2012年2月13日月曜日
狂い、遊び、たはぶれ、そしてたましひの踊り
こんな過激な言葉をずらずらと4つも並べ、さてこれを実践となると・・・4つのなかで「遊び」くらいはまあできようか?いやそれとても枠にはまった既成の無難な(道徳・法律に違反しない範囲という意味で)「遊びと称する気晴らし」ではないだろうか。「遊び」とはきわめて創造的で独創的で、何物にも縛られない、ちょっとその人以外はまねのできないものであるべきではなかろうか。
現代のうんと過激なロックミュージシャンならこの4つの言葉が当てはまっているかもしれないが・・・
「なぁに、そんなフリはステージやせいぜい外見だけで、自分の部屋に帰ると常識人になって、金勘定しているよ」
という声が聞こえてきそうである。そりゃそうだ、前記の4つを実践した日にゃあ、とても長生きはできまい。そうすると、もしかしたら夭折した芸術家にはほんとにこの4つを実践した人がいるのかもしれない。
現代でもこのように生きる人は珍しいのに、時を遡り歴史時代に生きた人を考えると、余計そんな人はいやすまいと思う。
ところがそうではないので歴史とは面白い。特に平安時代末期から鎌倉時代にかけてはそんな人も含めた「アウトロー」がわんさか出てくる。いまNHKの大河ドラマでやってる時代もそうである。
時の中央政府に逆らう無法者もいたが、そのような反社会的な行動をとる以外にも、「非」社会的な行動をとる人もずいぶんといた。「狂い、あそび、たはぶれ、おどる」行動である。
現代人は容易に「憑依」、「熱狂」、「病的興奮」、「トランス状態」になったりはしない。しかし中世人は集団で容易にこのような状態になる。いろんな場所でたびたび人々は集団的エクスタスィーに達する。現代だとごくまれにロック会場でしか見られないような興奮状態である。
遊び、たはぶれ、に熱中する様も現代人の比ではないくらい過激である。何せ、中世人は時として爆発するような刹那的快楽にわれを忘れる。
「後先考えず、理性のない行動は人の規範とはならないぞ!」
というなかれ、中世初期は戦乱、飢餓、疫病、いわれのない暴力が蔓延し、人がコロコロと死んでいった時代である。仏の救いはまだ貴族のモノであり庶民は魂の救いすらなかった。
そのような中、人々は
「今、この今、刹那的な生の輝きを求め、一時的な快楽に我を忘れたのである。」
遊びあり、たはぶれあり、そして集団的エクスタシィの華ともいえる「魂を揺さぶる踊り」もあった。
ロックンロールの語源は身体をロック(揺れ動く)とロール(転がる)から来ていると・・・、いやそれは公式の語源であってほんとはもっといわゆるフロイトの言う性衝動のような心の中の根源的部分からほとばしる生のエネルギーの躍動のロック、アンド、ロールであろう。
そう考えるとむき出しの衝動、刹那的に生きることをも是とした、むしろ中世人こそ、このロックンロールの熱狂に近い人種とは言えまいか。
この中世人の心性を歌った私の好きな当時の歌がある。
『・・・一期は(一生は)夢よ、ただ狂え・・』
『遊びをせむとや、生まれけむ、たはぶれせんとや、生まれけむ、遊ぶ子供の声聞けば、わが身さえこそ、動(ゆる)がるれ。』
(わが身さえこそ、動(ゆる)がるれ)、まさにロックですね!
この下の歌はNHKの大河ドラマでたびたび流れているので知っている方もいましょう。
このような、狂い、遊び、たはぶれ、そしてたましひの踊り、に容易にトランスした中世人の中に四国生まれの「遊行の聖(ひじり)」があらわれました。
さてその「聖」、人々をどのように教え諭していくのでしょうか。
いよいよ、シリーズ一回目を次回より始めたいと思います。
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2 件のコメント:
やまさん、すごい前置き宣伝ですね!興行の素質があると思います。満員御礼間違いなしです。楽しみやなぁ~(^_^)
乞うご期待と、申したいのですが、実は最近、かなりひどい鬱状態が続いております。
ちょっと気力、意欲が減退してます。期待に応えられないと思います。
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