2010年11月30日火曜日

精神と肉体

肉体の限界
 午前11時過ぎ御座船川の岸辺にある訓練所を我が愛用自転車キーコキーコ号に乗って吉野川市に向かって出発した。距離はおよそ27キロ。もう廃棄にしてもよいようなおんぼろ自転車でペダルを踏むたびにキーコキーコと哀れげな音をたてる。
 でもね、自分の肉体もちゅうぶる(中古)になってくると同病相哀れむのかどうか三か月、駅から訓練所まで運んでくれたこいつに愛着を感じるようになった。とても見捨てるわけにはいかない。我が家まで乗って帰ることに決めていた。
 風もなく気温も低めで長距離サイクリングにはいいかもしれないと出発したが、ぼろ自転車であるうえ変速が壊れていて固定してあるためかペダルがいつも重い。西大工町から南の山際の脇道に入ったあたりで増々ペダルは重く感じるようになった。そのうち足がだるいような脱力感を感じるようになり、しばらく山の斜面にある神社の石段で休んだ。
 佐古をゆっくりすすみ蔵本に入ったあたりでペダルを踏むのが苦痛になり、押して歩き出した。信号が変わりつつある交差点を押しながら足を速めたとき、足に激痛が。筋肉が妙な方向に浪打、けいれんを起こしたのである。引きずるように渡り、止まってふくらはぎを触るとけいれんしている。「うーん」と唸るほど痛かった。靴を脱ぎ足の指を上方に弓なりに手で引っ張り上げたら激痛はおさまったが、後、筋肉痛が残る。
 もう限界、なんとか蔵本駅の駐輪場に自転車を止め、列車で帰ることにした。近くのお世話になった先生の所へ寄る予定もあったので自転車ではなく徒歩で訪問する。
 時とともに体力は着実に落ちている。8月末、今とは逆に家から自転車で徳島まで来たときはこんなことはなかった。
 鮎喰の川越えることができない。自転車は後日、またここから乗って帰ることにする。
そういえば若い時二元論について考えたな、と思い出す。
 まだ少し足の筋肉痛がある状態で駅で列車を待つ間、うんと若い時、精神と肉体の二元論について考えたことを思い出した。
 高校時代、もっとも魅力を感じた思想家はデカルトであった。数学的な明晰さの思考方法は演繹法。懐疑から究極導かれるのは「自己」そして自由な精神世界。一点の曇りのない彼の思想に心酔した。
 とはいえせいぜい田舎の高校の書庫にある青少年向けの思想入門書を読んでの理解だから、浅薄なものですよ。
 肉体や物質から全くはなれ、次元の違う「精神世界」が存在することを教えられ、確信したのはこの時でした。まあ、いまから考えると若い人が罹るはしかのようなもんですかね。肉体や物質的なものを軽蔑し、高尚な精神世界に遊ぶことを夢見たんですわ。二元的対立と考えたため独立した精神世界が眼前にあると思ったのです。デカルトいうところの「広がりも、重さもない」世界。
 肉体から離れた世界って「精神世界」なんていってたけど、今から考えるとそれって「天国」のようなもんですね。ただデカルトはさすが数学者だけあって、推論を駆使し納得できる考え方で精神世界を説明したため、宗教の匂いはまったくなかった。
 精神世界の魅力に惑わされました。その当時はね。
 いまどうか?待合から列車に乗っても考えている。さっきは足の痙攣で一時だが激痛、年老いて体はあちこちが痛む。暮らしの窮屈さが肉体を苦しめる。二元論の一つの元である精神世界は今も厳然として私の中にあるのであろうか?ブルンブルンと首を振る。
 私の内部?糞尿がたまり、60年にわたる体の肉は少しずつ腐臭を放ちだしている。精神世界がもっともありそうな場所である頭も長年にわたる澱、滓がたまりふつふつとメタンが発生している。このどぶのような部分に精神世界はあるのか?今はとても信じられない。
 もし精神世界に自由に飛翔できたと思える人がいるなら、それは若い人や病気や肉の苦痛、生活苦から自由な人ではないのか。
 結局、私にとって精神世界は二元的なものではなく、あるとしてもそれは肉体という牢獄に閉じ込められ、常に肉体の存在する世間から拷問をうけ悲鳴を上げ、気絶する弱いものである。
 それは最近、とみに小さくなり、末期を示している。やがては完全に消滅するのだろう。
 列車の中では考えることが多い。それでは、老いつつある今、考えてこなかった「宗教世界」あるいは「神の世界」はどうなんだろう?
 とこれまでは考えられない。下車駅について客がおりはじめたわ。降りにゃ。
デカルトさん

2010年11月29日月曜日

修了日のまえに

みなさんお世話になりました
 明日、修了日をむかえます。入ったときを振り返ると、よくまあ修了をむかえたものだと感慨ひとしおです。
 私の場合、ここに来るまではパソコンも持っていませんし、インターネットも引いていませんでした。今回ありがたいことに基金訓練生に選ばれたことから、ITのツールの二つを購入し、引くことができました。
 インターネットを我が家に引いたのがちょうど一か月半前、ブログもそのころから始めました。しかし授業や実習の飲み込みも遅く、ブログなどはともかく訓練の目的である技能・スキルの習得も遅々として進みません。もともと目が悪いうえに持病にもたびたび苦しめられ、一度は続けられないと弱気になったこともありました。しかしなんとか続けてこられたのは、先生の思いやりとともに皆さんの元気で一生懸命パソコンに向かっている横顔や後姿でした。
 私は皆さんの中で最も高齢です。年長者に対するみなさんのやさしさも私が続けられる力になりましたが、何よりわたしが皆さんから力やエネルギーをもらったのは、みなさんが次の職やあるいは人生の次のステップにむかって飛躍するために一生懸命訓練されてる真摯な姿勢でした。
 その意味で私はみなさん全員にお世話になりましたと申し上げなければなりません。
 迷い悩み苦しかったのは最初の頃だけで、やがて毎朝通学し、同じように訓練できる自分を、みなさんと同一視している自分がいることに気づきました。そうすると同じような態度や姿勢で取り組み努力しようという気力が湧いて出てきました。やがて訓練にも慣れ、この頃は楽しくさえなってきました。スキルの上達の遅いのは変わりませんが少しずつ新しい世界が開けてきたような気がします。そしてまだまだ「やりたい!」と思う今日この頃ですが皮肉なことにその時に修了を迎えます。
 わかれというのは、何かさびしいものです。まして、私のような年配者になるとなおさらです。一緒に訓練し楽しく語らったみなさんとあう機会が絶えるかもしれないのは悲しくさえなります。
 しかし、私は信じております。「袖すりあうも多生の縁」と申すではありませんか。数か月も朝から夕方まで一緒に訓練し合った我々の縁が浅かろうはずはありません。きっと何かのえにしに引かれふたたびめぐり合うでしょう。たとえ直接お目にかかるめぐり合いではなくとも。それは、なつかしい消息かもしれないし、ウェブ上かもしれません。
 年は経めぐっても生きている限りみなさんのことは心に刻みたいと思っております。
 さいごになりましたが私が無事修了できるにあたり、お世話になった先生はじめ皆さんに深くお礼を申し上げます。

私が詩の才能でもあれば気の利いた詩をみなさんに送りたいところですが、持ち合わせていないので古来より有名な漢詩をもって惜別の辞といたしたいと思います。
(作:王維)
渭城の朝雨 輕塵を浥す
客舎青青 柳色新たなり
君に勸む 更に盡せ一杯の酒
西のかた陽關を出でなば 故人無からん
無からん、無からん、故人無からん
陽関の遺跡
西のかた陽關を出でなば 故人無からん
西のかた、すなわち西域

 



