2011年12月31日土曜日

飲まずにいられぬこととは


 さっき今夜のウォーキングから帰ってまいりましたが、ちょっとドキッとすることに遭遇しました。いつものように車の少ない通りを通るため、裏通りとか横丁を通ります。
 今日もいつものコース、飲み屋横丁を通りました。8時台、いつもは赤い灯、青い灯がついて賑わっているんですが、今日は大晦日のためネオンや看板の灯がついてる店も数件、人通りも全くない。

 速歩で抜けようとすると、暗い路地に黒い塊が横たわっています。一緒に持ち歩いているライトで照らすと、自転車がひっくりこけて、その横に男の人が長々と寝そべっています。ほとんど車の通らない飲み屋横丁とはいえ、タクシーなどは遠慮なく入ることもありますから、

 「もしや、交通事故では???」

 近寄り、男の人に大丈夫ですかと声をかけると、熟した柿のようなにおいが、私はほとんど飲みませんが、

 「ああ、これはへべれけで酔ったせいで自転車ごとひっくり返ったんだな。」

 と推測できました。案の定、

 「大丈夫!大丈夫!」

といって起き上がろうとします。自転車を私が起こしてあげ隣の塀に立て掛けていると自力で立ち上がり

 「いや~、すんまへん、大丈夫、だいじょうぶ。」

 しかし、見ると両方の履物も脱ぎとばし、靴下の裸足、立ったとはいえふらふらしています。とりあえず自転車の立てかけてある片側に誘導し、靴も足下においてあげました。

 「もうだいじょうぶ。すんまへん、すんまへん。」

 事故でもないし、いつまでもかかわっているわけにもいかないので

 「車も来ますから、気を付けてくださいよ。」

 そう言って去って行きウォーキングを再開しました。

 年齢は私ぐらいの初老男性。習慣的なものだろうか、それとも大晦日、何か特に酔っぱらう理由があったのだろうか。
 あのへべれけ状態はちょっと異常だ。常時あれだけ酔っ払いを繰り返せば体がもつまいとも思う。

 私が通りかかるまで、冷たいアスファルトの上に寝ていたのだろうが、奥さんや、家族はこの大晦日どうしているんだろうか?それとも私のように孤独な独り暮らしなのだろうか?今までのこの人の仕事や人生はどうだったんだろう?
 別れて歩きながら考えると、何か他人事とは思えずなぜか涙がでてきた。

 私は自分は飲まないが、酔っ払いに対しては、人に迷惑をかけない限りで、大目に見るところがある。
 というのも私は意志の弱い人間で、人より多くの弱点を抱えているし、おまけに対人的な適応障害もある。もし、体がアルコールを受け付ける体質ならば、それから逃げるため、あるいは癒すため「酔っぱらった」であろうと思うからである。

 ウォーキングの折り返し点もすぎ、我が家に近づきながら、サン・ティグジュペリの『星の王子様』の「酔っ払い編」をちょっと思い浮かべた。

酒飲み男の星

王子さま「こんにちわ。ここで何をしているの?」
酒飲み男、たくさんの空のビンと酒の入ったビンを前に酔っ払って座っている。
酒飲み男「(暗い声で)酒を飲んで酔っ払っているんだ」
王子さま「なぜ酔っ払っているの?」
酒飲み男「忘れるため・・」
王子さま「何を忘れるため?」
酒飲み男「・・・」
王子さま「あの、顔色がすごく悪いよ」
酒飲み男「俺は・・恥ずかしいことを忘れたいんだ」
王子さま「何が恥ずかしいの?」
酒飲み男「・・・」
王子さま「ねえ、何が恥ずかしいの?」
酒飲み男「こうして酒を、飲んで、酔っ払うことが!」
酒飲み男、急にコップの酒をグビッと一気に飲み干しまた下を向く。
王子さま「・・・」
「大人というのは、確かにとても変わった人たちだ、という思いをますます深めながら、王子さまは旅を続けた」

 サン・ティグジュペリの酔っ払いを見る目は私同様優しいものがあります。

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