2011年4月30日土曜日

吉野川河口へ

 吉野川河口を目指して土手上を自転車で進むが、風が非常に強い。昨日、自転車で佐古駅の駐輪場に行くときは、強い西風で、向かい風で難儀したが、今日は東向きに進めば、昨日とは反対の強い東風でまた向かい風だ。風にもおちょくられている。自分の人生、こんなのばっかだ。
  ヒーコラ、ヒーコラいいながら自転車をやっとの思いで漕ぎ、河口まで2キロのところまで来ると、大きな橋が建設途中である。
 「これが、東環状大橋か。」
 強風のためか、土曜日だからか、人夫さんの姿が見えないし、工事もしている様子でない。
 
 この建設中の長大橋、東日本大震災の時の「想定外」の大津波でもいけるのだろうか?あの地震から、津波の規模想定が見直されたんじゃないだろうか。いや、当然、見直されなければ、絶対いけない。
 東北を見ると、石や鉄、コンクリの橋でも津波で壊れている。壊れてから「想定外でした」なんどといわんようにしてほしい。

 明治以前の日本の橋はほとんどが木造だったから、大水でよく流された。大昔は、あんまりぶっ壊れるもんだから、呪術に頼ろうとしたんでしょう。超自然の猛威を鎮めるための一種の生贄ですな。有名な橋には人柱伝説が残っています。
 以前のブログで「福島橋」の人柱をとりあげました。この時の人柱は、有無をいわさず朝一番に橋を通った他国の巡礼のおっさんだったそうです。

 もし私がこの巡礼で、強制的人柱で橋の下に沈められるならば、

 「おのれ~、この恨み、きっと晴らさでおくべきか~ぁ、ここにいるのもは7代まで祟ってやる~。朝一番に橋を通るものと、夜中、橋を通るものは憑き殺してやる~。見ておれ~」

 というでしょうな。人柱など、逆にその人の恨みを買うようなことになる。その祟りでもっと恐ろしいことになるのがオチでしょう。あくまで伝説であり本当のこととは思えない。

 風じゃ~、強いし、自転車はひっくりこけそうになるので、橋の真下の、橋が大天蓋のようになっている(野外大ホールぐらいあります)風が弱いところで、お菰さんよろしく(こらこら、禁止用語だぞ!)座り込み一服しました。

 白目を剝き、片手は虚空をつかみ、恐ろしい形相で呪いの言葉を吐きながら、人柱として水没した巡礼の妄想の残像を払う意味で、別の、橋にまつわるロマンチックな言葉を思い浮かべました。

 「橋姫」、源氏物語の中でも心理描写のすぐれたまるで近代小説の趣を持ったといわれる「宇治十帖」、その中の「橋姫の巻」、美しい宇治の姉妹の姫君が登場します。巻名のいわれとなったのは

  橋姫の 心をくみて 高瀬さす

  棹(さお)のしづくに 袖ぞ濡れける

 橋姫は宇治の橋姫が有名です。宇治橋そばの橋姫神社に祭られているそうです。
 
 橋姫は、源氏物語に出てくる巻名や和歌のイメージから美人で何かロマンチックな伝説がありそうだなとぼんやり考えていました。

 その場では、橋姫の言葉の持つ響きのイメージ以上はわからずそのままで終わったんですけど、家に帰ってインターネットで調べて、
 
 「おぶけました」

 美人でロマン伝説とは真逆の、おっとろし~い、鬼女だったんですわ。
 嫉妬に狂い、願をかけるため、おどろおどろしい衣装を着こみ、鬼のような化粧をし、頭の上には鉄輪(五徳、火鉢におく三本足の鉄の輪)を頭にさかさまに載せて、三本の足にはそれぞれ松明をくくりつけ、二本のたいまつは口にくわえました。合計5本の松明で夜行する姿は
 「それはそれは恐ろしいものでした。」
 ショックでしょうか死ぬ人も出たといいます。
 そして大願成就し、本物の「鬼女」になり、憎い相手(男も女も)取り殺します。
   あああ、しらなんだ、しらなんだ、なんと橋姫は恐ろしい魔性のものであったよなあ~

 人柱伝説といい、橋姫といい、「橋」にはなんか不気味なものがまとわりついているのかしらん。橋は「異界への入り口の一つ」という人もいますからね。

 さて、建設中の橋から2キロで河口なんですけど、むちゃくちゃ風が強くて、ペダルも踏むことはおろか、サドルにお尻ものせられない。押してはうはう、すこしづつ進む。ようやと、河口につき、ゴール。
 ああ、くたぶれた!
河口と紀伊水道の境界
川の流れと外洋の波で白波が、
遥か向こうは、小松海岸

2011年4月29日金曜日

人並みに行楽しよか

 今日は気温が低く、影に入ったら寒い。しかし、素晴らしくいい天気である。日の光は強く、透明で、目にする青葉も気持ち良い。街路を歩いていると躑躅の鮮やかな色も目立つようになった。
 行楽にはもってこいの日である。サイクリング、山歩き、徒歩での散策、あるいは少し汗を流すような運動もいいだろう。

 自粛ムードもよくないということで、逆に行楽を楽しもうというムードも起こってきていいことなんですが、行楽地は人、人、人、の超満員になるのはいただけませんね。

 ぜんぜん金のない私は、普段と変わらぬつつましやかな生活を続ければいいんでしょうが、ゴールデンウィークとかで、みんな浮き足立つ中、わたくしもちょっとは、ゴールデンウィークの行楽の楽しみを「舐る(ねぶる)」だけでもと思い、徳島駅に降り立ちました。
 いや、いや、いつも徳島駅へは行っているんですが、今日は世間並みに皆様の楽しみの何十分の一でも、「ねぶり(舐り)たい」と普段の気持ちとは違い、降り立ちました。(この表現からしていつもとちゃう)

 さてさて、そうはいったものの、

 「金にゃ~あれへんから、どないしょう」

 「自転車でとりあえず海の見えるとこまでいこか、津田の海は1月に行ったから、今日は大神子海岸にしょうか、」

 「それとも逆方向で、国府へ行って史跡公園も入れて三か寺詣りにしようか」

 図書館でしばらく本を探してから、それから決めようと、青少年センターの前に来ると、友達にバッタリ会いました。
 センター内で話をしていると、人とのおしゃべりの方が面白くなり、自転車でウロウロするのはやめました。
 考えれば、話をする人は近頃めっきり少なくなり、人恋しかったんだと思います。他愛のない話でしたが、楽しかった。

 今、午後8時が近づいています。今日も夜のウォーキングに出ます。つけっぱなしのTVから、イギリスの皇太孫の結婚式の中継を流しています。
 その挙行場所をみながら、あることを思い出しました。
 江戸時代初期、この場所のことが記録に残っています。三浦按針(イギリスからの帰化人で家康の顧問を務めた)の報告です。
 その場所、原文には、毛筆ですがこのように記されています。

 「おしめした」

 これ、わかりますか?江戸時代の人にはこの場所の英語がこのように聞こえたんでしょう。

 「ウェストミンスター」

 明治以降の英語のカタカナ表記はネイティブが聞くと何が何だかわからないそうです。「ウェストミンスター」なんどと、だらだら9つも音節はつづきません。原文では4~5の音節ですから、「おしめした」の方が、ネイティブにはわかりやすいのです。江戸時代人の方が発音に忠実な表記だったんですね。 
 
ウェストミンスター寺院での挙式をみながら、

 「オシメした」?などと、アホなだじゃれを考えました。

2011年4月28日木曜日

ハナミズキ

 晩春をいろどる花木も流行があるようで、最近やたらと「ハナミズキ」の名を聞くようになった。正直に言ってこの花のことはあまり知らなかった。
 私のような古い人間はこの時期の花木といえば、藤や椿などを思い浮かべるが、今、ハナミズキはこれらの古い花以上に世にもてはやされているようである。
 新聞、TVなどで頻繁に取り上げられている。ちょうど今の時期、木に大きな花をつけ色も白や薄紅で美しく、目立つからなのだろう。
 