 
漢文で故人とは、友人のことです。ねんのため。

2010年11月28日日曜日

最終回「竜馬伝」を見て

BShiビジョンで一足早く見ました
明治維新は真に革命にふさわしい大変革であった。世界史を見渡すとフランス革命がそれに比肩されうる。
 同じように若い人々が革命の力となった。そして第一線の革命の志士、同志たちが革命の成就を見ることなく途中で倒れるのもよく似ている。
 フランス革命が始まり、ナポレオンの皇帝戴冠までが15年。幕末の動乱もほぼ同じ長さ。社会変革をともなう革命である以上、一朝一夕には進まなかった。
 幕末の志士たちの多くはこの動乱期の15年に青少年期をすごした。柔軟な思考とたぎる若い血潮が非ヨーロッパ諸国では奇跡に近い近代国家への脱皮を可能にしたのである。このことはいくら評価してもし過ぎることはないだろう。
 竜馬はもっとも純粋な形でのこのような革命を体現した男であった。
 悲しいことに人間は弱く、俗で、卑劣な面をもった生き物ではあるが、歴史の歯車が音を立てて激しく動くとき、歴史は時としてその時代の精神とでもいうようなものを体現させたような天才を産む。竜馬はまさにそれであろう。
 そしてその天才は必ず若くして死なねばならぬ。歴史そのものにあまりにも愛されるがゆえに、俗にまみれたり、老醜を晒したりはしないうちに歴史に連れ去られる。
 竜馬の八策をみるとその先進性に驚く。議会制民主の萌芽をみることができる。そして彼には行動力もあった。竜馬のオリジナルではもちろんないだろうが、大政奉還に動いた行動力は誰にも真似は出来ぬものであった。
 「もうすこし、生きて欲しかった」と思うが、このとき歴史に召されたため永遠に慕われる竜馬になったのかもしれない。
 今日、11月28日は議会が開設された120年記念日である。竜馬の死後、23年あとである。竜馬が生きていれば早まったであろうか?歴史にIfはない以上、答えは出せない。
 でもねえ。人情としては生きていてほしかったよね。死なすにはまことにもったいなかった。竜馬もおりょうと約束したように、維新の原動力から手を引いて、世界周航に出られなかったものか。歴史の歯車から手を引けば歴史の女神も連れ去るのを見逃したかもしれない。竜馬の死後わずか2年後にはスエズ運河、同時にアメリカ大陸横断鉄道も開通する。世界は交通でより一体化する。一家そろって世界周航も竜馬の行動力をもってすれば可能である。
 
それにしてもさすがNHK、竜馬暗殺の近江屋の内部、リアルに作ってましたね。二階の現場の小部屋の行書体の文字のはいった屏風、襖、惨劇後の血潮のあと、警視庁の鑑識班の再現のようにお見事でした。でも、役者の演出と史実とはかなり乖離があったようです。まあ、細かい突っ込みはやめましょう。
 偉人竜馬の最期に深甚の哀悼をささげます。

今日も動画の貼り付け練習

12番四国霊場 藤井寺 つけたり・動画
我が家から一番近い霊場なので今日は動画撮りを兼ねて逍遥する。いえから2キロ強で歩くのにちょうどよい距離である。
 本尊はお薬師さん。仏様の中で最も高い位を表すのは、如来様。三人いらっしゃる。釈迦如来、阿弥陀如来、薬師如来。もっとも現世利益的な仏様はお薬師さん。医学の発達していなかった昔、病気は今よりずっと恐ろしいものであった。未発達な医学や草本木皮の薬以上に庶民が頼ったのは、このお薬師さんであった。
 広く薬師信仰が行われ本尊に薬師を戴く寺は多い。
 私が子供のころは、おさわり地蔵と呼ばれていた像が目立つところにあり、わが身の患部をなで像の同じ位置をなでるとおさわり地蔵が病気を引き受けてくれると信じられていた。
 今はむしろ接触感染の危険からかあえてそんなことをする人は少ない。

山門の手前で季節感あふれる植物を見たので撮影しました。
初冬に近いこの季節。秋の名残を惜しむかのように真っ赤に熟れている実は、柿ではありませんよ。カラスウリです。つる性ですので木に絡み付いています。
 いっしょに小さな白っぽい花が写っているのがわかるでしょうか。これは枇杷の花です。山茶花ほど目立ちませんが初冬を飾る花です。












数段の石段を上り本堂と右には大師堂。本堂内部は暗くて見えにくいが奥にはお薬師様のお顔が見えている。下はその動画です。練習に撮りました。

2010年11月27日土曜日

今日はパソコンとほとんど一日格闘

動画がうまく貼り付けられたかな
訓練も終わりに近づきました。今日は私が撮った動画をブログに貼り付ける練習です。うまくいくかな。
 それにしても携帯一つあれば便利です。私、デジカメもビデオカメラも持ってませんが、携帯でカメラ撮影できますし、動きが少しぎこちなく40秒ほどですが動画も撮影できます。パソコンと組み合わせればブログづくりのいいツールとなります。


うまくいったかな。見られたらいいんだけど自信ありません。これは11月7日そごうの前でショーをやっていたので動画の練習にと思い撮りました。



これは今日27日、前にブログでも書いた池のある公園で撮りました。この日も閑散としていました。練習に撮ったので面白味はありません。また携帯の動画ですので上の動画同様動きがぎこちないです。

ブログのコメントがうまく投稿できない
動画を撮りに公園へいったのに時間を取られ、そのあと半日ブログのコメント欄と格闘してました。
 ワンピースさんとてるてるさんへの私のコメント投稿が、一応投稿されましたと、コメント欄に表示されるのですが、後でみたら全然はいってないのです。20回ぐらい試したがほとんどダメ、でも20回のうちワンピースさんもてるてるさんも1回は成功したのです。Mさんは最後まで入りませんでした。なぜかわかりません。他の男性のブロガーへはだいたい投稿できました。これも謎です。
 最後が近いのでコメントを寄せたいのですがさんざんで、そのうちくたびれ落ち込んでしまいました。なんなんでしょう?
 月曜が最後の授業なのでまた直接見てもらおうかなと考えています。
 また、パソコンの手におえないじゃじゃ馬が出てきたみたいで今日はこいつに振り回されました。
ああ、しんど、あたまもいたい
気力が回復したら、夜遅くにでも昨日習った復習でユーチューブに練習動画を投稿しようと思います。


2010年11月26日金曜日

動画投稿伝授手習鑑(文楽のもじりでおます)

寺子屋の段ならぬ教室の段 今日の授業で動画をユーチューブに投稿する方法の伝授を受けました。普段の授業は反ボケの状態であんまり頭に入りませんが、今日は俄然ハッスル、頭シャキッ、目はランラン。なぜと思います?グフフフフ(不気味な笑い)これで私は国家を危うくするツールを手に入れるのかと思うと興奮してきます。某保安官もこのツールで動画を投稿したんでしょう?政府がへた打ちゃあ内閣が潰れるかもしれん動画でしたね。
 もし、私が国家機密を手にすれば・・・・・・・妄想はとんでもなく広がります。(冗談ですよ、本気にせんといてな。)
 一個人が国家を傾ける。妄想のドラマが始まります。
恋の道行の段
 一応、スライドショウにちかいものを作りユーチューブに投稿成功しました。
 この公式の説明はユーチューブに載せてある通りですが、妄想好きのやまさん、こんな退屈な説明でおわるはずはありません。妄想劇場の始まり始まり・・・・・・・・・
 アキラはハマのちんぴらやくざ、しかし心から愛する女、るり子ができました。るり子はよく行くラーメン屋の店員、誠実でおぼこな娘、憎からず思っているようす、アキラは足を洗う決心をします。るり子にふさわしい男になるため。
 るり子は自分のことをどう思っているか、確かめられていません。真面目な男になるまでは告白を封印します。そして船乗りになるため短期船員訓練所にはいります。
 寮生活の三か月の訓練を終え実習の遠洋訓練に港からでる日、るり子がたずねてきました。
 驚くアキラ、今まさに港へ荷物をかかえて行こうとした矢先。二人で無言で歩き始めます。
 訓練所の前の公園を歩きます。紅葉も終わりに近づき落ち葉が二人の足元をカサカサ音をさせます。
 「アキラさん、わたしね。田舎へ帰るの」
 「えっ、どうして」
 「わたしね、田舎へ帰って、結婚するの」
 衝撃を受けるが無言のアキラ。
 なおも無言のまま二人は御座船川に沿った道を下っていく。
 アキラの目に川に半分沈んだ船が目に映った。
 「ああ、るり子さんを乗せる僕の舟はこのように沈んでしまった!」心で叫ぶ。
 港に通ずる交差点では顔見知りの警官が。
 「おお、アキラ、おまえ、堅気になったそうやないか。おまえも実習が済んだら一人前の船乗りや。がんばれよ。なんや。今日はデートか。」
 「いえ、この娘はそんなんじゃあありません。」
 顔を真っ赤にして否定するアキラ。
 娘も顔を真っ赤にしてうつむいています。
 交番の前を通り過ぎたあたりから潮の香がただよってきます。並んで歩いていた娘はだんだんアキラから遅れるようになります。やがて岸壁に接岸した実習船が見えてきました。
 ボーッ。乗船を促せる合図が。その時、娘がかけよりアキラの顔を見つめ、小声で
 「わたし、アキラさんのこと、好きだったのよ」
 そういうとくるりと後ろを向き駆け出す娘。
 呼び止めようとするが声にならない。
 舟は出てゆき後には人のいない波止場でかもめだけが鳴いている。
(昭和30年代のくさい芝居風にまとめました。)


