「アポカリプト」の映画は作られた時から、史実として存在した2つの文明を混同しているという指摘がありました。「マヤ」と「アステカ」です。映画はマヤ語でつくられていたため、マヤ帝国か、と思うのですが時代を見ると(スペイン人が最後登場する)これはアステカ帝国です。
しかし、どちらも古代アメリカ文明に違いはありません。多くの部分で共通するものがあります。今日は、できるだけフィクションは排除し、この映画からわかる古代アメリカ文明の特徴をとりあげます。見終わった感想なども交え、お勉強できたことをブログにまとめました。
金属の利器
最初に映画のワンシーンをご覧ください。右の戦士の右手に持っている武器にご注目ください。
映画ではこのナイフ状の武器のアップシーンもあるのですが、これではちょっと見にくいかもしれません。
これは金属ではありません。石器なのです。黒い色をしてますね、これは「黒曜石」からできています。
「なんでそんなこと断定できるんじゃ!おまいは小道具係のスタッフか?」
と言われそうですが、これは石器をホンの少し勉強したことある人ならすぐわかります。鋭い刃をもつナイフ、矢じり、槍などに多く使われます。
「黒曜石」は天然のガラスなのです、割れ目が極めて鋭く鋭利になります。皮膚、肉などは容易に切り裂けます。割れたガラスでけがをしたことのある人ならその切れ味はよくわかると思います。
よく切れる刃を作るのに必要な黒曜石は珍重されました。だから古代はこの「黒曜石」は交易品として非常に貴重な価値で取引されました。
しかし、帝国は広範囲を支配におさめ、黒曜石も独占的に所有したのではないかと思っています。
この映画で見る限りは金属器は使っていません。実際に古代アメリカ文明は金属器は装飾品の金銀、若干の自然銅が知られていただけで、利器として金属は使用していません。
新石器時代と古代文明との違いは利器が石器か金属かといわれています。これでいうと古代アメリカ帝国は旧大陸でいう古代文明の入り口近くの段階にあったといわれそうです。しかしこれは、あくまで旧大陸の文明基準です。金属器は発達しませんでしたが、他の分野では旧大陸の古代文明と同等かそれ以上のものもありますから、金属器の有無だけでは一概に判断できません。
疫病およびシャーマン
捕えられた主人公が帝国の中心部へ向かうとき疫病の村を通りますね。疫病でばたばた村人が大量死しています。
「疫病・パンデミック」
これも古代文明を語る上で重要な要素です。
人類史上、最初の文明は都市に人を密集させ、通信・交通手段網を築きました。人の集中、広範囲にわたる人の大量かつ速い移動は、今まで地域限定の風土病にしかすぎぬ伝染性の病気を帝国全土、そして古代世界すべてに広がる「パンデミック」という恐ろしい病気に変えていきます。
伝染性の病気は広がるにつれ、DNAを変質させ、より感染性、致死率を強めていきます。
文明は人類にとって「最大多数の最大幸福」という面も持っていますが、パンデミックによって文明人口の大半が死亡するというリスクも負ったのです。
さて、映画です。よく見ると死亡者、瀕死の人、少女の顔や皮膚にに痘瘡状のたくさんのポツポツが見られます。発疹よりもかさぶたに近いでしょうか。
このような症状が出て、死亡率が高いので思いつくのは、「天然痘」と「麻疹(はしか)」です。この映画ではこれ以上詮索は無理ですが、私はこれは「天然痘」を暗示してるのではないかと思います。
確かに天然痘は旧大陸の病で、最後のシーンでのスペイン人の遭遇がありますから、この時点の感染は早いのでないかとも考えられますが、征服の20年前からスペイン人は、小規模な上陸をしてますから大規模遭遇以前に疫病に感染するのはあり得ます。
抗体の全くない民族の「天然痘」「麻疹」に対する感染率・死亡率の高さは身の毛もよだつもので、全部落絶滅もあり得たのです。
一説にはこの2つの疫病でアステカ帝国地域の人工は20分の1になったといわれています。これなどを知ると、スペインのごろつきどもより疫病が文明を滅ぼしたという面が強いです。
そして少女が憑依して運命を語ります。この憑依状態の女性をシャーマンと呼びます。科学的にはヒステリー症状というらしいのですが、私はそんな科学的な割り切り方は支持しません。
古代社会ではシャーマンは重要な地位をしめます。日本の卑弥呼の例でもわかりますね。神権政治にシャーマンはよく登場します。
特に北方アジアの女性遺伝子にこの素質が多いのではないかと独断的に思っています。この少女の遺伝子の中に氷河時代アジア北方から渡ってきた遺伝子が紛れ込んだとしても不思議ではないと思います。
結果的に予言は恐ろしいくらい当たります。熱に浮かされた少女が突然憑依するところは、じわ~と後から効いてくる恐ろしさがあります。
「ほなけど、白人たちの観客にこのシャーマンの意味わかるんじゃろか。疑問じゃ」
人身御供
さぁさ、寄ってらっしゃい。見てらっしゃい、世界の不思議、驚異の世界、神の祟りか、因果の報いか、ここに出でました人身御供。胸をザックと切り裂き、心臓を抉り出せば、まだピクピクと・・・・・・・
