ゴールデンウィークにみんなが行楽・旅行・故郷訪問で移動するのを「民族大移動」とマスコミがいっていたようにおもうが、大震災が起こり自粛ムードもあり、今年は移動人数がそれほどでもないのか今はそのような言い方はしないようである。
「民族大移動」という言葉を聞くと「ゲルマン民族大移動」というのを学校で習ったのを思い出すが、それを意識してのネーミングであろう。
さて、今回のゴールデンウィークどれくらいの割合の人がバカンスで移動したのだろうか。半日、日帰りなどの短いものも入れれば、かなりの割合だろう。
みんな車を持っているから、たとえ半日、日帰りだろうと、相当遠くまで行ける。江戸時代であれば徳島城下に住み、金毘羅参宮に旅立ったとすると、最短でも往復4日は見ておかなければならないだろう。全行程徒歩だから無理もない。しかし、今、自家用車で出かけるとすれば、金毘羅参宮して他の讃岐の観光地をいくつも回り、日帰りで帰ってこられる。
便利な世の中になったが、しかし考えれば、一日で遠くの観光地をめまぐるしく移動して、落ち着いて見たり、くつろいだりすることができないのがはたしていいことなのだろうか。
私なんかは徒歩の旅行でもいいから、ゆるゆると旅をしたいと思いますが。
「晩春、というから今頃、全日本人の6人に一人が、十日から数十日にわたる旅行に出発しました。これぞ、規模といい、費やした日数といい、まさに日本民族大移動である。」
「え、え、え、なんかの間違いでないの?そんなに大勢が長期の旅行だなんて信じられない。」
いいえ、間違いではありません。驚くべき割合の日本人が長期にわたって仕事を中断し旅行に出たのです。
ただし、平成23年の話ではありません。
へいせい、ではなく、ぶんせい、文政13年の晩春頃から始まった動きなのです。
文政13年(西暦1830年)旧暦3月20日、ここは徳島城下、佐古町、子供たち2~30人が急にスルリといなくなった。親たちは大騒ぎして、探しまわる・・・・・・・・・
「集団でいなくなった。どないしたんや。」
「ハメルンの笛吹き男にかどわかされたか。」とはいいませんでしたが、人さらいかと心配し八方手をつくし探します。
このことが全国的な民族大移動をもたらすきっかけとなったのです。
やがて、子供は船に乗ったことがわかり目的地もわかります。それは
お伊勢参り だったのです。
「お蔭参り」ともいわれ、ヒシャク一本持って旅立てば金銭を持たなくても各地で、寝所や食物、そのほか必要なものをタダで受けることができます。大神宮の参拝は一般の人の報謝を期待できたのです。
また、家業を放って出発しても、「お蔭参り」は許され、帰ってきてもなんら咎められることはなかったのです。
息苦しいといわれた封建社会の江戸時代と言われますが、こんな素晴らしい息抜きがあったんですね。
阿波からの往復で当時、徒歩だから伊勢まで十数日かかります。それでも上記のような報謝、親切を受け子供たちは参宮をすませ無事帰ってきます。
この後、阿波から全国に「お蔭参り」は波及し、大ブームになります。この年、全日本人の六分の一が参宮したといわれています。
規模といい日数といい、今のゴールデンウィークのちまちました楽しみを上回っていますね。そして、文政の民族大移動のきっかけが我が徳島の佐古のガキ、いや、坊ちゃん嬢ちゃんたちであるというのも面白いですね。
無一文でも旅行できるシステムを有した江戸時代、金のないやまさんには魅力やわ~ぁ。
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