皆さんの小学校時代はどうか知らないが、わたしの小学校時代、楽しみな遠足は一年に二回あって、5月頃の遠足は、歩いて目的地へ行く遠足で、10月は貸切バスに乗って行く遠足であった。
五月の遠足は「歩き」であるので、町内の山、公園、寺などを目指して、ひたすら歩く。五月といえばかなり日差しもきつく、暑さもあり、歩きくたびれるのではないかと思うのだが、振り返ってみても楽しい思い出ばかりしか湧いてこない。
縦隊でぞろぞろいく歩く遠足は、おしゃべりしたり、歌を歌ったり、して楽しいばかりでなく、退屈な学校生活から抜け出る「非日常」のいわゆる「ハレとケ」のハレの日であった。
あばさかって、虫やカエル、剛のものは蛇を、ひっ捕まえ、ふりまわして、女子を
「アレー、」
とおぶけさせたりしたものである。
先生の注意もなんのその、次々と新手のいたずらを歩きながらやったものであるが、笑って見過ごせる悪ふざけであり、みんなも不快な思いはしなかった。
昭和の30年代前半は、食事、おやつなどはみんなまだまだ質素なものであったので、遠足のお弁当、おやつも非常に楽しみなものであった。こんな時でなければ味わえないごちそう、おやつであった。
今だと、そんなものと思う食べ物でも、この時代、遠足でなければ食べられないものもあった。
「バナナ」、「チョコレート」、「キャラメル」が、わたしの遠足のリュックの中の宝物の食べ物であった。そんなおやつでもわくわくするくらいうれしかったのを思い出す。
さてさて、時は流れ、幾星霜。去年、訓練校でご一緒だった友達と今日は、二人で、時もあの懐かしい歩く遠足と同じ5月に、歩く遠足に出発しました。
さすがに中年となり、動きも敏捷ならず、カエルや虫、蛇を引っ掴んで振り回すことはしませんでしたが、楽しいおしゃべりに花を咲かせ、草花や木々を手に取り、海岸では、ワカメを採ったり、イソギンチャクの口に指を突っ込んでピタッと閉じるのをおもしろがったり、幼い頃と変わらぬ遠足となりました。
出発地は小松島の日の峰山上遊園、遥か向こうにみえる白砂青松の大神子海岸へと「遠足」だ。
Aさんと楽しく歩き出す。
途中、ノイバラが咲いている。初夏の花で荒地に咲いている。バラの原種である。Aさんと匂いを嗅いだが匂わなかった。
八重咲のヤマブキの花も咲いていた。
海岸に着いて東屋で昼飯を食べる。
このような天然自然の海岸は少なくなった。どこもコンクリのテトラポットなどで興覚めだが、ここは違う。気持ちのよい眺め、空気がうまい。
ザッザッと砂を歩き、2人で向こうにみえる磯の方へ行く。
磯の上の階段状の遊歩道を上がる。小高くなったところで砂浜を撮る。この先の磯の道は行き止まり。われわれの後から続いたオババはつき切って進んで行った。
行は、「下り」だったので当然帰りは、「登り」、山上までの道が来た時より長く感じたが、楽しい二人遠足、小学校の時のように、帰りもおしゃべりに花が咲き、なんども休みをとりながら、ようやく終点へ、でも、「疲れも」なんか心地よい。
Aさんにそこから徳島駅まで送ってもらいました。
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