春四月、さわやかな春風の中、若い新社会人が目につくようになり・・・・・
と、書きたいのですが、このやまさんの住まいする、大田舎県・田舎市・片田舎町・あざド田舎には、
「どこに、そんな、フレッシュマンのわかいし、や~、おるん?」
「とっしょり、ばっかりしか、おれへんわ」
目につくのは年配者やご老体の方ばかり、少子高齢化の波のしわ寄せはわれらの田舎ほど大きいようです。
そりゃあ~、若い人も多少はいますよ。確かに!
でもね、そのわかいし、
「私にゃ、よ~、わからん」
というのは、思い思いのぞべらぞべらした色とりどりの服と称する布きれをまとっているため
「ありゃ~、なんぞ?学生じゃろうか、はたまた社会人じゃろか、ほにゃけんど、あんな格好で行く仕事ってどんなんやろ。」
学生か社会人かも定かでないわかいしが、年配者に混じってちょろちょろいます。年配者が圧倒的に多いため、目立ちません。
またこんな若い人たちは男の子にしたところで、ホントにおとなしく自閉症的行動が多いようです。大概一人の時は、耳から電線をたらし、音楽を聴いているか、携帯をいじるか、私にゃ絶対見えないような小さな画面の携帯TVゲームをやってるようです。
「わたしのような年寄りがのさばるから、元気も覇気もないんじゃろか」
まあ、ここ我が住まう街では、そのような状況でありまして、
「まっさらぴんぴんのリクルートスーツにピッシーと身を包んだ、いかにも、というようなわかいしはおりまへん」
「いったい、わが町、いや我が県はどないなるんじゃろか」
「ただでさえ、若い人が少なくなってきているのに、スーツを着たり、制服を着たりしている新人がおらへん。こりゃあ、遠からず、地域社会は滅亡するぞ。」
社会はニートやフリーター、よく言えば自由人、悪く言えば与太者ややくざなもの、などいるのはいいんです。わたしもそうですから、こんな人たちが社会を構成して面白おかしく暮らしていくのもそれぞれの人生観ですから文句はないんですが、
でもね、みんながそれでは困るんです。社会にはある一定の割で、エグゼクティブ(行政・管理)な職や制服の職(警官、消防官、軍隊など)がなければ、えらいことになりますよ。
「それらの跡を襲う若い人が、ここでは見かけん、嘆かわしいなあ」
と最近思ってました。
で、ここから起承転結の「転」にはいりますからね~~~っ!
本日、徳島行のたった一両しかないワンマン列車に乗り込みました。すると
前の方から、どなりつけるような 雄叫び が聞こえてきました。いくら最近耳が遠くなったとはいえ、田舎の午前の人ずくないワンマンカーでまさかの、甲子園球場の宣誓もかくやと言わんばかりの大声に、心臓がひっくり返らんばかりおぶけかえりました。
「な、な、な、なにがおこったん?」
みると、(というか、興味津々、非日常がいつか起こるまいかと常々手ぐすねひいて待ってるやまさんですから、前の方につつつつーと寄っていきました)
運転席にはまだニキビの跡もある高校生と見まごうばかりの童顔の子が制服をきて坐っています。白手袋をした右手をピンと伸ばし(ちょっと電気仕掛け人形のようでしたが)放射状にあちこちを指さし、びっくりするような声を上げています。
「みぎ~ぃ、よし~!」
というような安全確認、指さし、点呼のようです。
その周りには、指導教官の腕章をつけた中年制服の人がなんと4人取り囲むように立っています。
雰囲気だけで威圧感があります。そのうち3人の手にはボードに挟まれた採点票のようなものがあります。
これ、たぶん、仮免の若い運転手の実地試験・採点なのです。
見逃しては末代までの悔い、とばかり、邪魔になるぎりぎりのあたりに私は陣取りました。
こまごまとしたことは避けますが、半時間、徳島に着くまで制服姿の若い運転手の、教官に穴の開くほど見つめられた運転操作と雄叫びを見聞きしました。
還暦を迎えても今でも小学生の男の子のように列車の運転手には思い入れがあります。
なんか、かっこいいですよね。とりわけ、鮎喰川鉄橋に列車がさしかかる前、この運転手が大声で
「鮎喰川橋梁にかかります」
「あくいがわ・きょ・う・りょ・う」この響きいいですね。拍手せんばかりにうけに入りました。
乗客の安全を乗せて運ぶ運転手の新人がここに誕生しつつあります。先も言ったようにこのようにピッシーとした、わかいし、を見てなかったもんで、
「ああ、きょうは、ええもん、みせてもろた。こんなわかいし、もっとわが身近にも出てくればいいなあ。」
若い運転手を教官4人が取り囲む
教官は採点票を持っている
列車が止まると一人の教官がすぐに降りて停止位置を調べ、マイナス1メートルとか言っている。
運転手はこちこちに緊張している。
動画も見てください
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