2010年11月25日木曜日

温泉気分は羅馬皇帝そしてタイル画へ

 私の家からちょうど真北、吉野川を渡ってまっすぐ行ったところに冷泉だが天然温泉がある。重曹泉でぬるぬるしている。ぬるぬるしている温泉は効能として美人になるという温泉が多いようだが、(ほんまかいな。でも、湯上りはみんな婀娜っぽくみえるからまんざら嘘でもなかろう) この温泉も、ごたぶんにもれず「美人湯」と名付けられている。
 この温泉、ちょくちょく行っていた。中は和風と洋風に別けられていて、日替わりで男女が入れ替わる。和風はヒノキ造り風(あくまでも風、ですよ。)でこちらの人気が高いようで、そちらの入れ替わる日をねらっていく人もいるほどである。
 私は洋風を狙っていく。洋風にはローマ風の蒸気浴室が二つある。私が入るのはこちらのほう
ラコニウム、低温蒸気風呂である。
ハーブの香りも楽しめるとある。
2000年前のカラカラ浴場を再現したそうである。





これ、私が入ったとき入り口で説明書きのみを撮影しました。中は撮影してません。変態と間違われては困りますものね。
 中は八角形の小部屋で八つの角には円柱が配され、その間はタイル壁で温熱を輻射し、65度を保つようになっている。真ん中には小さな盥のような小噴水があり湿気も保つようになっている。
 このラコニウムは蒸気浴の種類の中では一番温度が低い。そのためサウナが嫌いな私でも長時間入れる。
 ローマ皇帝カラカラが作ったというのがいいですね。常に歴史の妄想の中にワープするやまさんですから、人の入りの悪い低温蒸気サウナに一人入っていると、ローマ皇帝とまではいいませんがローマ貴族くらいにはなった気分です。ローマの蒸気浴のイメージが膨らみます。よく言えば爛熟期、悪く言えば退廃期の極。ローマの様々な文化人も蒸気浴でリラックスしながら、話に花を咲かせたでしょう。こんなところではキリスト教のような禁欲文化より、人生の快楽を讃える、音楽、詩、演劇の楽しみにうち興じたでしょう。そして大浴場を飾る絵画、彫刻。ローマの生活や文化に思いをはせながら低温の蒸気浴を楽しみます。

私の入ったものではありません、似てますがイメージです
 ところで皆さんは温泉へ行かれた時、壁画のある温泉でしたか。最近はシンプルなものや幾何学的な文様が流行なのかあまり見なくなったような気がします。
 昔は、温泉のタイル壁画というと、それ専門の職人さんもいて結構芸術的な作品だったんですよ。下町の芸術家ですね。私の子供のころは銭湯がたくさんありました。銭湯の壁画の定番は大体、富士山でした。でも、職人さんもプライドのある仕事をしていたためでしょうか、同じ富士山ではないんですね。三保から見た富士、サッタ峠からの富士、箱根から、伊豆から、裏富士も、また北斎風もあったそうです。私が物心ついたとき入っていた温泉は粗いタイルの富士でした。銭湯の大きな壁一面に描かれていました。それから油絵のような富士の銭湯の記憶もあります。
 高校生の時、行っていた銭湯はボッティチェリだったかな?海に浮かぶ大きな貝のふたがパカッと開いてビーナスが誕生するあれ、が描かれてました。これは今から考えるとローマカラカラ浴場の壁画の雰囲気を醸し出すためだったんでしょうね。
 古代ローマも日本も温泉が大好き。温泉壁画も当然盛ん。ゆったりつかりながら雄大な富士の峰を仰いだり、ローマの風俗のタイル画を見るのは、まさに「あ~、極楽極楽。」
 でも今行ってるこの天然温泉は部屋のつくりのみローマ風で壁画なし、ちょっと残念。それに最近はハーブの匂いもせんようになった。ローマの妄想がちょっと貧弱になってきつつある。

ビーナス誕生
銭湯の富士山

2010年11月24日水曜日

弱る太陽、迫る宵闇、よの長さ

一年で一番早い時期は
 日の暮れるのがうんと早くなった。この辺りで日暮れがもっとも早くなる時期は、冬至ではなく今頃から12月5日までの間である。冬至は少し遅くなる。今日も家に帰りついたら真っ暗。
 暮れるのが早くなるばかりでなく、太陽の高度も低くなり、光も弱くなる。
 今日は風もなかったので、昼ごろ学校のベランダで日向ぼっこをしたが、晴れていても光は弱く、体全身を日に晒していても受け取る熱量が少ないのだろう、気持ちはいいんだが内部から温まらない。体の表面だけをおざなりにぬくめている。
 北緯34度のこの地域でもこれである。40度近い秋田、青森や45度の稚内あたりは光ももっと弱いはずである。
 高緯度に暮らす古代人は不安に思たことだろう。秋になり太陽はだんだん南の地平線に降りていき、光の強さも弱くなっていく。夜はどんどん長くなる。植物は凋落し鳥は南へ去り獣は冬眠するものが多く数がへる。
 たとえ経験からやがて光の春を迎えるだろうと思っていても、あらゆるものの凋落は二度と回復しない終末の予兆ではないか?日が短くなるにつれ不安は恐れ、おののきになっていっただろう。
一陽来復
 正確に暦を知らない古代人でも立てた棒の影の長さと太陽高度が比例するのは知っていた。今の時期どんどん太陽が低くなり、闇の領域が広がりつつあるのは南中時の影がだんだん長くなることによっていた。呪術の盛んな古代のこと太陽が回復をするためいろいろなことをしたに違いない。
 「ああ、日は一日中地平に沈むのではないのか。」恐れは増しつつあった。
 ところがある時期、日毎長くなっていった棒の影が長くなる速度を緩め、留まり、ある日を境に短くなり始めた。すなわち太陽の南中高度が上昇し始めたのである。
 「弱った太陽が回復した!」古代人は喜んだに違いない。これを古代中国では一陽来復と呼んだ。
 もうみなさん、わかりますね?今の冬至です。地方によっては世の回復、太陽の復活を祝い、祭りを行いました。ただその日なんですけど観測機器のなかった古代、目に見えて高度の変化するのは冬至よりちょっとあと24日か25日ごろ。古代の地中海世界もこの太陽復活の祭りがありました。これってクリスマスに一致しない?そうです地中海世界では新参者のキリスト教がこの日をキリスト生誕に重ねたのです。学者の研究によってわかっているそうです。キリスト生誕もほんとは違うんだって。
夜は長くなるが楽しみも
 日毎宵闇が日を少しずつ浸食し、夜が長くなっていっています。早くなった夜の街をとぼとぼ歩くのは心細く侘しいものですが、ここ10年変化が表れてきています。夜の闇をカンバスにして光の玉や球で飾ることです。白熱光もありますが、省エネのエレクトロルミネセンスが目立ちます。うちの家の近くもかなりのお家が光の飾りで意匠をこらしています。歩いてて楽しいです。
 わたし職業訓練が始まってからはあまり夜、外出しなくなりましたが、それまでは宵の早い時刻、健康のため夜のウォーキングをやってました。12月頃になるとちょっとコースを変えて光の飾りのある家の街路を回り、目を楽しませました。暗く小寒い師走の街路で華やかな光の乱舞。ほんと、乱舞って言っていいよね。無数の光の点、様々な形をとり、時には点滅し、錯覚の効果で動きも出てきます。
 闇に浮かび乱舞する光。闇に浮かぶ蛍光の光は幻想的な雰囲気を漂わせています。冴えた月光のような狂おしさを秘めた光です。ちょっと立ち止まり見とれます。
 今月いっぱいで訓練も終わるので12月からは夜のウォーキングで光の飾りが楽しめます。夜は長くなってもこんな幻想的で美しいものが見られる楽しみが増えたのは素晴らしいことです。みなさんの周りのお家はどうですか?えっ。皆さん自身のお家もお飾りしてます。それはいいですね。ほかの人も楽しんでますよ。

