2012年2月16日木曜日
やまさん中世を歩く その1 出家
チベットという国の国民(今は中国に支配されているが元は立派な独立国であった)の国民性はいろいろ言われているがまずみんなが認めるのは「宗教的な国民である」ということである。敬虔な仏教徒(もちろんチベット仏教だが)であり、信仰心篤く、宗教的な活動は生活の隅々まで浸透している。
私が一番宗教に熱心な国民だなぁ~、と思うのは、一家に子供が何人かいたらそのうちの一人を出家させお坊さんにすることである。一家の中で一人は僧侶にして自分たちの信仰心を示し、併せて宗教的な救いを恃む。のである。
今どき世界のどこを探してもこのような国民はないだろう(いや!タイはチベットほどではないが似ている)。もちろん今の日本では考えられないことである。
しかし、日本の中世はそうではなかった。ここでちょっと「中世」について説明しておく。一口に中世というが単に古代と近世にはさまれているから「中世」というのではない。私のいう「中世」は権力が各地に分散して存在していた封建制社会である。それは決して関連のないバラバラの地方権力ではなく封建という社会関係によって王あるいは将軍を頂点に階層化された権力構造を持っていた。ただし各地の地方領主は独立した基盤・権力を持っており、王・将軍などの中央的な権力の直接的な行使は認められなかった。
そしてもう一つの特徴として、社会における宗教的権威が非常に高く、寺院・教会が政治権力と対抗できるだけの「権力」も有していたことである。
このように「中世」を考えると、実は歴史において「中世」といえるのを持っていたのは西ヨーロッパと日本しかないのである。
その日本の中世、上に述べたように宗教に色濃く支配された時代であった。今のチベットの国民のように「極めて宗教的な人々」がひしめいていた時代であった。
有力な家では子供の一人を出家させるのは当たり前、菩提を弔い、宗教的な救いを恃むという意味もあったが、この時代は宗教家が権威・権力を持つ時代である。有力な家は世俗の権力と聖界の権力と2つを手にするためにも子弟を進んで出家させたものと思われる。
これから紹介する「ひじり」は有力な家の子弟であるけれども、大寺院などの権門に阿らず、清貧に甘んじ、ひたすら庶民の救済の為に全国を遊行してまわった遊行聖である。
私が魅力を感じるのはそのような権威・権力・富と縁遠い生涯をおくったこと。そしてそれ以上に彼は、はっきりと、自分の教えは自分一代限りのものである。と明言していたことである。偉大な宗教家といわれる人はみんなその教えを継ぐようにあらかじめ弟子などを用意するものであるが、かれはそれを戒めている。
「わが教えは一代限り」
教えの内容は知らなくてもこの潔さに私は魅せられます。
今日からその一代記ともいえる絵巻物を元に彼、「一遍上人」と中世を一緒に旅したいと思います。
絵巻物の1ページは初春の風景から始まります。そうこのような白梅が咲く・・・・・
下の写真は今日の徳島城公園の白梅、そしてそのさらに下は13世紀、紅梅白梅咲く、伊予の国、一遍の生まれ故郷の風景です。
この絵巻の左を繰っていくと次のような一遍の生家が現れます。出家する一遍をおくるため人々が集まっています。老尼は母ではない。この時一遍は15歳、母は10歳の時に亡くなっている。一族の女性であろう。
家を出た一遍はこの絵巻のさらに左を行きます。下の写真です。
上の図の「見送る一族」、旅立つ「一遍一行」の部分の拡大図です。
出家とは単に家を出るだけではない。俗世の縁をすべて断ち切り、聖界に生きることである。その出家の旅立ちの絵巻の部分である。だからその別れは死別にも等しい別れとなる。
まして見てもわかるように15歳、今日でいえば13か14歳の背の小さな子供である。別れは一入つらかっただろうと思われる。
恩愛の人と離れ旅立つ一遍、一遍を可愛がった見送る人々、それぞれどのような思いであったのだろう。しかし健気にも一遍少年は案内導く僧侶の目を見上げ、振り向きもせずしっかりと前を向いて歩いている。
現世では再びまみえぬ決意の出家の別れであった。
一遍の年齢生い立ちから考えると、出家は一遍の意志より以前にすでに定められていたのかもしれない。10歳で母と死別したがそんなことも出家の一因だったのだろうか。
これから学問・修業が待っている。捨て聖(ひじり)として全国を遊行するのはまだまだ先である。
これからも絵巻は一遍とともに中世に生きる庶民、さらに下層民にも焦点を当て展開していきます。
「一遍、頑張れ、名もなき人々、虐げられた人々は、救いを待ってるぞ」
次回につづく
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3 件のコメント:
聖さんって一遍上人さんだったんですね。と言っても全く知らない人ですが、聞いたことはあります。15歳で出家ですか、マハリシの先生のブラーマナンダ・サラスワティー先生もそのくらいで出家したみたいで、その後ずっと洞窟にこもたみたいですが、一遍さんはどうなんでしょうね。楽しみです。ヽ(^。^)ノ
しんさま毎回コメントありがとうございます。
この「やまさん中世を歩く」は歴史もの、宗教ものの分野になると思いますのでしんさまの趣味とは相当違うものになります。
おそらく退屈し、読むのも見るのもうんざりするかもしれません。コメントもやりずらいと思います。続きをアップしますが毎日にはならないと思います。他の題も入れながらの不連続ですので、この「やまさん中世を歩く」はどうぞパスしてください。
しんさまは過去の中世をやまさんに付き合って歩くより、未来の救済を目指して歩いてくれる方がうれしいです。
歴史好き、宗教好きはいけませんね。どうも後ろ向きで消極的になりがちです。
>yamasanへ
ご無沙汰しています。
やっと読むことができました。
ついに連載物を書く日がきましたね。
不特定多数に発信するブログ。誰の目に止まるかわかりません。
ちなみに家の父親の俳句ブログは「本にしてみませんか」という誘いがたまにきます。自分が印刷関係にいるためすべてお断りしているのですが、悪い気はしないものだと思います。
どの様に展開していくのかネタを知らないので楽しみです。
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