 「こんな花昔からあったのかな、私が若い頃、聞いたことなかったがなあ。」

 と思うのも当たり前、明治も遅くなってからアメリカから移入されたそうで、新参の花木である。この移入も大都市が中心で数も少なかったのであろう、我が郷土には私が幼少の頃にはほとんどなかったはずだ。
 今日の我が郷土の田舎新聞に

 『小松島市の花、ハナミズキが 見頃を迎えている』の見出し。

 「え~っ、断りもなく、いつから、誰が ヘラ~ッと市の花にしたんじゃ」

 普通、地元を象徴する花は伝統的な昔からある花を選定しそうなものだ、と思うのだが、昭和53年に一万本を移植して、それからだそうである。

 「ま、小松島の進取の気性、モダン、ハイカラ港町を表すというため、あえて、新参のアチャラ(北米)の花を選定したんでしょうな。」

 今日は他にもTVが徳島裁判所の歩道に咲いたハナミズキが、とっても美しいと、アナがのたまってましたわ。

 それにしても、これほどのもてはやしよう、ちょっと浮かれすぎでないか、と思っていたら、純然たる花のみの鑑賞から生まれたもてはやしではなかったんですね。

 インターネットをいじっててわかりましたわ。一青窈の「ハナミズキ」の歌と詩、それにその主題歌の映画「ハナミズキ」がヒットしたんですね。読ませてもらい、聴かせてもらいました。いい曲ですね。
 なるほど、み~ちゃん、は~ちゃん、キクちゃんが「はなみずき」を好むのはその影響があったんですね。

 ところで私の頭に「ハナミズキ」が印象付けられたのも、み~ちゃんらとあまり変わりのないお騒がせ事件でした。
 2年前の秋も深まったころ、長期の逃亡、整形手術での変身で注目の英会話講師の殺人犯が捕まり、かなり大きなニュースになりました。この男が、詩のようなものを録音した肉声が繰り返しTVで流されました。

 「ハナミズキ、夏には白い花が、秋には赤い実が・・・・」

 ハナミズキを見ると、み~ちゃん、は~ちゃんは、一青窈のハナミズキの詩を思い浮かべ、私は殺人犯のハナミズキの朗読を思い浮かべる。
 こんな連中は詩をもっぱら鑑賞するしかできないんでしょうね。
 無心にして心を空白にして、ハナミズキを見て感動する人が詩を書ける人なんでしょうね。

 さっそく、思い立ったが吉日とばかり、4キロ離れた小さな山の公園にハナミズキをゆっくり鑑賞するため登りました。だれもいない丘でたっぷり愛でることができました。
 一青窈、この一青、恥ずかしながら読めませんでした。一青で「ひとと」という姓なんですね。加賀県に実際ある姓だそうです。
 「窈」は音読はできました。幼が形声を構成してますからね。この文字どこかで見たことあるが、思い出せない。熟語で「窈窕」があると知り、思い出しました。
 高校で習った漢詩の「詩経」の四言古詩にでてきたんだ。テキストの1ページめにドドンと出てきているから、難しくても覚えてた。「窈窕タル淑女ハ・・・」
 「窈」は、細くてしなやかなさま、の意味があり、これは女性の美の一つになりますから、名前の文字としてはいけますね。

2011年4月27日水曜日

ライラック、スズラン、エーデルワイス、コルク、縄文の森は

 二日前のブログで、縄文の森は極めて豊かであると書いた。
 日本列島は多量の降雨があり、比較的(大陸西岸の温帯域と比べれば)低緯度にあるため、日光も強い。列島は南北に長く亜熱帯域から亜寒帯域が分布する、また山がちで高い山も存在するため同緯度でも垂直方向に気候区が分布する。
 そのため多種多様の植物が存在し、豊かな森を作っている。

 今日、列車に乗って流れ去る車窓を見ていて、一瞬だがある家の塀に囲まれた庭にライラックの小木を見た。紫のたくさんの花をつけている。ライラックは北海道の方が有名であるが、手入れよく栽培すればこちらで出来ないこともない。北国では5月末から6月初めごろだが、徳島のような暖地では桜が終わったころ花をつける。

 インターネットで「ライラック」を調べた。ライラックの名前からして外国から入ってきた花であろうと思っていた。原木は確かに東ヨーロッパだが、ライラックの原種に近いのは日本にも自生しているとあってちょっとびっくりした。香りも同じようにある。
 「ハシドイ」というそうである。下の写真がそうである。

色は白色の花であるが たしかにこれを紫にすればライラックである。









 私が西洋のロマン(古~っ!)を感じる花は、ライラックのほかに、「スズラン」、「エーデルワイス」がある。
 これらはみんなヨーロッパの花と思っていたのですが、実はすべて日本に自生しており、原種が繁茂しています。
 
 いやいや、縄文の森の豊穣さはそれらも含んでいたんですね。
 
 スズランは北国の草原地では普通に自生しています。日本名「君影草」と言います。いい日本名ですね。
5月1日、パリはスズランの日だそうです。








 エーデルワイスは「ミヤマウスユキソウ」と言って高山地帯に自生しています。ほとんど同じ花です。
古い映画ですが「サウンドオブミュージック」で有名になりました。
アルピニストの憧れの花でもあります。






縄文の森はすごいですね。ヨーロッパロマンの3つの花を含んでいたんですね。これ逆はないです。ヨーロッパの森に、日本ロマンの花なんかないですからね。

 木々にしてからが、森の主のような「ブナ」、や疎林に広がる「白樺」は縄文の森では普通にあります。でも、これもヨーロッパの民俗と共通します。

 大げさなようですが、植物に関する限り、非常に豊穣な縄文の森は、ヨーロッパのロマンの花、木、草を含んでいるんですね。
 
 非西欧社会の中で日本は一番早く西洋化しますが、もしかしてこんな縄文の森の共通性があったことが幾ばくか影響しているかもしれませんね。

 ちなみにワインのボトルの栓にされている(最近はねじキャップが増えましたね、あ、すんません、みなはんの買われる高級ワインは)コルク、このコルクは弾力のある木の素材で
 地中海のコルクガシの木からだけではなく、縄文の森の「アベマキ」からも採れます。

 ここにも縄文の森の豊穣があります。

2011年4月26日火曜日

死ぬことも演じられる~虚実皮膜論をちょっと思い浮かべた~

 某大女優の葬儀で旦那が
「第二章、シーン1、テイク1・・・・・」
と、映画監督が使う「カチンコ」をカチッと鳴らすと
生前の女優の、今日の葬儀に流すであろうことを意識したテープが流れだした。

 ちょっと意外であったが、みんなは聞きながら涙した。私も、苦しい息の下、彼女の遺言ともいえるこのテープを聞いて目が潤んできた。

  

 わたしは、悲しさ以上になんともいえない感動をおぼえました。

 「立派な女優人生であったんだな!」

 女優を演じきった、と過去形でなく、死後も女優を演じ続けるという、進行形、未来形で語られる凄さを感じます。

 演出と露骨に言ってしまえば失礼ですが、カチッと音をさせ「カチンコ」で始まった最後のテープは、女優の旦那も「第二幕」と言ったように、死後のこの女優の演技の始まりの合図でした。

 人は「演技」というものを虚・嘘と考え、それが舞台やスクリーン、TV画面から離れて実生活でなされることに価値を置きません。胡散臭い、だますものと思っています。

 「くさい芝居は止めやぁ~」

 言われかねません。
 
 この人々の涙を誘ったテープも、演出、最期の演技と言われては、何か薄っぺらで嘘っぽくなってしまいます。
 
 しかし、本当に「芸」を持った「大女優」ならばたとえ、「一世一代の最後の演技」と言われても、この薄っぺらで嘘っぽい、というのは当たっていないと思うのです。
 そして、昨日の葬儀のこのテープは、それなのです。

