2011年12月21日水曜日
カルト
今日のテーマは「カルト」いったいどんな話なのか?と思われましょうね。そのカルトの話に入る前にちょっと論理の話をしたいと思います。
論理といっても、所詮はやま爺さんのええ加減なブログ上での話ですから、あまり真剣にはとらないでくださいね。
「ことわざ」とか昔から使われる「言い回し」、「慣用句」などはなかなか言葉の論理上示唆に富む面白いものがある。
たとえばこんな、
「へ~、お前、宝くじ買ったんか?それで?3億円当たるってか!馬鹿馬鹿しい!」
「当たれば、西から日が昇るわ!」 「当たりゃ、晦日(旧暦の30日)に月がでる」というのもある。
のような。
この言い回し、非常に不思議な言い方だけど言葉の論理上は全く正しいのです。
『〇〇ならば、△△である。』のこの「〇〇」に絶対あり得ぬことを持って来れば、結論の「△△」にどんなあり得ぬことを持ってこようが、全体としては論理的な文となるのです。
ちょっと作ってみましょう。
「月が西から登るなら、ナポレオンは俺のおふくろさ。」
どうでしょう?納得しがたいかもしれませんが論理上は正しいのです。(これはやまさんがいっているのではなく論理学の真理なのです。)
いったい何が言いたいか?
「あり得ぬことを前提に置くならば、それから導かれる結論はどんなあり得ぬことも可。」であるということなのです。
あり得ぬことの羅列でありながら、言葉の論理としては矛盾に至らない。こんな本知りませんか?
その始まりは、
「人の男の種も体内に入らないのに、処女懐胎する。」
この世の中では絶対あり得ぬことです。しかし、その前提で話が進めばどんなあり得ぬ「奇跡」もそれからは導かれます。
この教祖は今から2000年も前の人ですから、いまさらとやかく言ってもどうにもなりませんが、もし、このような様々な奇跡をおこなったという教祖が今生きていて、このような教祖の奇跡に基づく「経典」をつくれば、どうでしょう。
まあ信じる人は勝手でしょうが、世間はこの教祖・教団に「カルト宗教」のレッテルを貼るでしょうね。
本家は2000年前、奇跡の中でも最もすごい奇跡。「死んだラザロという男を墓から生き返らせます。」
つい数年前、こんなことを言う教祖の爺さんがいてカルト教を起こし、死体遺棄か冒涜か保護責任者遺棄かなんかで捕まってましたなぁ。この爺さんも2000年前だったら立派な教祖になってたかもしれませんね。
「カルト教」と認定するためにはマイクル・シャーマーが示したカルトの特徴を(←これはクリックでリンクしてます)9つ備えてるか見るのがいいようです。
ご本家は今や押しも押されもせぬ世界宗教になってますからとっくの昔にその特徴はなくなってます。現在、カルト教は「新興宗教」に多いですね。
ところが、宗教ではないんですがもうどこをどう見ても生粋、純粋それ以外の何物でもない「カルト集団」を発見しました。もちろん上記のカルトの特徴9つは立派に備えております。
消される可能性があるので名指しは避けます。
いま教祖は三代目、アドバルーンのように太った漫画みたいな20代の男です。
信者は2500万人、治外法権でやりたい放題です。軍隊もなんと100万人擁しております。
恐ろしいのは核兵器まで持っていることです。
三代目といいましたが世襲です。神がかった出自神話を作り上げ、奇跡としか思えないような偉業を本人がたびたびするそうです。なんでかハーレムもあるそうです。
わずらわしくなるのでこれ以上書きませんが、すべてカルトの特徴にぴったり当てはまります。
公称2500万の信者の中には理性的な人もいるでしょうに・・・恐ろしいことです。
登録:
コメントの投稿 (Atom)
2 件のコメント:
カルトも突き詰めれば、すべての原理主義はカルトになるように思います。最近、よく感じるのは、日本政府、政党、経団連、企業、行政、司法、医師会、日教組などすべてカルト集団ですね。宗教に限らず特定の主義、主張は全てカルトにつながるのですから、世の中カルトとカルト戦争状態ですね。まさしくオカルト映画の実写版が、現在の地球だと思います。おそろしい世の中に住んでいますね。(^○^)
ミニカルトや疑似カルトはそう被害も及ぼさなくていいんだけど、カルトも嵩じてくると理性では考えられないような(ほとんどお笑いの域に達しているが)神がかった個人崇拝。それと大量虐殺または集団自殺。これだけはなんとかなりませんかねぇ。
こんなカルトの話をしてると「個人の尊厳」だの「心の自由」だのがむなしくなります。将棋の駒のように自由に操り、虫けらのように命を考えているカルトの指導者をぶちのめしてやりたくなります。(-_-)/~~~ピシー!ピシー!よ~しませんが。
コメントを投稿