自転車をそぞろに漕ぎながら、胸は「不安」が広がっている。この「不安」、具体的な正体がないだけにどうしようもない。もっとも、はっきりしても対処はできまいが。
市役所で、今年の私にかかる各税について、聞きに行った。コピーされた書類を頂いたが、名前の後に「男」、「60歳」と印刷されている。間違いのない当たり前のことだが、60歳という年齢が自分とは信じがたい。
いつの間にこんなに年老いたのだろう。歳相応の知恵なんかこれっぽっちもないのに残酷に歳だけは重なる。
いやでも60歳だと思い知るにつけ、そういえば体力、気力もそれに合わすように誕生日頃を境にガクッと衰えた。
「死」がだんだん身近になっていくようだ。70歳は迎えられるのだろうか。「死」自体より、その前の断末魔の苦しみを思い、怖気をふるう。
こころの不安を表すように自転車がふらふらして進まない。
「目的もなしにどこへ行こうとしているのか。」
鬱々としながらなおも不安は広がる。市役所へ行く前に近くにあるハローワークへ行った。職を求めて何人も集まっているが、みんな私より若い。3月から4月初めまではたくさんあった求人もここにきてグッと少なくなってきた。
速報のボードや検索機も使うが、現実世界から遊離したような感じがして、スローでモノクロの映画のように自分と本質的にかかわらないところで世界が流れていく。
気が付くと葦や葭が茂った小川の岸に出ていた。昼過ぎだが分厚い雲で覆われた風景は初夏の輝きを失っている。
少しむこうにひときわ暗くこんもりした神社の木々が見える。自然石の石橋が渡してあり境内へつながる。橋の辺りも暗くひっそりしている。渡ろうとしたら、大きなアオサギがすぐ近くから音もなく飛び立った。
気が付けばここまで来ていつの間にかこの橋を渡り境内へ踏み入ったように、生死の境も気づかぬままに抜けられないものか。
1 件のコメント:
このような素朴な風景に美と哀愁を感じるのは年のせいかな、それともいずれ海の底に沈み藻屑と化すことを信じている妄想癖から来るものなのかなとか思った。
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