2012年2月21日火曜日

やまさん中世を歩く その3 遍歴前のこと


 もう先に言ってしまえば、一遍さんは延応元年(西暦1239年)に誕生し、正応2年(西暦1289年)に没するから、数え年51歳の生涯であった。昔は人生五十年といわれていたから、早死にではなく当時の常識から言えば、天寿ともいえる。今の男性の寿命と比べるならば、当時の成人以後の実年齢に20~30年加えたらちょうどよいだろう。

 その一遍さん、庶民の教化に遍歴の遊行を始めるのは30代半ばを過ぎてからである。一遍さんの寿命を考えれば自分の寿命の三分の二を使いきったころにようやく本来的な活動を始めたことになる。これはかなり遅い。
 キリストは30歳をちょっと出たところで十字架上で昇天し、その生前の教えを完結するわけであるが、一遍さんはその年齢に達してもまだ故地にとどまり、修業、あるいは小範囲の教化しかやっていなかった。

 宗教的な(教祖となるような)偉人は、それこそ文字どおりある時、急に「インスピレーション」(霊感)によって啓示を受け、あるいは悟りを啓くことがある。
 その場合、年齢が若いからとか、学問・修業が浅く短いからはほとんど関係がない。極端なことを言えば、霊感を受け、神から啓発されれば少年少女であっても構わない。まあ、このような宗教的な偉人は

 「神に選ばれた。」

 のだろう。

 しかし、中には凡人タイプと云おうか、コツコツと学問や修業の末、努力して悟りを啓く人もいる。当然、すごく月日はかかる。中世にあっては短い寿命との戦いにもなる。よぼよぼに爺さんになって悟りを啓いても、もはや人の教化には乗り出せない。
 一遍さんはこのようなタイプの宗教家であった。そのまじめで長い修業を見てもわかる。当時としては初老といってもいい30代後半から全国遊行を始めるが幸いなことに51歳の天寿まで15年以上ある。(死の瞬間まで遊行は続いた) そして何よりすぐれたことは、非常に健康な体で、かつ健脚であったことである。
 ケケの鬼太郎ではないが、下駄をカラコロいわせ実によく歩いた。

 私が魅力を感じるのは、決して彼は天才肌の人で一足飛びに我らの手の届かない聖域に駆け上がった人ではなく、我らと似た同じ凡人で、努力、修業、そして全国遊行の旅から宗教的なステージを高めていったことである。

 さあそれでは一遍さんと中世の旅を続けましょう。

 九州大宰府で学問修業をしながら11~12年たったころ、四国伊予の父が亡くなり、伊予の国に帰る。
 故郷で何年か僧俗の生活を送る。絵巻ではあまり詳しいことは述べられていない。ただ修業に励んだこと、輪廻について思索したことなどが書かれている。
 下は帰ってきた故郷四国伊予の田園風景。
 お堂があり、傍には五輪塔(墓か)、供養塔が建っている。
 左の山にはさまれた田圃には農作業の仮小屋だろうか、めずらしい形の建造物がある。

 その仮小屋の拡大図。用途はなんだろう?興味がある。物見やぐらに似ているが周りに何もない田んぼの真ん中だからやはり農作業の何かだろう。
 山桜が咲いているから春である。

 故郷で俗に交わる生活を行いながらも『聖』(ひじり)として山野に生き、遊行をすることを決意したと思われる。再度の出家に近い遍歴・修業を思い立ったのであろうか。その決意を胸にもう一度、九州の大宰府の師のもとに面会に行く。

 その間、伊予国では一遍の第一の弟子、生涯の友・同朋となる「聖戒」が出家をする。この聖戒、一遍の異母弟とも従弟とも言われている。

 下図は生涯の伴侶(ホモじゃないですよ、一応いっときますが)となる聖戒の出家。髪をゾリゾリ剃っている。
 赤い水差しが印象的。この時も山桜が咲いている。

 さらに何年かたち文永8年、一遍は33歳になっていた。信濃の善光寺に参詣を思い立ち、いよいよ長途の旅に出立する。
 先頭が一遍。2人目が聖戒であろう。一遍は丈高く、色黒く、顔は細長く、体つきもシャープである。かなり写実的に描かれている。この一遍の姿、よく覚えておいてください。
 海岸を行く一行。小舟があり、上空には雁の群れが渡っている。詞書きは春とあるから、北国へ帰る雁であろうか。

 一行の拡大図です。柄の長い傘、高下駄を履いていますね。何かのシンボル的なものか、純然たる実用からか、はよくわからない。
 この絵で見る限り、一遍はんも、聖戒はんもけっこうな男前ですなぁ。

 
 つづく

4 件のコメント:

Unknown さんのコメント...

絵巻って、カラ―なんですね。このまえの水墨画みたいに暗くはないですね。この時代こんな傘があったのも意外でした。(^^)

yamasan さんのコメント...

そうです。絵巻は私の知る限りカラーです。ただし千年近くたったものがあるため色はかなり褪せています。完成当時は目もあやな極彩色でしょうね。

 この絵巻は傘はよく出てきます。
 ヨーロッパの中世の絵には傘などまずありません。扇とともに傘は日本の文化ですね。ヨーロッパの3倍以上雨が降りますし、扇は蒸し暑い日本では必需品かも。
 これからもさまざまな傘が登場します。褄折り傘、が出てきます。面白いですね。

 歴史ものに特化してしんさまはあまり興味がないのに毎回コメントありがとうございます。
 前回もですが時刻を見ると早朝4時、睡眠はとれてますか?無理をしないようにしてくださいね。春先は体調が崩れやすいですから、十分お休みください。

てるゆき さんのコメント...

宗教て、何なんでしょうか?

今、ある芸能人も洗脳されていて話題になっていますが?

yamasan さんのコメント...

>>テルさん

信じるのは人それぞれでいいんですが、カルト・狂信的なのは困りますね。それと押し付けがましさ。おせっかいというんでしょうか、妙な使命感に凝り固まって、「人を救わなきゃ!」などと積極的に働きかける人がいますね。
 まあ、宗教とはそんな本質があるんでしょうかね。
 そんなところは私は敬遠します。

 ただし、この一遍さんはそんな狂信、強制、勧誘はあまりしません。他の宗教とも協調しています。
 教えも自分一代限り、あとはすべて著作は焼き捨てよと命じてます。
 まさに名もなき「ひじり」のような生涯でした。(ただ信者、弟子などがその教えを継いだ)

今回のブログシリーズはその題からもわかるように、宗教が主題ではありません。
 中世を旅しながら歴史風俗、当時の風景、そしてちょっぴり一遍さんの教えの概略を紹介できたらと思っています。

 タイムマシン旅日記とおもって見てくだされば幸いです。