2012年3月2日金曜日

やまさん中世を歩く その7 文永11年という年


 前回、一遍さんは難波の四天王寺に参拝をしたが、その足で高野山にもお参りする。同じ文永11年であったが、この年の10月、日本は上を下への大騒動が起こる。
 日本史にあっては大変稀なことだが、いわば日本史と世界史の「大激突」、「蒙古襲来」である。

 世界史上、大帝国を築いた国はたくさんあるが、その中でもとびぬけて大きい領土、当時の旧世界すべてといってもいいだろう、を征服し、空前絶後の大帝国を打ち立てたのがモンゴル帝国である。
 ともかく強かった。モンゴル族は遊牧民族の為、数は多くなかったが騎馬・騎射の腕前に長け、無敵の征服を続けた。そして、ユーラシア大陸全地域をカバーする帝国に発展したのである。

 数多くの国、それも衰退期にある国家ではなく、興隆著しい最盛期の国の喉笛を噛み切って滅亡させたのであるから、いかにその征服の戦がすごいかわかるであろう。国の滅亡のみでなく、この征服によって多くの民族も滅亡を余儀なくされた。

 ユーラシア大陸をすべて征服した・・・といいたいが、2か所だけ征服されなかった地域がある。何とか撃退して征服を免れたのである。
 その2か所が「西ヨーロッパ」と「日本」であった。
 この2か所、ユーラシアの西と東の辺境、そして中世・封建制の時代ということで共通している。世襲領主の騎士、武士が戦の主力ということでも似ている。

 モンゴルによる国家滅亡という危機がこの文永11年であった。大陸から日本征服の為、大船団、軍兵が九州に襲いかかってきたのである。

 しかし、一遍さんはそんなことにかかわりなく、ひたすら神社仏閣を廻る遊行の旅を続けている。

 「宗教家だから戦なんかとはもともと関係ないじゃん!」

 というなかれ、この当時、僧侶や神職は、みんな競って「異国調伏・敵退散・敵敗退」を祈るのが仕事だったのである。そして祈りの通り勝てば、

 「わが仏、神の威力のお蔭であるから、なにとぞ恩賞を頂きたい」

 と要求するのである。中世にあっては「祈る人」も戦いの、ある意味、参加人で、恩賞が期待できたのである。

 では旅を続けますが、一遍さんはかかわらなかったとはいえ世界史的な大事件のこの年の九州での日本軍・蒙古軍の戦場をまず見てみましょう。

 いきなり戦いが始まっております。これは陸上の戦いです。蒙古軍は集団戦法。我が方は
騎馬武者とその周りの郎党の従者が進み出て、敵味方それぞれに騎馬中心の一騎打ちを基本とした戦法。

 「やあやあ、遠からん者は音にも聞け、近くば寄って、目にも見よ。我こそは、阿波の住人、〇〇であるぞ、いざ、勝負」

 と大音声で名乗りを挙げ、それから相手も騎馬武者を中心としたグループが進み、同じように名乗りを挙げ、チャンチャンバラバラを始めました。 なんかほとんどスポーツのようですが、でも命のやり取りをするんですからやはり戦です。ヨーロッパ中世でもトーナメントのような一騎打ちがありますから、両者似てますね。
 でもこんな戦の作法はさすが源平時代ならいざ知らず、この時代には廃れてきてました。しかし由緒正しい武士同士はこの方式で戦をしていました。しかし、蒙古軍相手では全く勝手が違います。

 「どっちが有利でしょう?」

 これで見ると我が方は不利ですね。おまけに新兵器「てつはう」(爆裂弾)まで飛んできます。 

 こちらは蒙古軍、上下2枚同じ、拡大図。顔を見ると人種的に面白い。ニューヨークの人々のように人種のるつぼ状態か?

 次は海戦、まずはわが軍、小舟で漕ぎ寄っている。

 次は蒙古軍、船は大きい

 そして入り乱れての戦い。海戦では我が方が有利か?

 九州での緊張の高まりをよそに(実際に戦が始まるのは十月、旧暦で初冬)一遍さんはこの年の夏、前回のブログの天王寺参拝をすませた後、高野山に向かいます。
 下は高野山3枚の図、左へとつながっている(絵巻たるゆえんである)

 高野山から一遍は熊野詣でをします。中世は熊野信仰が盛んで、大勢が参拝道をまるでアリの行列のように参拝したところから「蟻の熊野詣」と呼ばれています。
 たくさんの神仏に出会えるところでした。その中でも熊野三社は有名です。「本宮」、「新宮」、「那智大社」です。
 高野山から山を越えて行くとまず「本宮」を参拝するようになります。その本宮から「新宮」へは熊野川を下る船で行きます。まるで日本ラインの船旅のような急流を小舟で下ります。
 絵巻を見ると、急峻な山々の間を蛇行する川を危うげな風情の人、船が見えます。スリル満点ですね。

 この熊野詣での途中、一遍はある人に遭遇し、霊感を受けるのですが、それはまた次回のブログでお話しします。

 つづく

2 件のコメント:

Unknown さんのコメント...

人間は昔から殺し合いばっかりしていたんですね。斬られたら痛いのに、何故他人を傷つけるのか不思議でたまりません。学習能力なしですね。生きる資格なしと思います。なんてね。(^.^)

yamasan さんのコメント...

この一遍さんは武士の家系に生まれましたが、一生、人を傷つけず、人を救うことに心をつくした人です。
 人類の中にこういう人も現れるからまだ希望がありますね。
 まあ宗教家はみんなそういうことを標榜してるもんだけど・・・
 一遍さんは純粋にそんな人だと思いたいですね。
 以後、どんな旅をし、行動を起こすか、注目です。