2010年11月23日火曜日

やまさんの小市民的一日

果報は寝てればやってくる
 今日はお休み。夕べから雨で朝にはいちおう上がったがすっきりしない天気で、夜中にトイレに起き過ぎたのもたたり寝不足で体が重く、しんどい。午前中は家の布団の上で横になってごろごろしている。すっきり晴れて体もしゃきっとしていれば早朝から文化の森へ出かけようと思っていたが、以上のような体たらくである。
 休みの日は片付けでもすればいいのだが、「エントロピー増大は自然の摂理じゃ、」などと自分に言い訳し、エントロピーの増大、すなわち「乱雑さ」を受け入れている。おかげで本やら衣服やら日用品、その他諸々のがらくたに囲まれて寝床がある。
 そこから這って行けるところにパソコンをおいてあるので布団の上でゴロゴロが過ぎて腰が痛くなったら、パソコンで演歌を聴いたりしている。
 十一時前に電話があった。ランチをごちそうしてくれるとのこと。やった!ようやく着替えて車の迎えを待つ。
 うちの家から500メートルも離れてないところに仏蘭西料理店と名付けた店があり、そこでランチ。おいしいな。おいしいな。二人で食べるとおいしいな
 普段ろくなもの食べてないのに、今日は
・里芋のポタージュ
・五種サラダ
・根菜、芋、温野菜たっぷりの付け合せのついた鰆の香草入りソテー、ビーフステーキがメイン 
・ライス
・デザートは堅果入りスポンジケーキとアイスクリーム
・コーヒー
盆と正月と祭りが一度に押し寄せたような豪華な食事、量もたっぷりありおいしかったです。人間、多少不幸でもおいしいごちそう食べればハッピーになりますね。どんな薬よりも即効性です。おまけに店のママさんから、私、写真家にまちがわれました。いいもんに間違えられてますますご満悦。
プリウスで文化の森行かんと欲せしが
 文化の森は物凄い人・車に二人とも怖気をふるってスタコラサッサ。ユニクロへ冬物を買いに行く。ここも人車で満杯。車は悪いけどジョイメイトさんに置かせてもらいました。
 中はうんざりするような人人人。私、人酔いしましたわ。でも、下着とGパン買ってもらいました。Gパンの大きさをこれくらいと見当つけ、買い物かごに入れてると、連れが「あんた、試着したで」と聞く。「試着室の前、行列ができるくらい並んどるから、この見当の大きさでええからそのまま買って」と言うとダメと一喝され、仕方なく試着室に並び、めでたくお尻が収まり買い物かごへ
我がことのように嬉しいしらせがToshiくんから
 ジョイメイトの駐車場へ車をおいてジョイメイトの玄関を入ったところで、偶然Toshi君にばったり。そこで検定に合格したと本人から知らされ私も大喜び。顔の表情で見る限り、いつも冷静なToshi君より私の方が相好を崩しもうToshi君を抱きしめんばかりの喜びよう。
 彼は最初、他己紹介で私と初めて組んだカップル、僭越ながら私なりに彼をみんなに紹介しました。そのときからの縁、えにしとでもいうのでしょうか近しさを感じております。昼食も向かい合ってこんな爺さんと話しながら食べてくれてます。その彼が検定に受かったのですから、ほんと我がことのように嬉しかったです。これをきっかけに就職もと願わずにはいられません。
 Toshi君、おめでとう。今日もアルバイトおつかれさま。

二人でごちそう食べ、暖かい下着4枚とGパンの入った買い物袋、そしてToshi君のうれしいしらせ、心は小さな幸せ感で満たされています。
たとい一日だっても小市民的(ブルジョワ)幸せとはいいもんだね。

2010年11月22日月曜日

雨の列車

昼過ぎから本格的な雨になりました。夜に入り雨脚がはやまったようになって降り続いています。帰宅の満員列車の中、濡れた傘が車内の空気を湿らせます。一年で最もはやい日の入りのこの頃、車外は真っ暗、窓からいつもは車のヘッドライトやテールランプの灯りが躍るのが見えるのに、雨の今夜は黒く濡れたアスファルトに吸収されたのか暗く侘しい光をまたたかせています。
 車内もこころなしか、しめっぽくうち沈んだようにようになって、声のトーンも低く感じ、話し声もぼそぼそ聞こえてきます。
 徳島を発車した時は立っている人もいたがだんだん下車し、石井を過ぎるころにはみんな座っている人ばかりになりました。声はますます低くなり、眠っている人が目立ちます。列車のゴトンゴトンと揺れのリズムにあわせるかのような単調な音を聞いていると、私も知らず知らずのうちに眠りに落ちてしまいました。
 頭のどこかは起きていたのでしょう、一つ手前の駅のアナウンスではっと目覚めました。手前の駅で目覚めた頃から、携帯を手に話している人が目につきます。私の隣の中年のご婦人は「もうすぐ着くからむかえ頼むわな。」と話しています。
 他の携帯で話している人も次の駅か、また2,3駅次かで降りるため雨の迎えを家族にたのんでいるのでしょう。当然、車の迎えでしょう。
 かなりの降雨。あちこちにできた水たまり。そしていつもより暗い雨夜を傘をさしてとぼとぼ帰るのは心細いし危険が伴います。こんなとき迎えがあるってなんて素晴らしいことでしょう。誰も迎えてくれる人のない人にはありがたさがわかります。
 降りる駅に着きました。多くの人はササッと駅をでます。傘をさし徒歩で急ぐ人、しかしその人数に匹敵するくらいあまり広くない駅前には迎えの車がひしめき合っています。
 私はまだ外へ出ず2.3人いる駅舎に残っています。残っている人の中には着いてから迎えを頼んでいるのでしょう携帯で話しています。私はおもむろにリュックから反射タスキと反射プレートの首かけを出し、コートにかけ、ぶら下げます。交通事故対策です。
 時間をおいて駅前の車がいなくなってから、帰ります。雨だから自転車は使えません。ゆっくり用心しながら帰ります。
 もう迎えに来た人の車は家についたろうなあ。こんな雨の夜。山のおさるさんやイノシシも穴や木の洞のなか家族が体を寄せ合い丸くなって休んでいるのだろうなあ。などと考えながらまだ着かぬ雨の夜道を歩いています。
 私の好きな画家、ターナーの描いた「雨、蒸気、速度」の絵です。雨の中蒸気を吐きながら疾走する列車。

  

Office2010

Windows7でOffice2010が入っていれば・・・


「Office2010」というピクチャーマネージャーの後継ソフトが入っています。


操作:画像の上で右クリック→プログラムが開く→Office2010

写真はWindowsXP

2010年11月21日日曜日

竜馬そして憂国の志士

今日も大河、竜馬、みましたよ
 いよいよクライマックス、今日で大政奉還がなり、竜馬のもっとも大きな目標が達成されます。すなわち無血で幕府から朝廷に権力を移譲させること。竜馬生涯の最大の山場。もう次回は、暗殺、最終回だから今日が見せ場、でもあんまりMAXな感じがしなかった。
 始まった時から、今までとは違う斬新なカメラアングルや細部にこだわる小道具や大道具、衣装ばかりか空気までも生活の垢に染まったような汚れ、濁り具合。ともかく徹頭徹尾、リアルさが鼻につくぐらい目立ちました。
 場の空間が見事なまでにリアルなのに、正反対に登場人物の陳腐さが際立っているのはちぐはぐでした。やたらと綺麗な竜馬にやたらときちゃない弥太郎。維新の三傑の隆盛、利通、孝允があまりの小人物に唖然とします。これね、場の空間があまりにもリアルでなかったら、まあ水戸黄門のようなドラマとして見れるんだけどね。
 せっかく細部にこだわった時代の雰囲気作ったんだから、あまりの絵空事では困ります。もう少し実在の人物に役を近づけてほしかった。特に吉田松陰や慶喜はひどい。なんかNHKは二人に恨みでもあるのかと思うわ。
 でも時代考証、時代背景、さまざまな風俗、景色もろもろのバック、さすがNHKすごい。天保時代のバーチャルご隠居さんのやまさん手放しでほめますわ。
 きょうのバック、時代風俗では、二条城の御殿の組み上げ格子天井と格子の絵柄。感心しました。今年の大河、仰天や俯仰アングルが用いられているからこんなところも見られるんですね。そしてこだわってるとこがいい。それと「ええじゃないか」の乱舞。これも史実をなぞってます。ええじゃないかの錦絵、瓦版がありますがそのままとみていいでしょう。
えじゃないか
来週暗殺なんですけど、さて犯人は?一応幕吏といわれてますがほんとはなぞといわれてます。どんな決着をつけるんでしょうか楽しみです。
憂国の志士か
竜馬をはじめこの時代は憂国の志士が多く現れますが平成の世には関係ない、時代が違う!でも国難て、いつくるかわかりませんよ。
 今日、週刊誌で例のK保の保安官の素顔そして実名をみました。大柄な人で私が見る限りでは誠実そうで頼りがいのありそうな人にみえました。やったことは許されることではないので罰を受け、当然辞めるべきでしょう。でも、志が最初の趣意書通りだとすると、私は憂国の志士として評価したいと思います。
 週刊誌の写真のイメージからだと孤高の素浪人で、憂国の情をうちにふつふつとたぎらせている幕末の志士にこの人を重ねてしまいます。これ以上書くと実態を離れこの人にイメージだけで思い入れしそうなのでやめます。
 また、この人の名字、古武士のようでいいんだよね。近松門左衛門だったらここでこの人の行動を換骨奪胎して国姓爺合戦のような忠臣軍記物書くんだけどね、私、妄想だけが取柄で文才ないもんね。残念!