 私は近松門左衛門が言ったとされる「虚実皮膜論」を思い浮かべました。

 「芸というものは実と虚との間が皮膜のように薄いものであり、虚にして虚にあらず実にして実にあらず、であるということを意味しています。」

 そしてこういうことも言っています。

 「虚(うそ)にして虚にあらず、実にして実にあらず、この間に慰(なぐさみ)が有るもの也」

 虚(演技)と実(現実)は非常に薄い膜の表と裏のように分離できぬほど密接に存在するものであるということでしょうか。
 私はそれ以上に、虚と実、裏と表、は実はどちらがどちらかと言い切れぬものがあると思うのです。

 俳優や演技とおよそ関係のない実直な実生活が「下手な人生の芝居」であるかもしれず、「芸」と言われるものをもって演じたものが「見事な人生の芝居」かもしれません。

 ともかくこの人、もう大女優の名を冠してもいいと思いますが、死後にまで残る演技、そして見事な人生を演じたといえます。

 このように奥さんは葬儀を通して大女優を演じましたが、旦那もなかなかの

 「役者やのぉ~」

 です。ただし、奥さんとは方向性が違うみたいで、ゴシップネタの演技をしようとしています。

 今日発売の女性週刊誌の広告です。



なになに
夫の裏切り、ハワイ旅行
 
パパと呼ぶ女児と美人女性・・・
もう一つの顔が・・・
 
ふむふむなるほど
 
こりゃあ、旦那の第二幕も面白そう。
 
あることないことこれだからゴシップ週刊誌はやめれんわ~
 これも虚実皮膜(きょじつひにく)論じゃ。 

2011年4月25日月曜日

縄文の神々は放射能など怖れはしない

 大マスコミのセンセーショナリズムは別に今に始まったことではないが、放射能についてのおどろおどろしい報道(味噌も糞も一緒とあえて言いたい)も、さすが数か月になんなんとするにおよび、受け手である我らは脅しまくられてへとへとになり、ノイローゼ寸前にまで追いつめられることと相成りました。
 おかげで、避難地区から来た人が差別されたり、まるで放射能が伝染病のような見方をされかねない状況に立ち至りました。
 マスコミも一人も死者の出ていない事故にもかかわらず、真偽定かでない報道を流しまくり、上に述べたようなことが新しいニュースになり、こりゃあちょっとおかしいんでないかい、と内省も生まれてきました。また、一部の良識派からの異議も出たりで、最近は

 「放射能について根拠なき恐怖を煽ることは慎むべきで、科学的根拠のある放射能の知識を持ち対処しなければならない。」

 て、おいおい、火つけはだれじゃ?
 こうゆうのを「マッチポンプ」と言います。
 
 まあ、マスコミは文系の秀才ばっかで放射能の専門家でないから無理はないと思いますが、でも私の見るとこ、大新聞は残念ながら最初の方はとち狂ってました。むしろ弱小マスコミである週刊Pや週刊Sが意外なことに、最初から冷静な報道をしていました。
 特に週刊Pは、もっとも科学的・客観的・冷静で、歴史的事実、他のマスコミが見逃した重要なことも報道していました。放射能にたいする考え方は、私と一致しています。

 話は脱線しますが、大震災後、時を経ずしてのマスコミのおどろおどろしい報道は、ある既視感(ディジャブ)を私にもたらします。
 阪神大震災後、TVはあるカルト教団のおどろおどろしい報道一色となりました。それをちょっと思い出しました。

 今日はちょっと視点を変えて原発事故・放射能汚染についてたわごとを述べようと思っております。

 私は縄文の神です。そのつもりで聞いてください。
 
 縄文の神々がこの日本列島からいなくなってどれくらいたつのだろう?
 ところで、縄文の神々っていったい何? 
 若い方には「宮崎駿の世界」にいる自然神とでも言った方が早いでしょうか。「もののけ姫」に出てくる超自然なモノがちかいかなあ。いや、ちょっとちがうな。

 二千数百年前以前は我が日本列島は、原生林の大森林に覆われていました。西日本は照葉樹林、東日本は落葉広葉樹、ぶな林帯といわれるものです。
 どちらも非常に豊穣な森です。(そのなかでもぶな林帯がより豊かでした)森の木々は堅果(栗、どんぐり、クルミ)、漿果・やわらかい果実を生み、それが小動物、イノシシ、鹿、熊そして縄文人を育みました。
 この時代、縄文人も食物を得るのは狩猟・採集で生態は上位捕食者である熊、イノシシなどとさして変わりあるものではありませんでした。
 この原生林の中のすべて、草花、木々からあらゆる動物、縄文人も含め、あらゆるものが「縄文の神々」でありました。

 いま、日本列島に原生林はほとんど残っていません。深山に一部、奇跡的に残っているかもしれませんが、平野部、丘陵地帯は絶滅です。縄文貝塚で知られるように縄文の豊穣は海辺から海まで広がっていたのです。海辺に縄文の森は全くありません。この意味で縄文の神々がなくなって久しいです。

 ところが現代人には不幸の極みですが、縄文の神々には福音となるかもしれないことが起きようとしております。
 海岸線の5~60キロにわたり、また内陸部へは半径2~30キロの半球状の地域が放射能で立ち入り禁止となるのです。鉦や太鼓で放射能の危険をたっぷり煽ってくれたから、当分立ち入りはできないでしょう。
 縄文の神々としては、もっと半減期の長い放射能で半永久を願っているんですが、そうなれば縄文の神々は万々歳なんです。

 世界でも多雨地帯にある日本列島、放っておけば、植物相は雑草地帯から遷移していって灌木林を経て最後には縄文の原生林が復活します。
 縄文の神々が跋扈する風土が戻ってきます。

 なに?残留放射能で生態が死滅するって?

 ぜったいそんなことありません。これは、わたくし、確信を持って言えます。原子炉建屋近くでも植物は大、大、大繁茂します。多少色が薄いのとか濃いのとかできますが、SF映画にあるような突然変異の化け物の種などはありません。

 そんなにご心配なら、どうぞ、立ち入り禁止区域を百キロにして、うんと遠くから観察してください、われら縄文の植物がいかに強い生命力で復活するか。

 やがて縄文の森が復活するとイノシシ、鹿、熊だって増えてくる。非常に長期にわたって放棄されれば、次々と木々が生育し豊かな縄文の森が生まれます。

 それからね、立ち入り禁止区域からどうしても立ち去りたくないとしがみついてる人がいますね。これらの人をどうかそのままそっとしておいてあげてください。
 立ち入り禁止区域に住む人々は電気・ガス・水道のライフラインなんぞ期待しておりません。みんなその覚悟の上で、ここに残り、死にたいと思う人なのです。
 自給自足で生きて行こうとしてます。これは縄文人とおなじ生活です。

 そう、この区域で覚悟を持って暮らす人は、縄文の人、すなわち縄文の神々の一人なのです。

 「放射能の危険?おおきなお世話!」

 縄文の神々からのお願いです。うんと放射能にびびり、危険区域を広げ、半永久的立ち入り禁止にしてください。そして豊穣な縄文の世界や神々が復活するのを見守ってください。

2011年4月24日日曜日

春のフェスチバル 藍場浜と石井地福寺

 徳島と石井でフェスチバルがありました。そんな今風の祭りがあることは知りませんでした。偶然、どちらも近くまで行って知りました。
 進んでいったわけではないのですが、携帯を持っていたので動画撮影機能で何場面か撮りました。
 二つとも「花」が主題です。藍場浜は春の草花の数々、石井地福寺は藤の花です。
 しかし、どちらも

 「花より団子、花より美女」

 で、花の鑑賞などそっちのけの人が多く、藍場浜ではラーメン喰いに、地福寺では藤娘撮影会に群がっておりました。

 今日はおフェスチがあったのでお蔭であちらこちらで多くの花を鑑賞できましたが、

 「歳しゃ~寄って、天邪鬼、頑迷・偏屈になってるやまさんは・・・・・・」

 「石井農大の近くの丘の林から下がった野生の山藤が一番美しかったです。」

 「葡萄状に粒粒に垂れ下がった藤色のビーズのような輝く花房、えもいわれぬ紫のグラデュエーションの乱舞、うっとりするような甘い香り、山藤ってこんなに美しかったんだ。」

