2012年2月14日火曜日

気になる言葉


 自閉的生活をずっと続けていて最近のコミュニュケーションといえばブログ友のコメントのやりとりばかり。その中のやりとりでちょっと気になった言葉があった。

 『継続は力なり』。『ゼロサム』

 〇〇は力なり。と〇〇を変えた言葉で考えてみた。「継続」と入れるのは如何にもまじめで職人気質の多い日本人にふさわしいように思う。
 私自身のことを考えると、幼少時から飽きっぽく、不真面目で、復習などは大嫌いだったから、「継続は力なり」は確かにそうではあるけれども自分の座右の銘にはしがたいものがあって敬遠してきた。

 私は中世イギリスの哲学者のR・ベーコンだったかF・ベーコンだったか、どっちか忘れたが

 『知は力なり』

 という言葉に魅せられてきた。魅せられてきたのであって信奉というには、ちょっとおこがましい。とても「知」のある私ではないからである。
 でも魅かれながら青年期より「知」を得ることを目指してきた。

 西洋中世の哲学者がいった「知」とは「科学的知」と思ってきた。16世紀から始まる科学知の発達が今日の近代文明を生んだことは明らかであるからである。
 確かにこの科学知は大きな力を生んだ。「神は力なり」が支配する中世の闇で「知は力なり」とおずおずといった哲学者は正しかった。

 私はこの科学知を少しでも身に着けることを目指してきたが、私個人に関する限り、残念ながら力とはなりえなかった。知のつけ方が足りなかったばかりではあるまい。
 このようなたとえの話がある。

 『同じ水を飲んでも、牛は滋養のある牛乳となり恩恵をもたらすが、蛇は同じ水を飲んでも顎の毒腺の猛毒となって災厄をもたらす』

 「結局、俺は知を飲んでも牛のように牛乳とはならなかったんだ」

 もう人生の衰退期に入った今、科学知をいまさら求めはしない。若い頃「知」とは科学知であると信じてきたが、自然・人文・社会科学の知ではなかったんだ。
 今となっては、如何に生きるべきか、いかに死すべきかの「人生知」である『智慧』を得たかった。しかし、さとるにはもう遅いかもしれない。

 さて、次の「ゼロサム」である。
 もともとゲームを元に考えられたものであるらしい。国際関係、外交上の駆け引きに「ゼロサム理論」などが登場してくるが、難しいことはわからない。

 しかしサム(合計・総額)が結局0(ゼロ)になるという話しは、これを宇宙の創生、進化、そして宇宙の発展・衰退、消滅のように、途方もない、ものにくっつけて考えるのは非常に面白い。

 プラス・マイナス、借方・貸方、損・得、勝・負け、に揺れながら最後は初めのように振り子が0位置に戻るというのは、魅かれる理論である。

 さあ、この理論、大宇宙の現象に当てはまるのか?そんな難しいことをこのブログで書ききれるはずはありません。
 でも妄想の類として「ゼロサム理論」でもって宇宙をあれこれ考えるのは退屈しのぎになってすこぶる面白い。
 実はよく似た話があります。それは

 「宇宙創成で、神は(創造主)は、サイコロを振りたもうたか?」

 つまり創生において「確率、偶然」によって宇宙はまさに「ひょこっと生まれ出たのか」、
 そんなアホな、この何物にも代えがたい価値ある宇宙が、サイコロを振ったというような、博打場での誕生のようなものであるものか!

 そのようなものとして「ゼロサム」は宇宙の究極であり得るのか?
 
 私の妄想的直感では、ほんの少し、ほんの少しだけ、ちょっぴり、サム(合計・総額)はゼロにならず、どちらかにわずか天秤の針が振れるとおもいますが・・・・・・・・

2 件のコメント:

Unknown さんのコメント...

『知は力なり』、いい言葉ですね。知の偉大性というのは、いろんなところから言われていますね。
 インドのマハーバーラタの中のバガバッド・ギータというヴェーダのエッセンスといわれる文献の中にも「カルマは知識の火で焼かれる」とありますし、キリスト教も、今は愛が至高の心情の様に言ってますが、旧約の原文でしたか「、愛を超えるものは知性である」との記載があるとのことでした。シリウスがいう愛とは、意識の幾何学における、ある中間的な位置のことですと言っています。「愛」対「知」どちらに軍配が上がるか、お互い自ら体現して確認しましょう。

 「ゼロサム」理論を宇宙の究極に当てはめるとは意外でした。宇宙は振動しているみたいなので、ゼロサムではなくゼロは中間的な通過点、つまり先ほどの「愛」と同じ意味合いだと思います。

これって、偶然の一致?(^o^)/

yamasan さんのコメント...

しんさま、あまり真剣にとらないでください。やまさんの妄想的宇宙論の類ですから。

 サイコロを振る確率論もゼロサムもゲームの理論です。真面目くさった理性が支配するといわれるこの世界が、ゲームのようなやくざな博打打のあばさかった理論によって誕生したのなら、さぞや面白かろうと思った次第です。

 まるできん玉の皺のようにゲサクに宇宙が形作られたのなら、お堅い人々はさぞや驚くでしょうね。
 って、きん玉の皺は精子を空冷するために必要だから、ゲサクでも役立たずでもないか!