土柱を散策して自生の香辛料を見つける

今日は少し遠出で土柱へ行く
 先週は体調が少し悪かったのと疲れが出たので昨日一日は、DVDを見たりして家でぼんやりすごしました。今日は外でリラックスしようと思い、人ずくない温泉にでも出かけてゆったりしようかと考えましたが、距離的に行けそうなところはイモ洗い状態に違いないと思いやめました。それに500円は高い。貧窮の身にもったいない。銭のかからんリフレッシュせにゃ。
  てなわけで、午前中に昼飯の菓子パンともろた牛乳をリュックにつめ、土柱にいきました。何回も行きましたからほとんど散歩コースのように道も決まっていて、土柱からちょっと離れた日曜でも閑古鳥がクァアと鳴いてる公園にブリキの塊のような軽四を止め、2~3キロの土柱散歩に出かけます。以下が今日撮った写真。

 案内板の「イタリアのチロルに云々」とと書かれていますが、これは褒めすぎ。お国自慢の地元民でも、顔がちょっと赤くなります。「たいしたこと、ごわへん。けど、めずらしい地形やから、よろしかったら、みてな。」が、県外客に勧めるにあたってもっともよい勧誘だと思います。そうせにゃ。「なんな。土砂崩んぜかと思たわ。」と酔うたんぼの観光客に言われかねませんので。謙虚にお勧めしてます。 
見つけました日本のアロマ、土着のシナモン
 わたしね、おやつでもちもち感のあるシナモン入りのドーナツ、大好きなんです。トーストにもときどき賞味期限切れのシナモンシュガーかけて食べてます。
 話、ぐっと飛びます。大昔、城山散歩してて、藪肉桂みつけました。能書き垂れのやまさんはその時からで、さっそくいろいろ調べて、その木が照葉樹林の原生種であるのをしりました。他の仲間には椎、タブノキ、藪椿、いぬびわもあったかな。
 その藪肉桂、実はシナモンの仲間なんです。調べて知ってから直ぐ行って、樹皮を少し削り嗅ぎ、なめました、確かにシナモンの香り味がしました。夜間の学生のころだから40年前です。
 それから、ずっと忘れてました。いま、そこにあるやらどうやらわかりません。
 きょう土柱を歩いてて偶然見つけました。土柱あたりはまだ照葉樹林帯原生林が残っているのでしょうか。少し樹皮を爪で引っ掻いて匂うとかすかなシナモンの香りが。本物のトロピカルなアロマには及びませんが、これも肉桂、シナモンの歴としたなかま。
 匂いを嗅ぎ、味わったせいか元気でました。こんな時、私が詩人だったら、天然のアロマの木を讃える歌でも作るんですが残念です。この藪肉桂、でもシナモン以外の香辛成分が入っているのか、何時間たった今も舌にピリピリ感が残ってます。

見つけたぞ
かえりワンピースと遭遇する
 かえり、土柱近くの図書館に寄りました。やまさん、ここの貸出カードも持ってますからね。そしてワンピースのDVDみつけました。「おおおお、ゥワンピィィ~ス!毎日ワンピースさんから来るメッセージ、ありがたい、でもこのワンピースのキャラがまだようわからん。ワンピースとはなんぞや?研究せにゃ。」と借りました。無料なのがたまらん。
「時代劇スペシャル・麦わらのルフィ親分・捕り物帳・ワンピース」とやたら長い名前です。ぜひ見ようと思ってます。

えーぐぁかんがはいれへんのもよーわかる

よんべ二本だてで新作でぇぶいでぇみたわ
一本はディズニー、もう一本は韓国映画。皆さんの中には坊ちゃん嬢ちゃんがいらっしゃるかたや韓流ファンのかたもいらっちゃるかもしれませんので紹介しておきます。二本とも最新作です。
1「父山」
映画の主題は、父子愛、男三人が主演で、なんか野郎ばかり三人でむさくるしそうですが、左の男は日本でいえば菅原文太か高倉健のような任侠道のすごみがあり、中年の渋みのある役。
 右のおっさんどうしようもないダメ男なんですがちょっと泣かせる演技をします。
そしてまんなかの少年、これがまあ、アポロかヒヤキントス、ナルキソスも裸足で逃げ出そうかというような美少年、あまりの美のため神に愛されはかなく天上に召された命短いギリシャの美少年のよう。
 この役の子、だれか知らんが、「華」がある。役どころもギリシャの美少年のようにはかなき運命をになっていてそれが少年の美しさに凄みを増している。苦悩し、ほっと嘆息しながら、流し目をするところなんか、あまりの美的シーンに、おぶけかえったわ。こりゃ、日本の韓流のおばさまがほっとかんわ。まだ、無名じゃけんど、絶対、ミソつけるわ。
 この少年、16歳頃の坂東玉三郎に似とる。今、日本に若女形がおらんから、日本語と古典演劇仕込めば、歌舞伎で活躍できるなと思う。ま、むりじゃわな。
 主題が父子愛でちょっとくさいとこもあるし、生きるか死ぬかの大手術のあとムックと起き上がりアクションに及ぶというつっこみ所もあるが、まあ、おもっしょかったです。
2「クリスマスキャロル」

 
ディケンズの有名な小説の漫画化、何度もつくられた、今回のは最新版でリアルなアニメが売り。まんがでよくこれだけリアルにできるなと感心した。
 ヴィクトリア朝初期のロンドンの街が縦横無尽にグーグルアースを見るように鳥瞰できたのがすばらしく、私にはこのシーンだけでも大枚105両もはたいて借りたかいがあった。
 クリスマスも近いし、こどもの情操教育にいいと思いますが、わたしなら子供にはおなじディケンズの「オリバーツィスト」をみせて親子で話し合いますわ。
 最新作二本見てもレンタル料たった210(一本105)円、安い!これでは映画館が廃れるのむりないわ

2010年11月19日金曜日

はかなき過去となり、うすれるまえに

楽しかった職業訓練校もあと十日余りとなりました。
 うんんん~と、小さいころ放生会でカメを放してやった善行が今頃報われたのか。浦島太郎が行った竜宮城のような若人、美女美男揃いのIT訓練校にめでたく入り約三カ月、絵にもかけないイラストレーター。鯛やヒラメならぬ文字、記号、アイコン、画像の舞い踊り。時の経つのも忘れましたが、頬や顎に白いひげが伸びる頃(みんなも見逃してくれていて「じいやん、剃れよ」とは言いませんでした)、いよいよ終わりを迎えました。楽しい時って長く続かないですね。
 毎朝、高校生に交じって通学しました。これも楽しかったです。もっとも列車では半分、寝てましたが。
 こんな楽しい日々も終れば、それでお終い。高齢でITの勉強をしたため若い人のように今後活かせるかどうか自身がありません。
 そこで今日は、今の楽しい日々が、はかなき過去となり薄れる前に、高校生たちに交じって通学しているのを(経路が主ですが)写真に撮りました。見てください。
 西麻植駅7時1分発、徳島行きに乗る。
ホームから撮る。ビニルハウスの向こうは吉野川の土手。指呼の間。満員に近いがこの駅からだと座れる。





 40分余りで着くが私は混雑が嫌いなので、ゆるゆる降りる。



回り道でいつも城の公園へ
城山公園を10分ほど散歩する。学校に行くのはまだまだ早い。野外彫刻展をみる。手前の木材の塊これ作品、最初は知覚できなんだが、このあいだ新聞に作者の解説が載った、キーワードは「無用の用」、題は「空」、なるほど、わたしなりに鑑賞できました。後ろは私の自転車、ペダルが重くキーコキーコと大げさな音を立てて進まない。
途中、勝鬨橋で。みんな私を追い越して行くがお構いなくゆるゆる行く。後ろは眉山。朝日を浴びて徳島の象徴として気高く鎮座する。思わず、柏手を打つ。高校生がいぶかしげに見て通る。万葉集に「眉のごと、雲居に見える、阿波の山、かけて漕ぐ船、泊まり知らずも」かな?まちごうとるかも知らん。手前、マイ自転車
学校に着き二階のベランダから御座船川を見る。たいそうな名前の川だが今は掘割のようになっている。
私がいつも一番に教室に入る。コーヒーをたてて早く来た4~5人でいただく。そして下が私の机。4時20分までお勉強。

仰げば尊し、わが師の恩、まなびの庭にも別れの時が。
(平成22年11月19日午前7時から学校に着いた8時20分までの間に撮る。)
 