 「夢幻能だと、藤の精、シテの美女がここらで登場するんでしょうね。やまさんはワキの旅の僧、藤の精から苦悩を聞いたやまさん僧はねんごろに回向する。すると藤の精は、お礼に舞いを舞う。」

 「夢、幻や~、藤の花~、いよ~っ、カッポン、カッポン・・・」

 山藤の美しさに魅せられてまたまた、妄想が全開する。

歳しゃ~いくと、あまりいいことないんだけど、その藤の俳句が、昔はわからなかった句がわかるようになりました。
 高校の古典「松尾芭蕉の俳句集」で出てきた藤の句、43年たって感覚的にわかるようになりました。

 くたびれて 宿かるころや 藤の花 

2011年4月23日土曜日

愛欲と美の果て

 今日は絵巻の全集から「九相詩絵巻」を読み、それから写メールに撮り以下に挿入しましたが、衝撃的な絵巻ですので気の弱い方は写真を見ないでください。

 人間として生まれた以上、愛欲に身をまかせ、美をどこまでも追い求めていけたらどれだけいいだろうと思うが、もし、なんの制約もなくどこまでもその二つが進んでいったらどうなるのであろう。
 人はその二つに強烈にあこがれながら、とどまることを知らなければきっと破滅が待っているだろうと、誰でも予感している。

 時代は、そう、今から千年前、都にたいへん徳の高い僧がいました。
 
 あろうことか、身分の高い貴婦人に恋をしてしまいます。自分でもあってはならないことと思い切ろうとしますが、抑えられるものではなく、段々に想いは嵩じてきます。

 「たった一夜でいいから、想いをとげたい。」

 もうどうしようもなく愛欲は募ってきます。
 しかし、女犯は大罪です。僧侶の身として現世においても破滅であるばかりでなく、永遠に地獄の業火で焼かれる恐ろしい罪です。

 彼は仏教の教えに救いを求めます。
 「九相詩絵巻」を見ます。
 これは美女が死んだ後、どのように遺骸が変化し骸骨になるかを、九つの段階に分け、その変化のさまをそれぞれの変化段階にふさわしい「詩」にし、絵巻物にしたものです。

 「ああ、なんちゅう、悪趣味、お前はネクロフィリア(死体愛好家)か。」

 と言われそうですが、決してそうではありません。これも悟りへの方法の一つなんです。

 美も日を経ずして爛れ、崩れ、腐乱し、蛆がわき、鳥や獣に食い荒らされ、やがて骨になり、土に帰す。

 「美と言っても、それはただ皮一枚のこと、めくれば腐乱死体と変わりないこと」

 無常を悟り再び仏教の教えに立ち返るためこの「九相詩絵巻」を凝視しますが、愛欲は絶てそうにありません。
 
 「これは、絵や文字によるのでは、悟りにならない。」

 と、この僧、実際に美女の死体の変化を見に行きます。

 都のはずれに鳥辺野という葬場があります。荼毘にしたり、あるいは死体をそのまま投げ捨てるところで、累々たる死体、人骨が散乱しています。

 その中に今亡くなり捨てられたばかりの美女の死体がありました。くだんの僧はそのそばで何日もその美女の死体を見続けます。

さて、みなさん、この僧、無常を悟り、愛欲、美の執着を断てたでしょうか。
 下の絵が九相絵です。


鳥辺野に 捨てにし人の 跡たえて 
雲さえ 風にをくれ先立つ

書き付けし その名ははやく 消え果てて
たれとも知らぬ 古卒塔婆かな 

2011年4月22日金曜日

やじ馬

そうそう、昨日、わが町の中心部で火事があった。昼の火事で、野次馬の数が多かった。私もそうであるが、なぜか小中学生もいて、周りを走り回っている。

 学校はどないしたんじゃ?

 聞くと、家庭訪問で昼から放課のようである。

 消防車、パトも多数駆けつけホースをあちらこちらの消火栓につなぎ、消防団や警察も入り混じって一時、大変な騒ぎになった。
 幸いボヤ程度で類焼もなくしばらくして鎮火した。
邪魔になるばかりで、ただただ見物をする、物見高いいわゆる「野次馬」は、冷静になって考えると、決して品のよい行為ではない。
 しかし、皆さんの街ではどうか知りませんが、わが町では、火事が起こると全町に響き渡る「サイレン」が火事をすべての人に知らせます。

 あの「う~ぅ~う~ぅ~」と鳴るサイレンは、私には切迫感となにやら得体のしれぬものが襲ってきそうな恐怖を感じさせます。
 空からプテラノドンが襲うか、あるいは地から、ボコッとゾンビが湧いて出てくるか、ともかく、小便ちびりそうにビビります。
 実は、小学校3年の時、近所が大火になり、真夜中非難したことが、いまでも恐怖として残っているのです。

 サイレンを聴いて室内から飛び出ました。視界の広いところへ出てみると、わりと近くから黒煙が上がっています。
 子供の時のトラウマもなんのその、不安やら何やらわからない衝動に煽られ、足は現場へと向かい、そして、

 私も野次馬の一員になりました。

 物見高い野次馬のDNAは今に始まったことではありません。

 なんと1200年もまえから我らにはあるのです。

 わが本の絵巻物から、写メールで撮りました。生き生きした平安の野次馬をご覧ください。
 「伴大納言絵巻」 
応天門が火事じゃ、それ、行け~
みんな走るはしる、爺ちゃんは杖をついて負けじとばかり、
 中には鶏のように頭の悪い男が回り道をすればいいのに、右隅、壇をよじ登って最短で急ごうとしてます。よっこらしょ、






火事を見上げる野次馬の顔顔顔、表情は千差万別だが、今と変わらぬ人々。










かなり近くの野次馬、火の粉が降りかからんばかり
あち、あち、あち、
ジッとしていられません。









 キャンディーズのスーちゃん、田中好子さんが亡くなった。早すぎる死。享年55歳
 アイドルから何年たっても素晴らしい人、美しさも歳に似合って磨かれ光っていた。
 平成元年にあえて白黒で作られた「黒い雨」、演技も素晴らしかった。
 これからも美しく老いるであろうと思っていたのに、残念です。
 こんないい人でも早く死ぬのに、やまさん、長く生きすぎたかなあ。
 ご冥福をお祈りいたします。

いとも弱くなった国家にやまさん、嘆く

 国の意義・存在理由の思想的根拠などのイデオロギーに関することなど、ブログ上に書きたくないんですが、これはひどい、と思うことがあり、どうしても書きたくなって書きました。

 歴史や文化の継続・日本の統合を象徴する陛下はおくとして、日本の国家を人格的に体現すると思われる第一人者は誰でしょうか。

 やはり内閣総理大臣でしょう。行政権の最終的な総攬者であり、三軍の長、そして緊急時には超法規的措置(昔の戒厳令)の権能も有すると考えられています。国家意志というものの最終的な決定者であり、最終的な責任者をあげるとすれば首相しかありませんね。
 その意味で国家を体現できる人は首相ですよね。

 その首相、昨日、福島原発の避難住民を見舞いに行きました。そしてその時の住民とのやり取りがTVで流されました。かなりインパクトのある映像なので、どこの局も繰り返し流してます。
 避難住民のおじさん、おばさんから、非常に厳しい言葉を浴びせられていました。ご覧になったかたもいるでしょう。具体的な内容はTVを見てください。
 強い言い回しや、きつい言葉を発することも受けることも嫌いな私としては、

 「これは!ほとんど罵声に近いんじゃないか?」

 首相にたいして、タメ口どころか、まるで自分の子供が不始末をしでかして叱るような口調としか私には思えませんでした。
 
 「ああ、嘆かわしくて、見るに堪えない」

 このおじさんやおばさんの怒りの正当性は、わかります、わかるんです。こんなひどい目にあい、これからもひどい目に遭うかもしれない人に対し、もっともな言い分だと思うのですが、

