聴く人々

 熊野を参拝した一遍は京、西海道(九州)を経て熊野参拝の翌年、建治元年(西暦1275年)秋に故郷伊予に戻ります。その間の絵巻の描写はありません。
 一遍は身近な人々、故郷の国の人々を済度するため戻ったと次のようにいっています。

 『われまず、有縁の衆生を度せんために・・・」

 そして絵巻は同国の念仏の道場(もちろん宗教施設ですが)での管絃に遊び戯れる人々を描写しています。
 これに対し一遍は多少風刺めいたことを言っていますが、このような管絃の音楽は一遍も嫌いではなかったろうと思われます。絵巻には歓び、うっとりとして聴き入る人々が描れています。

 この時代の管絃とは雅楽の楽器による演奏ですが、管絃楽を英語に訳せば文字どおり

 「中世のオーケストラ」といってもいいでしょう。


 3棟で催されています。まずは一番右の棟の管絃に聴き入る人を見ていただきましょう。
 
 この騎馬で訪れた武士、興に乗ったのか縁に片膝を乗り出して聴き入っていますね。その他、縁側には女性たちも行儀よく坐り聴き入っています。(3枚目拡大図をアップ)
 どんな曲なんでしょうね。まわりの景色は秋色を示していますね。色づいた葉っぱ。紅葉でしょうか真っ赤な葉も見えますね。
 今だとさしずめ『芸術の秋オーケストラ公演』でしょうね。

 上の図の右端、傘をさして演奏を聴きに行く人を拡大しておきます。いったいどういう人、身分の人でしょうか。傘の上部には何か巻物のようなものが結わえてあります。興味深い人たちですね。
 抱っこされた赤ん坊も800年も昔と思えぬほどリアルで生き生きした顔をしてますね。今にもグズグズとむずかりそうですね。

 次はこの同じ棟を左へスクロールして見た図です。縁に坐れぬ人は庭で立ったり座ったりして聴いています。
 真ん中の爺さん、一遍さんによく似てますが着てるものを見ると別人でしょう。この顔の輪郭をみると、生き生きとした初老男性のイメージが湧いてきます。もし今この絵師がいたなら現代の漫画家の能力よりまさっているのではないかと思いますね。
 演奏者が簾で影だけしか見えないのも心憎いですね。

 下の図は真ん中の一番大きな棟での演奏の様子です。演奏者は中にいて見えませんが、思い思いに感慨に耽りながら聴いている聴衆をご覧ください。


 サウナもしくは風呂を楽しむ

  次の年、一遍は九州へ向かいます。若い時修業した先生、聖達上人の禅室へ行きます。先生は大変喜んで、もてなしに「風炉結構」してくれたとあります。
 下の図がそれです。この時代の風炉とは今のどのようなものでしょう。お湯を張った風呂か、それともサウナか。まず見てみましょう。

 一人の僧は水を汲んでいます。今と違い水道ポンプなどありません。風呂ですから何杯も水がいるでしょう。上半身裸になって一生懸命汲んでいるのでしょうか。
 この釣瓶、天秤梃子の原理を利用した跳ね釣瓶です。なつかしいです。やまさんが子供の頃には、まだあって使っていましたよ。昭和30年代までは中世の揚水装置が残っていたんですね。

 もう一人は小僧さんでしょうか竈で火を燃やし、大釜で湯を沸かしていますね。よく見ると水汲みの僧侶の方を見ています。何か話しているのでしょうか。
 上部の屋根には煙出しの小さな破風屋根が見えますね。煙が籠ってせき込まないような構造になっています。

 T字型に続く棟が風呂でしょう。絵巻の詞書きに師匠と一緒に風炉に入って仏道について詳しく話したとありますから、今のサウナかもしれませんね。中が見えないのでちょっとわかりませんね。

 つづく

2 件のコメント:

Unknown さんのコメント...

雅楽は昔、友人宅で聞いてよかったので、CD買って聞いていました。その友人は真言宗おたくで、京都の雲龍院の住職と仲が良く一度連れて行ってくれました。なかなか風格がある寺院で、帰りに作務衣を買いました。自宅はマンションですが和風に改造しそこで精進料理をたべて、雅楽を聞くとハマってしまいますね。あすCD探しだしてまた聞いてみます。
 昔のお風呂も結構興味がありますね。蒸し暑い日本で昔の人はどのように夏を過ごしていたのか知りたいですね。この前久しぶりに平清盛を見ましたが、あの公家の人たちお風呂入っていたのかなと心配していました。(^o^)

yamasan さんのコメント...

雅楽を鑑賞する。いい趣味ですね。

 でもしんさまならわかる気がします。
 しんさまはバッハやグレゴリオ聖歌が好きですよね。 
 日本のクラッシックの珠玉ジャンルは「雅楽」、そしてグレゴリオ聖歌にあたるのは真言宗に今も歌い継がれている「声明」(声楽のみの音楽)です。

 洋の東西と場所は違っても共通する高尚で芸術的な音楽同士ですものね。

 やがてこのブログでも取り上げますが「法悦」という心理状態があります。
 エクスタシィーというものでしょうか。これは容易になりがたいものですが、音楽を聞いたり、リズムに体を揺り動かすことによって、エクスタシィーに達しやすくなります。
 「法悦」もよく似たものでしょう。中世のロックンロール、「踊念仏」を行うことによって「法悦」に浸れたのじゃないかと思ったりします。

 世界文化遺産の観点から言えば「雅楽」は中国西域あたりの音の響きが2000年の時を経て今、日本で聴けます。こんな音楽は世界のほかにはありません。すべてとだえました。古代ギリシャ、メソポタミアの音の響きなど推測でしかないのです。
 でも雅楽は1500年以上貴族の家で世襲で伝えられた生きた伝承音楽です。価値は高いですよ。(東儀さんはその家系です)

 でも雅楽の鑑賞は難しいものがあります。あまり聞いたことなない響きですからね。初めて雅楽を聞いた若者が

 「いつまでチューニングをしているのかな?まだ始まらないな、といううちに終わった。」

 とか言ってましたものね。不思議な和音の響きをオーケストラの最初の音合わせのチューニングと思ったんでしょう。