2010年11月18日木曜日

読書の秋

 年老いて目も集中力も弱くなっているが、本はできるだけ読もうと思っている。インターネットを一か月前に引いてからは、ちょっとしたことはインターネットで知識を得るようになっている自分に気がついた。引く前は本をひっくりかえし、あれこれと本を手にとって調べていたが、最近は安逸に情報を得ている。
 辞書類は別として、やはりしっかりした本を完全に読みたいものである。最近は経済的な理由から本は新刊も含めて図書館で借りて読んでいる。新刊が結構、借りられる状態になっていて、あれもこれもと目移りして、たくさん借りるが、期間内に読めず未読のまま返すのがある。
 2,30代までは今から振り返るとびっくりするほど本を読んだ。自然科学、社会科学、歴史、哲学そして文学と何もかも。でも60歳になってほんとに読む冊数が極端に少なくなった。
 読む気はまんまんでも未読、読み残しが多いのも老化の一種だろうか。
 昨日までに完全読破しておもしろかった本がある。「ヨーロッパ中世ものづくし」という本である。専門書というより教養本である。ヨーロッパ中世云々、などという題から専門書と思うが、誰が読んでも面白く書かれている。日本人には、ヨーロッパ中世ファンがたくさんいるからこんな題でも手に取り読む人は多いようである。
 一章には眼鏡のことが書かれている。眼鏡が発明されて、写本をする修道僧、学者の間で広まり一般化したのは中世期であると、当時書かれた本などを引用して、著者自身断定はしていないが述べている。
 私は若い時から眼鏡のお世話になっているから関心をもって読んだ。文字ばかりの本ではなく、カラーの当時の絵画も多く入れてあって理解の手助けになっている。
 ちょっと残念なのは、これらの眼鏡は凸レンズらしいことである。私のような近視に必要な凹レンズは、いつ頃から使われたのがはっきり書かれていなかった。近世には(16世紀)あったことは確かだが。
 また、当時の本の引用という形で中世ヨーロッパの発明とあるが、ほんとにそうかな?と思う。普及したのはこの時期だろうが、はたして古代、また他の文明圏にはなかったのか、もうすこし著者に書いてほしかった。
 目の角膜の内側には透明な水晶体があり、凸レンズと同じ形をしている。死体を宗教的理由などから解剖した古代人、またさまざまな文明圏の人もいたはずである。目の解剖を通じて、凸レンズ様の水晶体を知ったはずである。そして、視力の弱った人の目に水晶やガラスで同じように作った凸レンズ様のものをおけばどうなるか、試した人は絶対いるに違いないと私は思う。
 たまたまの偶然でも、それもたった一度だけ、ほんの一瞬でも、それを通した世界はびっくりするくらい鮮明になったはずである。それがレンズの発明であり発見ではなかったのだろうか。この神の啓示のような目とレンズの接触は、驚異をもって知られ、忘れるにはあまりにもインパクトの強烈なことであった。
 つまり、どこの時代、どの文明でも起こりそうなことである。
 ヨーロッパ以外の文明、時代から証拠がみつかるかもしれない。
 などなど、本の一章を長い時間かけて読む間、このようなことを考えている。
 最近本を読むのが遅くなったと言ったが、まんざら悪いことばかりではない。読んでいて感動したところや、疑問に思うところでは、本を読むのを中断し、一服しながら考えるようになった。食べ物に例えると、若いうちはなんでもがつがつとたくさんの量を早く食べ、それが早い成長に寄与したが、年寄ると栄養はともかく、少しの量を歯も弱ったせいもあり、長く咀嚼し味わいながら食べるようになるのである。
 本も吸収する知識はうんと遅くなったが、そのぶん少しのページを長く噛みしめながら味わうようになった。

2010年11月17日水曜日

莫大小はちんぷん漢文か

 あったかいものをもらった
何日か前、寒いだろうからとメリヤスの下着をもろた。それで今朝初めてきーた。還暦にもかかわらずズボン下は冬でもめったに穿いたことがなかったけん、ぬくい!教室で足元が寒いというとるもんも何人かおったが、私は寒さをほなに感じへなんだ。大したもんじゃ、メリヤスの下着は
 薄くてタイツ様になっていて穿いてもぜんぜんズボンのベルトもきつくならない。アンダアーシャツも薄いメリヤスで同じようにぬっくい。
 こんな、ぬくいメリヤス編みを発明した人はえらいもんじゃ。
だいたい日本の布はバッタンコの機(はた)で織ってたから、縦糸と横糸が井の形になる平織が基本のはずである。日本は古代からこんな織り方で中国もおなじである。これでは厳冬期は何枚も重ね着しなければ暖かくないだろう。
 いったいだれが?
こんなときインターネットは便利ですね。ひいて一か月、利用しなければと損損、と調べました。靴下に使う編み方は古代エジプトからあったみたいだが、近代的なメリヤス編みは16世紀末のイングランドとある。えーっ!意外と新しい。日本に入ったのはおそらく17世紀末か18世紀のごく初期。ふんふん、なるほど。歴史好きでもメリヤスが日本へ入ったのまでは知りまへんでしたわ。
 しなやかで網目に空気をたくさん含むためあたたかく、それに一番の特質は伸縮自在であること。だからからだにピタッとフィットし暖かい。こんな高機能な布だから歴史が新しいのもうなずける。
右の図がメリヤス編みの編み方
ふしぎな字、なんでそんな読み方するの?
インターネットで調べててメリヤスの漢字があった。「莫大」!みなさんどうです、このよみかた。漢字クイズの難問、奇問ですね。
 これ、意味からこじつけたネーミングなんです。大小は、メリヤスの伸縮自在なところから、おそらく大も小も(サイズですよ)。じゃあ「莫」は?ここで昔ならった漢文を思い出してください。え、え、漢文なんて、ちんぷん漢文(かんぷん)て?じゃあ教えて進ぜましょう「莫」は否定詞で、ナシ、ナカレ、と読みます。つまり、大小(からだのサイズ)ナシ。サイズに関係なく着られる。という意味からメリヤスと読ませたのでしょう。
 いいもの発明してくれたおかげで足元温いですわ。でもズボン下タイツこれ一枚きりで替えないから洗濯の時こまるわ。冬じゅう穿きたおそうか?
莫大小の付録だよ~ん
 インターネットで調べたときもう一つの意味も知った。私は文楽ファンだから「めりやす」とは下座おんがくで舞台の物思い、愁嘆場で演奏する曲であると知っていたが、いわれはしりませんでした。
 二つあって、メリヤスのように場面に合わせ伸縮自在に長さを調整できるからと、いま一つはこの曲調が「滅入りやすい」からだといわれています。
 まあ、下着のメリヤスほどは役立たない知識です。
 

2010年11月16日火曜日

虹とともになかぞらへ

今朝、七時ごろ西麻植の駅のホームで列車を待っていると、ササーッと時雨。天蓋のあるホーム部分で濡れないよう列車を待っていて西の空を見ると早朝の虹が。
 夕べから未明にかけて持病がでて苦しい思いをして、睡眠もあまり取れない朝。それでも緊急外来の戸をたたかなくてもなんとかおさまったため、今日も定時に通学列車。
 あさから気の抜けたようになっているのに、空には虹。列車が来るまでぼんやり眺める。
 美しいがたまさかの自然現象は吉兆だろうかそれとも別の啓示か。旧約聖書では、神が、大洪水で人草をノア一族を除いて根絶やしにしたあと、再びこのようなことを起こさないとのノアとの契約のしるしが虹である。といってなかったかな。じゃあ吉兆か。
 人は小さいころ生まれて初めての経験を覚えていることはすくないが、私は虹に関してはこのことを覚えている。うんと小さいころとしか言いようのないころ、祖母が「あれあれ、虹がでとるよ」と教えてくれた。庭越しに大きなアーチの鮮明な虹が見えた。初めて見る虹に不思議さいっぱいだった。祖母に、虹のアーチの端が地上に接しているところへ行きたいとねだった。アーチの地に接するところに小さな家が見え、虹はそこでうすぼんやり地についているようにみえた。
「はよう、はよう」とせかしたが、笑って「ばかだね、そこまでいっても、虹はもっとむこうに見えていて、追いつかんわ。」小さいから理屈はわからず。たぶん自分一人でいこうとした。そこから記憶はあいまいで、はじめてみる虹をどこまでおいかけたのやら、覚えていないが、そんな小さい子供のこと、町内も出ないうちに消えてしまったに違いない。
 そうだ。そうだ。虹は何分も続くものではない。はかなくきえるのだ。
 うんと小さい頃だった。はじめてみた感動だろうか?どこまでも追いかけていきたかったなあ。
 いま虹を見て、そんな情熱があるか?寒いホームで病気をかかえ、うつろに見ている自分がいる。それにしても子供のころみた虹はもっともっと巨大だったぞ。
 なにもかも・・・・・・・・線路に目を落としこんなことを考えていると、列車が入ってきた。西を見るといつのまにか虹は消えかかっている。ああ、かすかな夢も希望も、そして健康さえもあの虹といっしょに、なかぞらへ消えようとしている。