 「この場面、私は同調して、受け入れられません」

 たとえ能力がなくて首相になっていても(結局、それが最大の悲劇かもしれませんが)形式的には国家を体現する一人者です。それなのに

 のこのこでかけたところで、被害者とはいえ一庶民から、私には面罵としか思えないようなきつい言葉を受けた。それを繰り返しTVで流される。これほど国家の威信が傷つくことがあろうか。
 これはひとえに首相の責任だといえる。放映されるこのような状況を作り出した首相がもっとも責めを負うべきである。

 「やまさん!やまさん!あんた、右翼?今時、国家の威信?なんじゃそれ、アナクロはたいがいにせいやぁ~」

 とお叱りを受けそうですね。
 でもね、国家は機能のみじゃないですからね。国民は「国家」というある意味、神話的な架空の虚構を「信じ」それによって成り立っている部分があると思うのです。
 どこの国の憲法もこの神話的虚構を長々と書き綴っています。
 
 「・・・・・・・・我々の厳粛な付託のもとに、ここに政府を構成し・・・・・・云々」

 憲法によくつかわれる言い回しですが、「我々の」部分を「神」に置き換えれば神話の国づくりと同じこと。

 この「信じ」と一体をなすものとして「畏れ」もなければならないと思うのです。本当の土壇場という緊急事態時に「生殺与奪」の権能も国家は有するものなのです。みなさんは信じたくないかもしれませんが、それはそうなのです。

 「背に腹は代えられぬ。」

 決断できなければならぬのが国家で、この意味で、どこか、それはいつもそうではないけど、いざというときには非情な決断ができる「国家」にたいする我々には「畏れ」がなければならないのです。「畏れ」は、恐怖ではなく、うやまい、かしこむ、という意味の。

 昨日のTVでまるでクレーマーの処理係りのようにきつく言われっぱなしで、あたまをひょこひょこ下げるしょぼくれた顔と電気工事の制服姿の首相を見て、

 「ここまで、国家は弱くなったか!」

 「国家を、うやまい、かしこむ、畏れというものが、この映像で微塵もありもしないことがわかりました。」

 「なるほど、国家は虚構で、そんなものぶっ潰されました。そして国家は各団体の利害調整機関の最上位にしかすぎぬものであらゆるものは横並びだということが、よ~わかりました。」

 でも、日本の周りの国は、強い意志を持った国家を標榜してる国ばかり、もしこれらが我らに国家意思を押し付け緊急事態になったとき、

ねえ、ねえ、こんなんでいけるん?

2011年4月21日木曜日

向麻山の鯉のぼり

 わが町に向麻山という92メートルの低い山があります。独立した山で遠くから見ると古墳のような形ですが、天然の山です。全山公園になっていて、特に春の枝垂桜が有名です。
 そのしだれ桜も散ってしまい、花見の人は少なくなりましたが手ごろな散歩の山として平日でも年配者が登ったりしています。
 山の北側はご覧のように川ですが、毎年今頃から一か月間、川を挟んでたくさんの鯉のぼりが浮かんで風に泳いでいます。
 山を下りながら写真に撮りました。

 鯉のぼりは、男の子の健やかな成長を願い、風に泳がすもので日本のいい風習ですね。

 江戸の時代から盛んになったようですが、この時代、子供の死亡率は今よりうんと高く、それだけにこの鯉のぼりに込めるおもいは強いものがあったに違いありませんね。

 よく、男の子は女の子に比べて育てにくいといわれています。実際、大人になるまでに死亡する率も男の子の方が若干高いようです。
 それだからでしょうか、自然の状態の男女の出生比率は105:100で男の方が5%多いのです。だから、男の子の方の死亡率が少し高くても大きくなるまでにうまく半々になるそうです。自然の絶妙なバランスが働いているんですね。

 そうそう、昨夜、レンタルDVDで『大奥』というのを借りてみました。これの中では男の死亡率が異常に高く(男だけが罹る赤疱瘡でばたばた男が死んでいきます)、男がほとんどいなくなります。そのため若い男は「種馬」として重宝がられるという、まことにうらやましいことになっています。
 男は少ないため、生殖用に囲われて、たぶん何もしない。すべての職種は女が占めます。幕府の将軍も女で、大奥は当然、イケメン、ジャニーズ美男が構成しております。

 まるっきりパロディーでバカバカしい倒錯の映画でした。
 一人の女将軍の寵を得るため、着飾った男が妍を競う様は

「まんで、ホストクラブじゃ」

 笑ってしまったのは、吉原のおいらん道中!
 30センチはあろうかという三枚歯下駄を履き、満艦飾に着飾った男がこの下駄を大げさに外八文字をかくように振り回し、しゃなりこしゃなりこ歩くところです。

 男女の比率は半々が良いようですね。でも、男が少なくなったらほんとにこんなことになるんかいなあ。

2011年4月20日水曜日

春、制服、若い雄叫び

 春四月、さわやかな春風の中、若い新社会人が目につくようになり・・・・・
と、書きたいのですが、このやまさんの住まいする、大田舎県・田舎市・片田舎町・あざド田舎には、

 「どこに、そんな、フレッシュマンのわかいし、や~、おるん?」

 「とっしょり、ばっかりしか、おれへんわ」

 目につくのは年配者やご老体の方ばかり、少子高齢化の波のしわ寄せはわれらの田舎ほど大きいようです。
 そりゃあ~、若い人も多少はいますよ。確かに!
 でもね、そのわかいし、

 「私にゃ、よ~、わからん」

 というのは、思い思いのぞべらぞべらした色とりどりの服と称する布きれをまとっているため

 「ありゃ~、なんぞ?学生じゃろうか、はたまた社会人じゃろか、ほにゃけんど、あんな格好で行く仕事ってどんなんやろ。」

 学生か社会人かも定かでないわかいしが、年配者に混じってちょろちょろいます。年配者が圧倒的に多いため、目立ちません。
 またこんな若い人たちは男の子にしたところで、ホントにおとなしく自閉症的行動が多いようです。大概一人の時は、耳から電線をたらし、音楽を聴いているか、携帯をいじるか、私にゃ絶対見えないような小さな画面の携帯TVゲームをやってるようです。

 「わたしのような年寄りがのさばるから、元気も覇気もないんじゃろか」

 まあ、ここ我が住まう街では、そのような状況でありまして、

 「まっさらぴんぴんのリクルートスーツにピッシーと身を包んだ、いかにも、というようなわかいしはおりまへん」

 「いったい、わが町、いや我が県はどないなるんじゃろか」

 「ただでさえ、若い人が少なくなってきているのに、スーツを着たり、制服を着たりしている新人がおらへん。こりゃあ、遠からず、地域社会は滅亡するぞ。」

 社会はニートやフリーター、よく言えば自由人、悪く言えば与太者ややくざなもの、などいるのはいいんです。わたしもそうですから、こんな人たちが社会を構成して面白おかしく暮らしていくのもそれぞれの人生観ですから文句はないんですが、
 でもね、みんながそれでは困るんです。社会にはある一定の割で、エグゼクティブ(行政・管理)な職や制服の職(警官、消防官、軍隊など)がなければ、えらいことになりますよ。

 「それらの跡を襲う若い人が、ここでは見かけん、嘆かわしいなあ」

 と最近思ってました。
 で、ここから起承転結の「転」にはいりますからね~~~っ!

