日本は世界に冠たる漫画大国です。外国にも漫画はあるけれども私の見るところ日本の漫画とくらべると、行っちゃあ悪いですがお話にならないほど、低レベルであります。というか低レベルに甘んじてます。なぜそうなのか。そもそも漫画にあちらの国は芸術性も文学性も認めないでしょう。風刺、お笑い、低俗な主題のイラストが主です。
漫画に芸術性や文学性を云々するのはまず日本以外は考えられないでしょう。このように洗練された漫画を日本人が持っているのは、日本人の伝統に培われたアニメ的な絵物語の系譜があるからといえます。
それは平安末から盛んに作られた「絵巻物」です。以前これについて別のブログで書きましたので、参考にご覧ください。
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今回の「やまさん中世を歩く」というブログは『一遍上人絵伝』を元にしています。そこで今日は番外編として絵巻物の見方をちょっとお話ししようか思います。
普通絵画はその一場面のみの静止したものです。絵を動かすためには何枚かの絵を高速でパラパラめくると、あたかも動いたように見えるのはルネサンス期から知られていました。後の映画の原理となるんですけれども。
しかし、一枚の静止画でありながら特別な技法によって生き生きと動いているように見せる方法もあります。これが現代の漫画技法に発展します。しかしこれには鑑賞者のちょっとした能力が必要です。先の映画のコマのような高速でめくる方法は誰であっても絵が動いたように見えますが、漫画的な技法はある程度の約束事が共通認識されている必要があります。
赤塚不二夫の漫画では千手観音のようなたくさんの放射状の手を描いて「手の激しい動き」を表現してます。人がジャンプするときは空を切る曲線が描かれます。そのほかにもあるでしょう。
このような表現は我々日本人からすれば自然で当たり前と思っているでしょうが、全然当たり前ではありません。このような表現をわれら日本人が発明し、共通認識できた上で、我々は生き生きとした漫画を鑑賞しているのです。
このように一枚の静止画を生き生きと動かす技法を取り入れ、鑑賞できる日本人はすごいと思いませんか。こんな能力は1000年も前の絵巻物によって培われてきたのです。
さてそれでは絵巻物をどのように見るかお話ししていきましょう。
絵巻物はその名の通りなが~いなが~い褌のように一連の物語を書き綴った絵で漫画の吹き出しにあたる詞書きをその間にはさんでいます。
見るときは全部開いてみるのではなく、下図(下手くそな私の描いたイラストですが・・)のように一部分だけを、まあ30センチくらい開けその開いた間隔が30センチに保たれるように右左の巻物を右から左の方へ繰って行くのです。
このように一部分だけに焦点を当てて巻物を繰りながら見ていくと、次々と左から湧き出すような展開が見られ、見る方にとってはわくわくドキドキの面白い見方ができます。また例えば旅をする場面などでは風景が繰られ動くため、それこそ動画のような面白さがあるわけです。
また、繰って動かす方法とは別に次のような技法も使われています。元となる「一遍上人絵伝」から次の場面をご覧ください。
これ、よく似た建物が2つあり、またよく似た子坊んさんが2人いるわけではありません。建物、小坊主は一つ一人なのです。
左の建物へまず子坊んさんが歩いて行っています。そして右は少し時間が経過した後、建物の縁台に坐り師匠の師の坊さんに対面している図なのです。これを
『異時同図法』
他にも絵巻物はいろいろな工夫がされて動的な物語絵を見るようにできていますが、それはまた2回目以降の「やまさん中世を歩く」のブログでおいおい説明していこうと思っています。
それにしても1000年も昔からのこのような漫画、アニメティックな技法を取り入れて絵巻物を作成したなんて、日本人のこのような描写能力、鑑賞能力はホントに舌を巻きますね。
3 件のコメント:
面白い漫画は、心を癒しますね。
よく東京では電車の中でサラリーマンが漫画を読んでます。
短期のバイトは無事すんだんですか。先日久しぶりにハロワに行きましたが就職状況はまだまだ厳しいですね。
何もかもが高齢になると先が暗く、長生きしたくないですね。
絵巻物の見方、勉強になりました。
人は昔からアイデアをだし、知恵を絞り、娯楽や芸術にも一生懸命だったのですね。
日々の生活に追われ楽しむことを忘れがちな今の時代に置き換えるとやはり「マンガ」なんですね。
今は芸術の都フランスの若い人たちが日本の漫画やアニメにはまってますよ。
サブカルチャーがカルチャーになる日もくるかも知れませんね。
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