2012年3月9日金曜日

やまさん中世を歩く その12 売る人買う人


 中世は今より自給自足度が高い経済でしたが、すべてのものを自給できるわけではありません。足りないもの、必要なものは、他から手に入れねばなりません。安定してかつ平和的に手に入れるには交易をせざるを得ません。

 自分が生産して余る物を自分に足りない物と交換する。最初はこのような物々交換から交易は始まったと思われます。
 等価交換がもちろん原則ですが種類の多い様々な物品を同意して交換するのは難しかっただろうと思います。
 やがて基準となる物品が出てきてそれを媒体として交易はスムーズになり盛んになります。

 平安時代頃はそれは「布」「米」でした。銭はありましたがこの時代はまず、使われていません。平安時代末になって平氏政権ができた頃から中国の宋との貿易が盛んになり宋銭が輸入され「銭使い」も行われるようになります。

 この鎌倉時代は輸入銭が多量に輸入され売買に利用されるようになります。とはいえ布・米も銭の代わりとして使われていました。

 その売買の場所ですが、今のように店はまだなく、人が集まる広場などで月のうちの決まった日に「市」が開かれました。管理者はその広場を所有している者、神社仏閣、地頭らであったのだろうと思います。

 それではその市で売る人買う人を見てみましょう。

 まず、市の全景、前のブログで取り上げた備前国・福岡の市です。真ん中には一遍と武士がいます。市が開かれ売買の人で賑わっています。

 拡大して部分的に見てみましょう。まずは右端、魚を売る人々

 次は米あるいは穀物を売る人

 次は布や履物(下駄)を売る人々、歯の高い高下駄が見えるが、中世の道は舗装などなく雨が降ると泥のぬかるみとなる、このような高下駄は雨の日に必要だったのだろう。
 また売買に銭(銭を紐で通し、ナマコ状になっている)を使っているのがわかる。

最後は甕、お面を売る人が見える。
市は大勢の人が集まる。人に施しを乞ういわゆる乞食も集まる。一人見えている。
甕を置いてあるがもしかすると甕の中身を売るのかもしれない(酒、油、酢、塩など)
ただし2枚続きの下の甕は転がしてあって、多くあるのでこちらは甕そのものを売っているのだろう。


 つづく

2 件のコメント:

Unknown さんのコメント...

この時代から売り買いは発達していて、分業化も進んでいたんですね。お金は完全には普及してみたいですが、諸悪の根源の銀行業がないので、まだ良い時代みたいですね。お金に洗脳される前の古き良き時代といったところでしょうか?そんな気がします。(^_^.)

yamasan さんのコメント...

中世から銭が普及していたというのはそのとおりですね。昔、全国を放浪していたとき、北海道の函館の中世遺跡で何十万枚という銭の発掘現場を見ました。
 北の辺境でそれも中世、こんなところまで銭が普及してるのに驚きました。

 いえいえしんさま、もうこの時代から金融業なるものが出てきてあくどくやってましたよ。銭とともにその悪徳も出てまいりますね。

 これこれ、女金融業者ですよ。
http://koromonotate.blogspot.com/2011/10/blog-post_30.html
 このブログの一枚目が憎むべき金融業者です。憎々しい顔をしてますね。

 でも全般的にこの中世は、のどかでもちろん自然美しく、ホントに旅をしたり住みたくなります。