私が小学校の頃、育ててくれた祖母が、桜の満開の頃だったと思うが、遊山箱に巻きずしや煮しめなどを重ねて詰め、
「はい、これもって、遊山にいってき」
と言われたことがある。
『遊山』と聞くとそのことを思い浮かべる。私の世代では「遊山」という言葉は死語ではなく、子供の頃はまだ生きて使われていたのを懐かしく思い出す。
その後、この「遊山」という言葉はしばらく聞かなかったが、大きくなって歴史資料である「慶安のお触書」(17世紀)を調べているとその中の条に
「・・・・・大茶を飲み、もの参り遊山ずきする女房は離別すべし」
と出てきて、祖母が使っていた「遊山」はこんな時代から一般的であったんだと感慨を持ったものである。
そしてまた最近「遊山」という言葉が聞かれるようになった。それも私より若い年代から。
それは我が地域の伝統工芸、そして伝統行事が再び見直されるようになり。
「遊山箱」
が作れられ、使用されるようになったのである。
「遊山箱」の方が先に有名になり、もてはやされたおかげか、その「遊山箱」を持って野や山に出かけるのが「遊山」であると知られるようになった。
すんでのことに死語になりかけていた「遊山」が使われるのはうれしいことである。由緒正しい日本語が残って欲しいと思っている私としては、もっと広めて使って欲しいと思う。
4日前、4月5日は24節気の「清明」であり、また旧暦の3月3日、上巳の節句でもある。伝統的にこの頃、野外に出て逍遥したり、花を愛でたり、歌、句づくりのため遊ぶことを「遊山」と言った。
「清明」といえば何か秋の空気が澄むイメージがあるが、24節気の生まれた中国ではこの頃までは乾燥して黄砂などの舞う冬の気候である。ようやくこの日近くから雨などのお湿りが多くなり、黄塵もおさまり、かつ、陽光も強くなる。空気が「清」となり、空や大地が日の光で「明」になるのである。
能書き垂れはここまで、以下、やまさんの今日の遊山であります。
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