前々回のブログで太郎のぶかず殿にお話しを伺いましたが、一緒に旅をしている情事姫も
「妾(わらわ)にも話をさせてたもれ。」
というので今回のブログは情事姫についてのお話しとなります。しかし、この姫はあまり氏素性を明かしたくないという情事、いや、事情があるようなので、主題を『女人(にょにん)の旅』ということに限定してお話を頂くことになりました。
では、まず私から話の口火を切りましょう。
姫にお伺いしたいのですが、中世の旅で女人が旅をするということは一般的だったのですか。治安が悪く、悪党どもに襲われ、姫のような高貴で美しい女性などは危険が多いと思うのですが。そのことも含め、「女人旅」というテーマで自由にお話し下さい。
皆様は誤解されているようですね。中世、そして封建制度の時代ということで、多くの人々は故郷にしばりつけられ自由に動けなかったのではないかと。
しかし中世は、この意味で(土地に縛られないという意味で)自由な民はたくさんいたました。絵巻にもたくさん登場しています。
遊芸人、ひじり、修行者、神人と称する者、乞食、浮浪者・・・
これらの人は旅を住処とするところがあって、実によく全国をあちらこちらと動いております。その中には当然おなごも含まれております。
また、妾(わらわ)のような高貴な女人でもけっこう遠くまで日数のかかる旅をしています。
具体的に例を挙げた方が良いでしょう。妾(わらわ)と同じ時代、やはり妾(わらわ)と同じように長い旅をした2人の貴族の女性を紹介しましょう。
お一人は「阿仏尼」さま、このお方は息子の土地の相続をめぐってその訴訟の為、京都から鎌倉までの旅をしたお方です。
この時代になると権力の場所が移り、京より鎌倉で裁判をしなければならなくなったのです。
「阿仏尼」さまはこの時の旅の日記を残しておられます「十六夜日記」がそれです。
お二人目は「後深草院二条」さま、この方は私と似ております。(何故か情事姫、顔を赤らめる) 宮中での男遍歴が祟り、板挟み、ジレンマ、にっちもさっちも行かなくなり、出家、西行にあこがれ、全国を修業の旅にでるのです。
か弱い女でもそれができるんですから、どうです、皆さん!この時代、皆さんが思ってらっしゃるほど窮屈じゃないでしょ。
このお方もその情事と云おうか事情を「とわずがたり」という、告白日記兼旅日記に書いております。
なにか、意味深な題名ですこと・・・おほほほほの・ほ!
いくつか女人の旅姿、といっても長距離の旅ではないが、絵巻からいくつか紹介しましょう。
そして妾(わらわ)のように身分の高い女性が長距離旅する場合は、荷物も多くなり、やはり3人くらいのお供はこのように必要となります。
どうです。皆さん。中世といっても、道には様々な女性が、歩き、そして旅をしているでしょう。
2 件のコメント:
いつの世も、男女入り交わらないと面白くもおかしくもないですね。ましてや宗教や、教え、生き方、癒しがテーマならなおさら固くなりがちな中、やはり女性がいると落ち着くというかほっとします。一遍さんと同行している超一、超二の尼形もドラマに色を添える役割でしょうか?よく解りませんが、あまり男尊女卑が進んでいない様なので、良かったような気がしました。ヽ(^。^)ノ
世界史から言うと日本は男尊女卑の国ではなく、中世においても女性は重視されていました。絵巻の女性の姿を見てもわかると思います。
日本の最高神は女神ですからね。
母系制の強い社会だったと思います。
卑弥呼の邪馬台国じゃないですが、女性が一歩前に出て、男性は一歩さがる方がうまくいく気がします。
特に社交や渉外はもう女性に任せましょう。
ところでしんさまとこは夫権、婦権どっちが強いですか。ってまたいらぬことを。
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