 本日、徳島行のたった一両しかないワンマン列車に乗り込みました。すると
 前の方から、どなりつけるような 雄叫び が聞こえてきました。いくら最近耳が遠くなったとはいえ、田舎の午前の人ずくないワンマンカーでまさかの、甲子園球場の宣誓もかくやと言わんばかりの大声に、心臓がひっくり返らんばかりおぶけかえりました。

 「な、な、な、なにがおこったん?」

 みると、(というか、興味津々、非日常がいつか起こるまいかと常々手ぐすねひいて待ってるやまさんですから、前の方につつつつーと寄っていきました)

 運転席にはまだニキビの跡もある高校生と見まごうばかりの童顔の子が制服をきて坐っています。白手袋をした右手をピンと伸ばし(ちょっと電気仕掛け人形のようでしたが)放射状にあちこちを指さし、びっくりするような声を上げています。

 「みぎ~ぃ、よし~!」

 というような安全確認、指さし、点呼のようです。
 その周りには、指導教官の腕章をつけた中年制服の人がなんと4人取り囲むように立っています。
 雰囲気だけで威圧感があります。そのうち3人の手にはボードに挟まれた採点票のようなものがあります。

 これ、たぶん、仮免の若い運転手の実地試験・採点なのです。
 見逃しては末代までの悔い、とばかり、邪魔になるぎりぎりのあたりに私は陣取りました。

 こまごまとしたことは避けますが、半時間、徳島に着くまで制服姿の若い運転手の、教官に穴の開くほど見つめられた運転操作と雄叫びを見聞きしました。

 還暦を迎えても今でも小学生の男の子のように列車の運転手には思い入れがあります。
 なんか、かっこいいですよね。とりわけ、鮎喰川鉄橋に列車がさしかかる前、この運転手が大声で
 
 「鮎喰川橋梁にかかります」

 「あくいがわ・きょ・う・りょ・う」この響きいいですね。拍手せんばかりにうけに入りました。

 乗客の安全を乗せて運ぶ運転手の新人がここに誕生しつつあります。先も言ったようにこのようにピッシーとした、わかいし、を見てなかったもんで、

 「ああ、きょうは、ええもん、みせてもろた。こんなわかいし、もっとわが身近にも出てくればいいなあ。」
若い運転手を教官4人が取り囲む













教官は採点票を持っている













列車が止まると一人の教官がすぐに降りて停止位置を調べ、マイナス1メートルとか言っている。
 運転手はこちこちに緊張している。






動画も見てください

2011年4月18日月曜日

竜巻注意報から宇宙の死をまたまた妄想する

 乾燥した天気が続いていたが、今日は雨の一日、でも朝から少しぱらつく程度であまり降らなかったが、いま午後5時40分、ザーと音がするくらい激しく降り出した。
 TVもつけているが、5時過ぎテロップで「徳島県地方竜巻注意報」が流れた。今、かなり寒い、上空から寒気が下りてきているが、そのせいで竜巻が発生しやすくなっているのだろう。

 竜巻、突風、雷、は個々の家で使うエネルギーに比較すれば莫大なエネルギーである。今、原子力発電の事故で電気エネルギー供給が逼迫している。このような竜巻、突風、雷のエネルギーが使用できれば、何千戸の家のその夜に使う電気が賄えるのになあ。と考えたりする。

 それにしても寒い。雨で湿度は高くなっているので、もう少し気温が高ければ、いいお湿りで気持ち良いのだろうが、気温が低すぎる。

 実は、竜巻、突風、雷は冷たい空気がある一方、暖かい空気もあるとき、その温度差が大きい時発生し、温度差に比例して威力も大きくなる。だから春先、暖かい中、今のように急に寒くなると、竜巻、突風、雷が発生しやすい。

 世の森羅万象の動きは、この気温差があるから発生するということができる。今、日本は震災で大変なことになっているが、この大地震・津波も高温部から低温部への熱の発散であり、原理的には竜巻、突風、雷と同じである。
 地球内部で生まれる主に放射性物質の崩壊熱による膨大な熱量を外部に向かって発散させるために、長い時間のスパンで見れば粘性を持つマントルが、熱せられた鍋の湯のように対流を起こす。そのマントルの対流の動きが地殻プレートに歪を溜め地震となる。
 
 マントルと地殻プレートの軋轢が地震を生むということは多くの人が知っているが、それは高温部から低温部へ熱が移動するに伴う動きであることはあまり知られていない。

 地球圏がすべて同じ気温になれば、動きがなくなり、竜巻、突風、雷どころか地震もなくなりよいような気がするが、それは宇宙の死を意味する。
 「熱的死」である。

 我々は高温部から低温部への熱を移動させて生きる活動エネルギーを得ている。廃熱がどんどんたまり途方もない時間の経過の末、宇宙が均一の温度になったとき、全く動かない、動きのない「死の世界」を迎える。

 途方もない時間の経過の末ではあっても、宇宙も死を迎える。

 しかし、「虚数時間のブログ」でもいったようにそれはいくつもある一つの「宇宙」の死にすぎないかもしれない。
 壮大な「宇宙」でも結局、ちっぽけな人間と同じ有限であり終末のある宇宙の寿命(仏教ではこれを「劫」という。)である。無数であるかもしれない宇宙のたった一つの死である。
 マクロであってもそれはミクロである人と同じこと、まるでマクロの中にミクロがあるような「入れ子」の構造を感じる。
 
 曼荼羅宇宙ってこんなもんだろうか、と、また、いらぬ妄想が展開する。

2011年4月17日日曜日

狸風呂具

 参考にならないかもしれませんが、ブログを作る上で何かヒント、いやいやそんな大したものでなく、ちょっとでも思いつきの足しになればと思い、今日のブログは捧げるつもりで書きました。
 例のブログを読ましてもらいました。若い女の子風の携帯メールにありそうな絵文字を多用した日記のように私には感じました。
 文も一つの主題でわりと短く、このようなブログは読みやすく、そこそこ人気があるのではないでしょうか。
 要点をまとめると

〇 左のようなキャラを最初に入れて、タイトルも大きく色を変えて入れているので見やすい。

〇 文章自体は短いもので、できるだけ簡略に、メール風に書くと見やすい。また、文字の大きさ、特に文字の色に気をつけて目立つようにしている。

〇 写真を多く用いている。これはよいことである。メール風の簡略な文でも写真一つに敵わない、その日のブログの主題(何を伝えたいかの)にぴったり合う写真を考えてあらかじめ撮っておいたり、収集しておくのは大事である。

〇 私はあまり好みではないのだが、文の中に小さなアニメ(顔文字が動いたり、犬やハートがピクピク動いたりするブログの素材)を多用している。
 これは安易だが労力が少なくて、結構、それらしく見栄えのあるブログができる。若い子にもうける。どんどん使えばよいと思う。第一、楽だわ。ブログ素材から引っ張ればよい。

〇 気軽にダジャレ的な「あだな」キャラの「命名」をやればよいと思う。
例えば、奈良のユルキャラ「せんとくん」、これは平城の遷都(せんと)から来ている。
 例のブログ!「ジョージ」くんだっけ。まあ、わたいの見るところ「証城寺の狸ばやし」のショウジョウジから来ているのでない?
 また今日のブログの「88さん でえ」なんか、しばらく考えて、さんでえ、と日曜・サンディーとかけているのがわかりました。
 ひっくりこけそうなダジャレ命名ですね。でもね。どこもこんなもんですよ。恥ずかしがらずしょうもないダジャレ命名をしましょう。
 例えばですよ、安易に、たぬきの「ぽんた。ぽんこ。たぬたぬ、ちっかだぬき、タヌキならぬタイレ、(高度なしゃれですよ)、なんでもありですよ。気軽におもっしょがってつけましょう。

 だいじょうぶですよ、今までに書いてあるブログを踏襲するようにしてもそんなに難しいものではないし、これくらいの量だったら自分のオリジナルでもできますよ。

 以下は、私の例としてブログの最初の書き出しとして考えられることです。しょうもないつまらんことで書いていいんですよ。

その1
 今日、南小松島駅で降りた。さっそく駅前では狸家族がお出迎えしてくれた。
驚いたのはそこから歩いて100メートルも行かないうち薬屋の看板を見てからだ。なんと看板には
「ポポンS」、おお、さすが狸の小松島じゃ、看板まで狸の腹鼓。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。