2010年11月15日月曜日

夜が長く、寒い今宵、ひとは

 最近、日の暮れるのが早く、当然夜も長くなる。今日なんかはおまけに夜が更けるにつれて気温もぐんぐん下がって来ています。
 ところでみなさん、昼の長さが一番短くなるのは12月22日の冬至って知っていると思いますが、日の暮れるのがもっともはやくなるのは冬至じゃないんですよ。実は11月末から12月の初めの頃なんです。
 このごろは太陽も昼日なかでも南に低くなっている。3時すぎると光はウンと弱くなり、訓練が終わって私が自転車をキーコキーコ踏みながら帰るころは、消え入りそうな夕日がうす橙色のあるかなきかの光を西向きのビルの壁に投げかけている。今日なんかは寒い風も吹いて心細く、わびしいことこの上ない。
 駅を降りるころはもう完全な夜。でも自然の妙ですね。太陽は冬至に向かってどんどん低くなり、光もだんだん弱くなってるのに反し、今日の月、見ましたか。満月に向かっての上弦の月は中空近く高く上り、月の光も冴えわたっています。その月の光を浴び、再び駅からキーコキーコ自転車で家に帰る。
 12月地平に下がる太陽と反対に月は12月もっとも高く上ります。月の光も12月がもっとも明るくなります。初冬の澄み切った空気のなかときとして、師走の満月はぞっとするような光を真夜中、地上に注ぎます。
 今宵、皆さんはどうしていらっしゃいますか。明るい室内でさまざまな娯楽に興じていらっしゃるのでしょうか。まだ、お仕事でしょうか。
 今日のような夜が長く、しんしん冷え込む宵。明かりを少し落とし、暖房器具の前に家族が集まり、「夜話」などされて時を過ごすのなどいかがでしょうか。テレビもインターネットも消し、静かな夜をお話で満たすのです。
 私のような古い世代は「夜話」などというとあるイメージが湧きますが若い人は何のことやらわからないでしょうね。
 昔、冬の夜長などに囲炉裏の縁にみんな集まり、無聊を慰めるため、一人一人が順番に話し手となってみんなにお話ししたのです。体験した話、聞いた話、つくり話、怖い話、こっけいな話、悲しく哀れな話、なんでもかまいません。囲炉裏の揺らめく炎に顔を照らされながらお話に打ち興じたのです。これが「夜話」です。
 そんな過ごし方非現実的といわれればそうでしょうが、初冬の月冴えわたる夜、囲炉裏の代わりに暖房器具を囲み、一晩くらいはこんな過ごし方をしてみるもいいかもしれませんよ。



 

2010年11月14日日曜日

今日の「坂本竜馬」をみて考える。

 非欧米諸国の中で近代国家を植民地にならずに自ら作った日本はすごい。ヨーロッパの近代諸国は、王・貴族から市民階級へと権力が移って行ったといわれている。英仏などはその過程で流血革命を経ている。日本の特異なのは近代化を進めたのが同じ支配階級だった武士であることである。
 結果的に支配階級である武士の特権を廃止するようになる革命といってもいいような維新を成し遂げたことは、おおいに評価していいだろう。「痛みをともなう改革」などと今の政府もいってるが、自分の特権や利益を捨てる改革は容易ではない。どこを見ても自らがそんなことをして国の体制を変えたものはいない。
 そんな稀有なことをやり遂げたのがこの時代のわかい武士たちである。
 ま、そんなわけで若いエネルギーがたぎる「坂本竜馬」をみてるんです。今日は大政奉還を説得するところだったんだけど、なかなか面白かった。ドラマだから多少は誇張があるだろうが、今日の大殿さま容堂公、かっこよかったね。若い志士からみたらほとんどおじいちゃん。保守的にならざるを得ないが、でも最後は自分で決断する。説得されたにしろ、最後は自分の決定だからね。大政奉還の建白書を慶喜に奉るのも、史実。
 今まで、酒ばかり飲んでて、酔眼で家臣をかなり斜に見ていた、ちょっと妖怪じみた印象だったが今日の決断見直しましたわ。
 ところで彼ら志士たちは外国の先進的な科学技術や制度に非常な危機意識を持っていて、自分たちもこれらを学び克服しなければと思っているんだけれど、道徳・倫理は決して外国に負けていると思ってない。すごくその点だけはプライドを持ってる。
 NHKにはそこのところを強調してほしかったけれども、残念ながらそうなっていない。竜馬もなんか無国籍でひたすら人類愛とでもいうような、ほんわかした希望のようなもの。世界市民の一員のようなこの世紀ではありえんようなことを言う。違う、違う。
 武士としての道徳・倫理がしっかりあったればこそ稀有の改革の信念、エネルギーが生まれたのである。
 維新の英傑となったような人は竜馬も含めてみんな漢籍で道徳・倫理を徹底して習った。武士の徳目は血肉となっているのである。その基礎の上に蘭学。英学があるのである。けっして逆ではない。和魂洋才はスローガンだけではない。
 よく武士の徳目は八つあるといわれている。仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌である。日本で一番重んじられたのは「忠」である。中国も韓国も最上と考えられていた徳は「孝」である。日本だけ違う。この二国では不孝はもっとも忌むべきものであって、国家の大事(たとえば戦争従事中でも)であっても親が死ねば一定期間喪に服さないことは許されない。職務に忠実のあまり親の死に目に会えないことは日本ではゆるされることもあるが、この二国ではぜったい許されない。
 この日本の武士の「忠」が、唯一非欧米諸国のなかで近代化が成功した原因の一つではないだろうか。
 「忠」という概念は鎌倉時代から「滅私奉公」という概念を含んでいる。竜馬たち志士は、最初は藩主に忠をささげる。しかし、「忠」は、藩をも「私」とし、もっと外部のおおきい範囲へと「公」を広げていく、とくに外国の脅威のもと、やがて公は日本国全体へと広がる。「孝」は家、一族からは広がらない。「忠」を最高徳目とした日本が近代化に成功するのである。
 志士たちの多くは途中で非業の最期をとげるが、維新は成し遂げられる。彼らは「滅私奉公」し、まだ見ぬ国家に「忠」だったのである。
 明治以降、昭和まで日本人のもっとも好きな芝居は武士の時代から続く「忠臣蔵」でありつづけた。
 

日曜の午後の散策、今日は池めぐり

 ちょっと離れているが午後から池のある山際の公園へ行く。昔はため池・農業の灌漑のみに使われていたが、平成に入り公園を整備した。今は憩いの地として主に使われている。水位も昔と比べたら3メートル近く下がっていて、水門もなくなり自然排水で水位が一定になるようになっている。
 前にもちょっと書いたが何より私のお気に入りなのは、人が少ないことである。公園と小高い丘が組み合わさった遊歩道を歩き、池を一周するだけで1キロ以上あるから、緑の癒しと、水の癒しが同時に得られるのでよい。
 すこし小山になった脇道に入り展望所を経由して池を一周すると2キロ以上あるから気分次第でそちらの方にもいく。
 人少ない遊歩道を歩いているとゆっくりとさまざまなことが考えられる。だいたいとりとめもないようなことで、またすぐ別の方に考えが飛ぶ。最初に何を考えていたのか忘れるくらいだから、目覚めると雲散霧消してしまう明け方の夢のようなものである。
 歩きながらこんなとりとめのない夢のようなことを次々考えるのはしかし気持ちいいし楽しい。
 今日は数について考え、「あやしゅう、ものぐるおしけれ」などとぶつぶついいながら兼好法師の真似をして歩いていた。
「1,2,3、のような数って人の頭から離れて存在するんだらろうか、」
「それとも人の頭の中のみに存在するんだろうか」
「そういえば、プラトンは理想的な幾何の図形は、イデアの世界にありといったぞ。うん、これはこのことと関連付けられんもんか?」
なんでか、ここでいま職業訓練でやってるパソコンに考えが飛ぶ。
「一昨日、画面にきれいなクラッシックの音楽と映像と貼り付けたとき、HTMLに切り替えたらなんかわけわからん記号や数字が表れたな。美に対するコンピュウターの認識ってあんなものなのか?」
「π・パイという数、我々は際限のないでたらめの繰り返しとしか思えんが、認識の主体が違えば、例えばコンピュータなんかは我々が1・イチという自然数を認識するように認識してるんじゃないのか?」
「いや、まだ、コンピュータに認識なんぞありはしない!」
などなど、まことにバカバカしいことを考えながら歩いているのです。でも、自由にふらふらあるけて、自由にバカな考えをめぐらすって楽しいよ。これだから、人少ない田舎の公園の遊歩道歩きはやめられん。
 晩秋、可憐で美しい花を咲かせる野菊。今年は見なかったのですが、途中2,3輪みたので写メールに撮りました。これから咲くのかな。

