今日は絵巻の全集から「九相詩絵巻」を読み、それから写メールに撮り以下に挿入しましたが、衝撃的な絵巻ですので気の弱い方は写真を見ないでください。
人間として生まれた以上、愛欲に身をまかせ、美をどこまでも追い求めていけたらどれだけいいだろうと思うが、もし、なんの制約もなくどこまでもその二つが進んでいったらどうなるのであろう。
人はその二つに強烈にあこがれながら、とどまることを知らなければきっと破滅が待っているだろうと、誰でも予感している。
時代は、そう、今から千年前、都にたいへん徳の高い僧がいました。
あろうことか、身分の高い貴婦人に恋をしてしまいます。自分でもあってはならないことと思い切ろうとしますが、抑えられるものではなく、段々に想いは嵩じてきます。
「たった一夜でいいから、想いをとげたい。」
もうどうしようもなく愛欲は募ってきます。
しかし、女犯は大罪です。僧侶の身として現世においても破滅であるばかりでなく、永遠に地獄の業火で焼かれる恐ろしい罪です。
彼は仏教の教えに救いを求めます。
「九相詩絵巻」を見ます。
これは美女が死んだ後、どのように遺骸が変化し骸骨になるかを、九つの段階に分け、その変化のさまをそれぞれの変化段階にふさわしい「詩」にし、絵巻物にしたものです。
「ああ、なんちゅう、悪趣味、お前はネクロフィリア(死体愛好家)か。」
と言われそうですが、決してそうではありません。これも悟りへの方法の一つなんです。
美も日を経ずして爛れ、崩れ、腐乱し、蛆がわき、鳥や獣に食い荒らされ、やがて骨になり、土に帰す。
「美と言っても、それはただ皮一枚のこと、めくれば腐乱死体と変わりないこと」
無常を悟り再び仏教の教えに立ち返るためこの「九相詩絵巻」を凝視しますが、愛欲は絶てそうにありません。
「これは、絵や文字によるのでは、悟りにならない。」
と、この僧、実際に美女の死体の変化を見に行きます。
都のはずれに鳥辺野という葬場があります。荼毘にしたり、あるいは死体をそのまま投げ捨てるところで、累々たる死体、人骨が散乱しています。
その中に今亡くなり捨てられたばかりの美女の死体がありました。くだんの僧はそのそばで何日もその美女の死体を見続けます。
さて、みなさん、この僧、無常を悟り、愛欲、美の執着を断てたでしょうか。
下の絵が九相絵です。
鳥辺野に 捨てにし人の 跡たえて
雲さえ 風にをくれ先立つ
書き付けし その名ははやく 消え果てて
たれとも知らぬ 古卒塔婆かな
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