と前口上を張り上げたくなる。映画の中の最大のハイライト。
あまりのむごさに顔をおおう人も、しかし、たいがいはおおった手の指の隙間から覗いてます。
「ひどい、ひどいわ~」
「極端に残虐すぎるんじゃないか」
「こら~!オカルト、スプラッター映画か、たいがいにせい」
とお叱りを受けそうなシーンですが、細部はこだわらなければ完全な史実。このような方法で毎日、いいですか日替わりですぞ!このような方法で人身御供されてました。
古代社会では驚くべき数の生贄、王の死後、多数の殉死者を出すのは一般的でした。
中国の古代社会の殷の「殷墟」の墓では、1000体近い殉死者が一緒に葬られています。まあ、どこもこんなもんです。
決して誇張とは考えないでくださいね。アステカでは上のイラストに見られるように同じことが繰り返し行われていました。(この絵は高校の世界史の教科書からとったからまず間違いはないでしょう)
とうもろこし畑
主人公が広い闘技場のようなところに引き出され、槍や弓で犬追物にされなぶり殺しに会うシーンがありましたね。
覚えてますか、思い出してください。
唯一、逃げられるとしたら、はるか向こうに何やら人間の背丈より大きい、黄色く枯れた、茎と葉の植物の畑がありましたね。実際、主人公はそこへ逃げて助かるんですけど、これはトウモロコシ畑です。
監督は意図してこのシーンを設定したのかどうかわかりませんが、これもアステカ文明を象徴するものです。
最初の文明は、野生種から穀物を発見し品種化し、それを灌漑技術の助けなど借りて穀物を大量生産し、その余剰の上に成立しました。
このアステカではその穀物は「トウモロコシ」だったのです。だからトウモロコシは文明を下から支えるもっとも重要な生産物なのです。
さらりとトウモロコシ畑を入れてますが、やまさんは見逃しませんでした。
白い人々の先頭に立つ人は
主人公が最後に海岸で目にするもの、それはこの文明の未来を暗示するものでした。
ヨーロッパの外洋帆船が沖に停泊し、そこからボートがこちらへ漕ぎ渡ってきます。アステカの人が「白い人」と呼んだスペイン人です。この文明には言い伝えがあったそうです。「白い人に征服される」と。そのとおり征服され滅亡するのです。
このボートの先に十字架をもって乗っている人、他の乗組員とは違った格好をしています。宣教師と思われます。
新大陸の征服地に真っ先に送り込まれるのはこの宣教師だったのです。ヨーロッパ人らにとっては無知蒙昧な土人に福音を伝える役割でしょうが、アステカ人には不幸をもたらし、アステカの神々にとっては悪魔でした。
他の神々を許さない一神教で強い折伏(屈服させ信じさせる)の情熱を持つのがこの時代のカトリックの特徴です。その神の先兵が宣教師です。
力による支配を背景にどんどん信仰を教え広めます。今現在、インディオを含め中南米はほとんどがカトリックなのを見てもわかるでしょう。
宗教活動が悪いとは決して言いませんが、文明を滅ぼす軍隊の先頭に立ち陰に日向に手を貸したことや、排他的独尊的な教義を押し付けたため、多くの神々とともに文化まで破壊し去ってしまったのは、許すことはできません。
「野蛮、異端」
のもとにどれだけの文化・文化財が世界から失われたでしょう。本当に残念です。
監督は白い人々のシーンの意義を十分認識した上で、最後に持ってきたと私は思っています。この最後のシーンを破壊荒廃をもたらす象徴と受け取った観客は私以外にも多くいるだろうと信じています。
最後に
映画はサバイバルアクションの範疇に入るのでしょうが、ヨーロッパの影響が入る前の古代アメリカ文明とその辺境という時代・場所設定がされていたためか、最初からそのようなアクションものとしては見ませんでした。
この主人公もハリウッドにありがちなスーパーマンのようには描かれていません。けっこう弱さのある人物として登場しているので親近感を覚えます。
マヤ語で「立て、立て」と言ってるのがありますが、聞くと日本語で「立て」と言ってるように聞こえました。似てる言葉のように思います。
男はみんなお尻丸出しのふんどしで全裸に近い格好。でもすごいファッション性を感じるのは、みんな体にペインティングしたり、痛いのに穴をあけて耳輪、鼻輪、口輪、頬輪を思い思いにしてるからでしょうか。男のじゃらつかせるネックレス、ブレスレットも魅力的。
これ、すばらしいクールビズだわ。おっさんおばはんは遠慮していただくとして若い日本の男女もこんな「アステカファッション」、流行らんかいなあ~。
水中出産シーンもたまげました。水中で胎児を
「チュドーン!噴出」
そして、怖いけどなぜか笑ってしまう遊園地のお化け屋敷のようなシーン。これこれ。
笑うてはいかんと、理性は命じるが、笑ってしまいました。
この人、このままでほとんどアステカの神像になってますよ。
それからこの映画、別の観点、エロス度から見ても高得点ですが、今回はその話はやめておきます。