その2                                          
  こりゃ、なんじゃ?よく見ると竹輪の行列から狸が顔を出してる。
 ふむふむ、小松島名物の「竹輪」と狸。こりゃあ歴史的には新案じゃ
 狐にアゲ、カッパにキュウリ、はよく知られているが、狸に竹輪なんぞ歴史や言い伝えにはあまり聞かない。
 しかし、近年流行の「ユルキャラ」じゃ、早く言ったもん勝ちじゃ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 ・・・・・・・・名物の「フィッシュカツ」でわしゃ~タヌ公の顔を描こうかしらん~

その3
 小松島のユルキャラ「タヌキ」、私から言わせると上品すぎる!
 いいですか。タヌキは昔から「おお金玉」と決まっているんですぞ。それがない!
 卑猥?あああああああ、情けない!金長様が草葉の陰で泣いてますぞ。
 左は大金玉の皺を自在に延ばし、魚をすくい獲っているとこ、右はにわか雨でこれも大金玉の皺を延ばし頭から覆い雨を凌いでいるとこ、どちらも江戸の浮世絵師、「国芳」の作。
 むかしっ~~~~から、狸の戯作は大金玉を抜きには考えられなかった。
 しかし、広場にある金長大タヌキの像を見て、納得、さすが、太っ腹の小松島市民、よくぞ許してくれました。
かわゆ~~~~~~~ぃ。チン、チン、チン・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

その4
 タヌキの英語名は?う~んと、なんだっけ。
 英語にかなり堪能な人でも知らない人が多い。racoon dog なんじゃ~、???ぜんぜんこなれてない名前。しかも二文字。
 それもそのはず、おタヌキ様は、イギリスにはござっしゃらない。タヌキはいないがイギリスの狐は有名である。イギリスでも狐は悪知恵のある、だますキャラとして民俗で取り上げられる。
 日本では狐に加えてタヌキがいる。これは・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

思いつくまま出だし部分を書いてみました。
あまり固くならず、柔軟に、何からでもタヌキに関することを書き散らすんだ、という軽い気持ちで書けばいいと思います。
 私のブログの特徴で文字が多くなりますが、要点で述べたように、文字は少なく、修飾やアニメを多く取り入れる工夫がいいと思います。
 ほんとに、気持ちを楽にもって気張らず、作っていってください。

 スキル不足は、これは周りに聞いたり、そして家で自分のパソコンなんかで繰り返し練習する。こつこつやって積み上げていきましょう。いま苦労して身に着けたことは損にはならないと思いやりましょう。て、なんか救いのないアドバイスですね。上達する方法、だれか私にも教えて!
 

レイアウトのやり方はKOBAさんに、アニメなんかはとしさんにアドバイスを求めるのがいいかも。

2011年4月16日土曜日

貞光散歩

 貞光の街を歩きました。この町の名前変わってますよね。「貞光」。なんか中世の武士か刀鍛冶の名前のような響きがありますね。いわれをインターネットで検索したんですけど行き当たりませんでした。
映画館「貞光劇場」の門













入り口、懐かしい作りの切符売り場がある。












なぜか昔の手押し井戸ポンプがある。これも懐かしい。











貞光のウダツは多層になっているのが特徴だそうである。











 この町にある工業高校は優秀である。電験3種の合格率は全国1位とのことで、横断幕が掲げられている。
 この国家資格、大学の電気科でも合格は難しいそうである。
 おみごと!





街中に旧庄屋、永井家があり無料で見学できる
立派な門から入る。












 見事なかやぶき屋根。













中の展示物、古い内裏雛、古鏡、薄い板で作られた百人一首がある。











 これは箪笥のようにみえる。たくさんの小さな引き出しがあるのがわかると思うが、その引き出し一つ一つに紙で名前が貼ってある。漢字を読むと薬である。
 漢方の各生薬を入れる薬箱であろう。








勝手口の横の甕に八重椿が3輪浮かべてある。
 清楚な美を感じる。



列車の本数が少なく、帰りの時刻を気にしての散策であったので、あまりゆっくりできず、こまごましたところは見学できなかった。

2011年4月15日金曜日

今に残る古い映画館

 今日、駅で顔見知りの人と挨拶しがてら世間話をしていた。その人は明日

「わし、明日、貞光へ映画見にいくけん」

という。

「えーっ!」
 
 確か15年ほど前まではまだ映画館があったのは知っていました。
 平成8年に県西で山田洋次監督の映画「虹をつかむ男」というロケがありました。その時分、うんと暇だった私は(今でも暇ですが)ロケ班の追っかけをして、脇町、美馬、貞光町を見て回りました。その時、現役の映画館として、その時休止状態の脇町「オデオン座」と同時に「貞光劇場」も注目されました。それで平成8年にはまだ開いているのを知っていたのでした。
 
もうとっくに潰れたと思っていた私は思わずその男の人に聞きました。

 「まだ、映画館、開いているの?潰れずにあるの?」

 と聞くと、まだ健在であるという。

 いやいや、驚きました。人口の多い徳島市内でさえ数年前に映画館は絶滅してしまったのに、人口一万足らずの県西の田舎町に映画館がまだあるとは。
 さっそくインターネットで調べてみました。今から3年ほど前の徳島新聞の記事ですが、それを読むと、確かにまだやっています。この時館主のインタビューがありますが
 「体が動かんようになるまでやる。」
 とのこと、この時76歳となってますから、今は80歳近くです。あす、映画を見に行くということは、お元気でやっておられるのでしょう。


 徳島市内の映画館が0のことをおもうと、今、貞光に映画館があるということは全く稀有なことのように思います。
 それも週末だけ開いているのではなく、2年前のこの映画館を見た人のブログによれば年中無休だそうである。
 このブログによれば午後一時から映画が始まる。この時はこの人たった一人の上映だったそうである。
 昭和7年開館(1932年)。映画の全盛期~衰退期~絶滅期を経験し、その長さ79年、人と同じ寿命で成長、全盛、老衰そしておそらくはやがて・・・・・・・・・・


 わが町にも昭和30年代前半、私が小学校の時、映画館が3館もありました。映画の観客動員数がもっとも多かったのがこの頃でした。映画全盛時代です。TVの普及はまだ先で、楽しみの少ない田舎において映画は娯楽の王様でした。たまに映画を見に連れて行ってくれる日は何日もまえからどれほど心待ちにしたことでしょう。
 田舎に回ってくるフィルムは擦り切れ、雨降り状態、プツンとよく切れ、ブラックアウトしました。待ちくたびれたアンチャン達がピーと指笛を吹いて苛立ち催促していたのを思い出します。
 館内は冬は寒く、夏は扇風機が天井で回るだけで、蒸し暑く汗が吹き出ました。便所も汚く臭かったのも覚えています。
 しかし、今となっては、そのような昭和30年代の映画館を懐かしく思い出します。

 「残せるものなら、残って欲しかった」
 
 と思っています。
 それが、貞光に同じ映画館が現役でまだ残っていると聞いた時はちょっとジーンとするほど感動しました。

 いま、いま、この目で見られる現役の古い映画館はここで最後かもしれない。 

 そう思い、あす、この映画館のある、もしかして昭和30年代の帰らぬ街に再び会えるかもしれぬ貞光に行くことにしました。映画館を見るのが主目的ですが、ウダツのある町筋も歩こうと思っています。
 映画は安く手に入る関係で経営上どうしても「成人映画」になるとのことで、館内に入って映画までは見ませんが、まわりからしっかり見るつもりです。


ある映画 
 その古い映画のことですが、徳島市内へ出て、本屋で写真週刊誌を立ち読みしているとある写真が目に入り、高校生の時見た洋画「猿の惑星」を思い出しました。

大震災の津波にあった石巻の公園にあった瓦礫・荒廃の中に立つ「自由の女神像」
写真週刊誌より













 
そしてこれが昔見た洋画「猿の惑星」のラストの衝撃シーンです。


新しい希望の惑星に新天地を求めたが・・・・・・・
その新天地と思った惑星は、実は、核戦争で絶滅した地球だった。




荒廃した地にある「自由の女神」、そしてどちらも放射能の汚染が広がっているのである。今の日本と重なりますね。
 そういうわけで大昔の映画を思い出したんでしょうね。
 
 このSFの名作の中で放射能から生き残った人類の子孫はどうなったと思います?
 地下に居住を移し、放射能で遺伝子が変化したのかミュータントになり、
 そして、核・放射能最終兵器コバルト爆弾をご神体と崇めるのです。
 なかなか今の日本に対し示唆に富む映画ではありませんか。
 
