ヒーコラ、ヒーコラいいながら自転車をやっとの思いで漕ぎ、河口まで2キロのところまで来ると、大きな橋が建設途中である。
「これが、東環状大橋か。」
強風のためか、土曜日だからか、人夫さんの姿が見えないし、工事もしている様子でない。
この建設中の長大橋、東日本大震災の時の「想定外」の大津波でもいけるのだろうか?あの地震から、津波の規模想定が見直されたんじゃないだろうか。いや、当然、見直されなければ、絶対いけない。
東北を見ると、石や鉄、コンクリの橋でも津波で壊れている。壊れてから「想定外でした」なんどといわんようにしてほしい。
明治以前の日本の橋はほとんどが木造だったから、大水でよく流された。大昔は、あんまりぶっ壊れるもんだから、呪術に頼ろうとしたんでしょう。超自然の猛威を鎮めるための一種の生贄ですな。有名な橋には人柱伝説が残っています。
以前のブログで「福島橋」の人柱をとりあげました。この時の人柱は、有無をいわさず朝一番に橋を通った他国の巡礼のおっさんだったそうです。
もし私がこの巡礼で、強制的人柱で橋の下に沈められるならば、
「おのれ~、この恨み、きっと晴らさでおくべきか~ぁ、ここにいるのもは7代まで祟ってやる~。朝一番に橋を通るものと、夜中、橋を通るものは憑き殺してやる~。見ておれ~」
というでしょうな。人柱など、逆にその人の恨みを買うようなことになる。その祟りでもっと恐ろしいことになるのがオチでしょう。あくまで伝説であり本当のこととは思えない。
風じゃ~、強いし、自転車はひっくりこけそうになるので、橋の真下の、橋が大天蓋のようになっている(野外大ホールぐらいあります)風が弱いところで、お菰さんよろしく(こらこら、禁止用語だぞ!)座り込み一服しました。
白目を剝き、片手は虚空をつかみ、恐ろしい形相で呪いの言葉を吐きながら、人柱として水没した巡礼の妄想の残像を払う意味で、別の、橋にまつわるロマンチックな言葉を思い浮かべました。
「橋姫」、源氏物語の中でも心理描写のすぐれたまるで近代小説の趣を持ったといわれる「宇治十帖」、その中の「橋姫の巻」、美しい宇治の姉妹の姫君が登場します。巻名のいわれとなったのは
橋姫の 心をくみて 高瀬さす
棹(さお)のしづくに 袖ぞ濡れける
橋姫は宇治の橋姫が有名です。宇治橋そばの橋姫神社に祭られているそうです。
橋姫は、源氏物語に出てくる巻名や和歌のイメージから美人で何かロマンチックな伝説がありそうだなとぼんやり考えていました。
その場では、橋姫の言葉の持つ響きのイメージ以上はわからずそのままで終わったんですけど、家に帰ってインターネットで調べて、
「おぶけました」
美人でロマン伝説とは真逆の、おっとろし~い、鬼女だったんですわ。
嫉妬に狂い、願をかけるため、おどろおどろしい衣装を着こみ、鬼のような化粧をし、頭の上には鉄輪(五徳、火鉢におく三本足の鉄の輪)を頭にさかさまに載せて、三本の足にはそれぞれ松明をくくりつけ、二本のたいまつは口にくわえました。合計5本の松明で夜行する姿は
「それはそれは恐ろしいものでした。」
ショックでしょうか死ぬ人も出たといいます。
そして大願成就し、本物の「鬼女」になり、憎い相手(男も女も)取り殺します。
あああ、しらなんだ、しらなんだ、なんと橋姫は恐ろしい魔性のものであったよなあ~
人柱伝説といい、橋姫といい、「橋」にはなんか不気味なものがまとわりついているのかしらん。橋は「異界への入り口の一つ」という人もいますからね。
さて、建設中の橋から2キロで河口なんですけど、むちゃくちゃ風が強くて、ペダルも踏むことはおろか、サドルにお尻ものせられない。押してはうはう、すこしづつ進む。ようやと、河口につき、ゴール。
ああ、くたぶれた!
河口と紀伊水道の境界 |
川の流れと外洋の波で白波が、 遥か向こうは、小松海岸 |