2012年3月25日日曜日
やまさん中世を歩く 番外編 エピソード2 二人のその後
中世旅日記も終わりが近づいておりますが、何年も旅をしてきたお二人の今後が気になるところです。お二人とは蔵本太郎信一さま、情事姫のことです。
この旅日記、終焉の地は決まっております。わが家から南へわずか2キロばかり言ったある廃寺です。お二人もご一緒にこの阿波国、麻植ごおりのこの地まで旅をされました。そこで
「はい、解散~」
でそれぞれ別の人生を・・・・・ではあまりにも味気ないので、妄想から生まれたキャラお二人、ここは阿波国でもありますので、お二人にふさわしい妄想ロマンを用意しました。
ただし、このロマンは途中までで、結論はどうかこれをお読みの皆様でお選び下さい。
それでは「やまさん中世を歩く、エピソード2」、始まり始まり・・・・・・・
さて、旅の終わりの地は、ここ阿波の国、麻植ゴオリ、お二人は一遍さんとずっと一緒に旅をしてまいっております。
考えれば不思議なことではございませんか。情事姫は都にいられぬ事情があり、全国の霊場を参拝しているから、一遍様ご一行と行動を共にし、ずっと一緒についてくるのはわかるのですが、太郎のぶかず様は歴とした鎌倉御家人、それにこの阿波国の名東郡に広大な荘園もお持ちです。なぜに捨て聖のように一遍様について回っているのでしょうか。
実は、太郎のぶかず様は、身に覚えのない「謀反」の罪を着せられて、幕府より追討令が出されているのでございます。
もとよりいわれのない罪ございますので、鎌倉へ参りまして身の潔白を証明なされば良いと思うのですが、政事(まつりごと)の世界は、「質実剛健」「単純にして剛毅」な鎌倉武士の美徳とは違うものでございます。
鎌倉の政事の中心にあっては、魑魅魍魎のような権力亡者が跋扈し、正義が通るようなところではなくなっていたのでございます。
この最後の旅の地は正応2年(1289年)でございましたが、それを遡ること4年前、弘安8年に鎌倉を揺るがす政変、霜月騒動が起こったのでございます。 (霜月騒動についてはここクリック)
前に太郎のぶかず様のご紹介で触れましたが、弘安年間、鎌倉の政事の中心は安達泰盛様でございました。このブログで恩賞奉行になっておられる方でございます(ここクリック)
このお方は、恩賞奉行も務めた鎌倉の中枢にあっては、古武士の美徳を有する、公平な方でございました。この太郎のぶかず様もそのようなお方ですので、尊敬しこころを寄せておりました。結果、それが、あらぬ謀反の罪を着せられてうち滅ぼされた安達泰盛様の与党(一味同心)と見られてしまったのでございます。
鎌倉の合戦で泰盛様が討死なさると、その跡を襲った権力の亡者どもは、泰盛様に与すると思われる武士のリストを作り、追討令を全国に発したのでございます。
この時のぶかず様は京都におられましたが、即日、国元では阿波守護の軍勢が押し寄せ、広大な領地は没収、奥様は同国の豪族の娘であったため、里元に連れ戻されたのでございます。
この日から太郎のぶかず様は、謀反人、さて、どうしたのでございましょうか。
のぶかず様は、鎌倉へ出向き、通らぬまでも身の潔白を申し立て、かなわぬなら腹切ってでも、と思い立ったのでございます。
それを必死で止めたのはほかならぬ情事姫でございました。
「理非をわきまえぬ悪人どもが巣食う鎌倉へ行けば汚名を着せられ、申し訳も聞かばこそ、即、打ち首、さらされるのは火を見るより明らか、それよりかは、どうか、落人となってお逃げくださいませ。やがて時運めぐらば潔白を明かすときも来ましょう。それまではふつつかながら、この私がお世話いたします。」
で、それから足かけ満4年、世を避けるように一遍様一向に見え隠れしつつ後を追っての落人の旅でございます。
しかし、ここ太郎のぶかず様の故郷、阿波では謀反人の御詮議は厳しく、この終焉の地からいかにしようかと思い悩んでいるお二人でございます。
その時、一変笑人さまがこのように言われたのでございます。
一変笑人さまのお教えのようにお二人はここより西に5里ほど行き、山あいから流れる穴吹川を遡り、平家の里に向かうことにしたのですが・・・・・・・・・・・・
さて、ここからのお話しの結末は皆さんそれぞれの選択方式にしております。
次のサイトにお飛びくださいまして、皆さんのお好きな結末をお選び下さい。
ここクリック
それではこれを持ってエピソード2、読み切りとさせていただきます。
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2 件のコメント:
一遍さん阿波に来てたんですか。太郎のぶかずと情事姫とかどこまでが実話かわからないのですが、なんとか話の流れはわかったような気がします。のぶかずさんは謀反人だったんですね。私もそうだったような気がしないでもないですが、どちらかといえば源氏か陰陽師のほうがいいような気がします。(^.^)
一遍さんがうちの近くの寺で念仏行を行ったのは事実です。今は廃寺になっています。
最後のブログはここで終わろうと思っています。
鎌倉の騒動は歴史的事実です。しかし、太郎と情事姫の話は事実ではありません。しかし、いまNHKでやってる「清盛」と称する大河のでたらめさぶりに比べたらこちらのほうが真実に近いですね。
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