 「放射能」の恐怖におびえる人、みなさん!いっそ、祟る(たたる)放射能は、この映画のように崇め(あがめ)ませんか、怖く恐ろしいものなら、祭ってしまいましょう。

 「放射能道理教」なあ~んちゃったりして。

 ごめんなさい、ごめんなさい!不謹慎でした。

あす貞光を歩きます。古きものを求めて。皆さんもお暇ならどうですか。 

貞光劇場の新聞記事はここクリック
 この記事にある写真の館主のじいちゃん、写真で見ると私の亡き親父とそっくり、これだけでも見に行く動機になりますわ。

2011年4月14日木曜日

今夜も歩いた

 このところ夜、3日続けてウォーキングに出ている。他の街ではどうか知らないが、わが町の人は夜、健康のため歩くのが好きなようである。もっとも、歩くのを目的に歩いているのはすべて年配者と言ってよい。
 徳島県は糖尿病の発症率が全国一位だから、このように歩くのはその予防、改善にもいいに違いない。

 一人で歩いている人もいるが、夫婦で歩いている人も半数近くいる。手こそつないでいないが並んで仲良く歩いていて、高齢者ではあるがちょっとうらやましくなる。
 「偕老同穴」
 という四字熟語を思い出した。

 一人歩きの年配者は女性が多い。同じ年齢の男性よりずっと元気にみえる。きびきび、さっさと歩いている。
 私はいろいろ考えながら歩いているせいか、ゆっくり歩く。同じ方向に歩く人には大抵抜かれていく。

 私は大体3~4コースを決めてあり、その一つ、だいたい3kmを歩く。途中、ビデオ屋に寄ったり、遅くまであいている本屋に寄ったりもする。
 今日は歩いていると急に甘く歯触りが独特な「ジェリー菓子」が食べたくなり、スウパアで買った。

 帰り、空を見上げると、月がずいぶん成長していた。あと二三日で満月のようだ。

 安全対策のため、反射タスキと首から吊るすは反射板欠かせない。

2011年4月13日水曜日

砂時計そして虚数時間???

 今日忙しい友人に頼まれて砂時計を買った。時計と言っても文字盤の表示があり時間を刻んで刻々計れるものではない。1分、3分、5分などそのひとまとまりの時間の経過だけを計れるものである。
 私が頼まれたのは3分の砂時計なので、用途はよく聞かなかったが、即席麺をふやかすのにでも使うのだろう。砂時計はせいぜい60分の計測が一番長いのかなあと、昔は思っていたが、20年ほど前、山陰を旅行した時、島根県の仁摩町の博物館で1年かかって落ちる砂時計を見た。
 世界最大と言っていた。見上げるほど大きなもので六分儀のような機械装置に挟まれたそれは、宇宙の裏方にある、この世の森羅万象すべてを回し支配する『時を廻らす機械装置・ガジェット』のようなファンタジーを感じたものである。

 砂時計は時計の中でも古くからある部類に属する。機械時計は13世紀ぐらいからだろうが、これは紀元前からあったようである。
 大まかな時の経過しか計れぬものは、古代中国や日本にもあって、火のついた線香だったりロウソクだったりした。
 しかし、いろいろある時計の中で、私は砂時計がもっとも視覚的に時の経過を表すものであると思う。人はなぜか時を「流れ」でとらえる。
 さらさらと落ちて下に流れる「砂」は「時間」そのもののようでもある。砂時計のなかでさらさら落ちる砂の一条はまさに時間の流れである。

 『時の流れ』 『流れ去る時間』 ・・・・・・・

 話はちょっと変わるが、私は砂時計と聞くとある歌を思い出す。私の年代のものにはこういう人は多いと思う。
 それは『シバの女王』(サバの女王)である。
 もう、最後のフレーズは頭にも耳にも焼き付いています。

 「あなたがいないと、生きる力も、失われていく、砂時計」 

 時の流れをつかさどる機械装置・ガジェットである「砂時計」が失われたら、時間のない世界に踏み入ってしまうかもしれない。死者の世界か?確かに、生きる力もうしなわれるわな。

 
 私は理系の頭はしていない。「時間」という物理単位がいかなるものか論じることはできない。しかし、物理の次元数のなかで「時間」は論ずるにあたってもっとも自由度が高い気がする。
 いいかえると、「時間」は哲学的にも、文学的にも、宗教的にも、もっと身近に生活のなかででも、それは意味を持ち、厳密な定義はなくても、ある意味を指し示し使われる。
 ようするに、「時間」を物理学者の定義になどまかせないで、各人、「時間」について一家言あってもよいということである。

 そこで、以下は私のファンタジーなのでそのつもりで・・・・・

 仏教の宇宙観によれば宇宙は我々の住む一つだけでなく、たくさんあることになっている。曼荼羅の宇宙によればよく「三千世界」といわれるが、これは無数を意味するとみてよいだろう。

 全く独立した宇宙ということは、空間も時間も閉じていて、その宇宙からは絶対出られないし、他の宇宙を認識することすらできないものである。

 つまり時間に関してはその宇宙宇宙ごとの時間があることである。先の砂時計を固有の時間と例えるならば、一つの宇宙に大きさも流れおちる砂の速さも違い、また落ち始めの起点も全く違う砂時計が各々宇宙宇宙ごとにあることになる。

 我々の宇宙の持っている時間は過去から未来へ一直線につづく一本の線分である。しかし各々の宇宙の時間は線分の長さも違い、また方向も違うかもしれない。もしかすると曲線かもしれないし、円や楕円のように閉じたものかもしれない。

 他の宇宙の時間の性質など知りようがないのだが、多宇宙を考えたときから、それはたった一本の線分の時間でないことは確かである。

 もしそうであるなら、時間の次元は直線でなく、平面に広げられなければならない。平面になればカンバスに油絵を描くようにどんな奇妙な性質を持つ「時間」でも刻むことができる。

 たった一本の時間の直線から、平面にするにはどうしたらいいのだろうか?

 文系の頭でもこれは考えられる。高校の数学Ⅰで数直線を実数に見立てたのを思い出した。たった一本の直線に負数、小数、無理数、π、超越数、が入る。これらはすべて実数である。しかし解析の必要上から「虚数」を導入すると、
 なんと!数直線は全く次元を新たにし、平面が作られるのである。複素平面とか、ガウス平面とかいうのがそれである。それにより数学がより深化し発展したのは言うまでもないことである。

 そう、そのように「虚数時間」を考えることにより、多くの宇宙のそれぞれの特徴ある時間が考えられるのではないだろうか。

 異なる宇宙を客観視できる次元を設定するための「虚数時間」軸である。

 面白い「時間」の空想は自由に飛翔する。そのようなファンタジーの世界に純粋な「虚数時間」の砂時計があるのかもしれない。

花が散る散る春が逝く

 芭蕉は元禄2年、行く春を惜しみつつ、みちのくの旅に出発する。旅に死することを覚悟しての旅立ちであった。

 覚悟はないが私も逝く春を見送るため、小さな小さな、たった一日の旅に出た。

 行く春や鳥啼魚の目は泪 (芭蕉作)

ムウビメエカで編集しました見てください。

2011年4月11日月曜日

 私の家から少し離れたところに泉がある。水辺といっても池のように動かない水より、こんこんと湧き出る泉の方が癒され、心も和む。
 ときどき散策している。しかし最近、水位の低下が激しく、雨の降らないこの季節、枯れている。子供の頃は年中枯れることなく湧き出ていたが、近年の環境の変化がもたらしたものだろう。
 下の写真、実は去年の秋ごろ撮ったものである。はやく冷たく清い水がこんこんと湧き出るようになってほしいものである。


この泉から流れ出た川が江川となる。