水上に浮かぶ東屋










水上遊歩道
野菊

2010年11月13日土曜日

黄砂、黄塵、黄土の大地から尊大な人も

 一昨日の予報で昨日は黄砂が飛ぶといっていたが、昨日より今日の方が黄砂の影響がより大きいようである。朝のうちに洗濯をして干したが空はどんよりしていて、乾くのに時間がかかりそうな予感がする。その時は黄砂とは考えていなかった。
 昼ごろ、徳島のハローワークへ行くため列車に乗った。車窓から南の山を眺めると霧や霞とは違う白っぽい紗のカーテンがかかったようになっている。その時になって、そういえば昨日黄砂が飛ぶといってたなと思い出した。でも、今日の方が、ひどいじゃないか。遠くをみると、やはり!ちょっと黄色っぽい。
 みんな黄砂っていうけど、これは黄塵というほうが正しい気がする。きわめて小さい粒子だから砂などという表現はあたっていない。
 用が済んで二時前の列車に乗った。徳島についた時から、気温はかなり上がっていて、十一月に入って秋冷が続いたが今日は春のような日、おまけに黄砂。これ、春の季語以外なにものでもない。秋の黄砂はおかしい。でも事実だから、今日なんか俳句を作ったらさぞ面白いのができるだろう。
 小春日和は寒い日々の中、あたたかく風もなく、お日様の日差しも気持ち良いぽかぽかした日をいうのだが、今日の昼過ぎの暖かさは春そのもののようだ。これも異常気象か?列車の中はむせるくらい暖かく、乗客もほとんど上着を脱いでいた。
 後で知ったが秋のこのような黄砂は数十年ぶりだそうだ。
 これってもしかして、大陸のあの国の元首が今、横浜に来てるからいっしょに連れてきたんじゃないのかな。黄塵万丈の国だからね。よりによって国際会議の開かれる今日、日本があの国から来た黄色いものに覆われてるって気色わるいよね。
 黄塵万丈。天子蒙塵。白髪三千丈。はあの国の文化、風土、これに対する我が国は、山紫水明。万世一系。正直誠実。菅さん負けたらあかん
APECとは、Aあてられて、Pぺこぺこするの、Eええかげんに、Cしーや。

2010年11月12日金曜日

運命の車輪はまわる


日本の水車


中世ドイツの歌詞

 


日本の中世末期に流行した「小歌」の歌詞を集めた歌集が「閑吟集」で、大昔に買った岩波文庫本の一冊にある。この間からひっぱりだして、また読んでいる。小歌とあるが歌詞のみで楽譜もない。中世の流行歌だから無理もない。
 若い時より今のほうが歌詞の意味がしみじみ理解出来る。全体をいろどっているのは、無常感と抗しがたい定めへの嘆き、あすはしかとはわからぬ身のせつなさ。である。しかし、それゆえに今を生きるよろこび、特に色恋のよろこびを歌い上げている。刹那の人生だからこそおおいに楽しもうという讃歌に、わたしには聞こえる。
 運命に流され漂う中世人は、この世を、浮いた世(浮き流される世)と憂き世をかけて「浮世」と表現している。
 浮世であるから運命を水のながれのようにとらえた中世人は、人生を「うたかた」(水の泡)ともとらえた。
 この中世末期、宇治、淀にはかなり有名な水車がありました。人の世を水の流れととらえる中世人はこのくるくるまわる水車にも変転し転生する人の運命を重ねた。

「ただ何事もかごとも、夢幻や水の泡、」


「思い廻せば小車の、わずかなりける浮世かな」


「宇治の川瀬の水車、何と浮世を廻るらう」
                                          「閑吟集」から
 何週間か前、中世ドイツの歌の歌詞を見ていて、(もちろん日本語訳ですよ) おなじ中世人の心情の共通性を感じました。要約すると

「全てのものは運命に支配されるもので、運命の女神の持つ車輪の前にはすべて服従しなければならない。」

抗いがたい運命、そして運命をまわす車輪。閑吟集の歌詞の心情に似てはいませんか。
 このドイツの中世歌謡、ラテン語で書かれています。ヨーロッパの古典語ですね。その古い歌詞に1936年、オルフが曲をつけました。
 閑吟集の小歌は歌として聴かれませんが、ドイツの中世歌謡はそういうわけで聴けます。曲を入れておきますので、運命の車輪の廻る音をお聴きください。

2010年11月11日木曜日

歴史好きは歴史の中で生きられるか

 小さい時から歴史好きで、空想好きだったため、よく自分の気に入った時代で生活して、歴史を体験したいと空想していました。
 そうすれば歴史が実体験できるし、歴史上の有名人にもあうことができていいだろうなと考えていました。義経や信長、秀吉が実際はどんな人かもわかるでしょう。
 でも、こんな空想の時って、自分は必ず支配階級に身を置いているんですね。総人口の1%もいない人々の仲間だと考えているのです。確率的に生まれ変わるとしたら庶民になる率がずっと高いのにね。まあ、そこが手前勝手の空想なんですけれどもね。 
 中世以前の庶民に私が生まれたら1か月だって生きられないでしょう。飢餓、疫病、戦争、夜盗、追剥、重い租税、過酷な刑、私刑(リンチ)・・・・・・ブルブル
 大きくなってくると空想好きは変わらないんですけれどもかなり現実味を帯びた歴史に自分をワープさせるようになりました。近世ですわ。江戸の時代大好きですから。それに大事なこと、忘れてたのに気づきました。ワープしても近世以前だとわたしにとって中世日本語は、外国語のようにわからない。言葉が通じないんじゃあそれこそ、「話になりまへんわ。」
 江戸前期の芭蕉や近松門左衛門にあいたい。できたらちょっと話してみたい。この時代だったら話も通じないことがない。二人の著述読んでも口語に近い。
 そして、じいさんになっても歴史空想、(いや、もう妄想だわ。)好きはかわらず、もう立派な奇癖。そして空想であるのに現実味をますます帯びてきました。
 あれやこれやかんがえて、文化・文政年間から天保までに自分を置くことにしました。
 もう私還暦だから、この時代の「ご隠居」さん。支配階級なんてずうずうしいこといいませんよ。庶民でけっこう。ただ隠居さんだから、年間、五石の米は食い扶持として「たのんます。」
 なんで、この時代、選んだのか?これ以後になるともう幕末維新、長生きすれば明治に入っちゃう。ちょっと新しすぎる。
 じゃあ芭蕉さんの江戸前期は?
 私ね、目が悪くて眼鏡かけてるんですよ。だから、眼鏡が手に入る時代じゃなくてはね。芭蕉はんの時代も眼鏡はあります。だけどねえ・・・・。
 一昨年の六月の深夜、わたし急に尿閉になりました。これ前立腺肥大の老人病。この時、膀胱ぱんぱん、おしっこ、しずくもでない。なった人でなくてはわからない七転八倒の苦しみ。
 緊急外来で、カテーテルで導尿して地獄の苦しみから逃れました。以後も何回か。
 もし、江戸時代、隠居部屋でこの症状になったら?カテーテルがなければ、あの苦しみが・・・・・・ヒッェー!
 あきらめました。今の医学が一番。空想タイムマシンも終わり。
 ところがね。去年六月、長崎へ旅行した時シーボルトの鳴滝塾(歴史的遺跡)を訪れました。医学の塾です。そこで展示物の真鍮製の細長い管を見ました。説明書きには、「導尿カテーテルで尿閉に使用。おどろくべき効果あり。」とあった。これだ! 
 これが使用されたのは、文化・文政以降、これ以降だと私が存在しても、だいじょうぶやわ。などと、かんがえましてね。
 文政か天保の時代のご隠居さんになることにしまして、きょうこの頃も江戸の歴史本なんぞ読みまして空想・妄想をたくましくしているのでございます。
 シーボルト先生、尿閉起こったら頼んます。

シーボルト先生




2010年11月10日水曜日

正義と法

                                                              
                                                                                                                           

 政治や事件など生々しい話題はブログでは取り上げまいと思っていましたが、どうしても書きたくなったので一般的な話として聞き捨ててください。
 法と正義の対立についての話です。
 今日、国家機密漏えい罪である人が取り調べられています。顛末はまだわかりません。これが法と正義の二項対立の図式になるやらどうやらもわかりません。でもこのことに触発されて私が考えていることはありますので、この事件とはなれてみなさんも考えていただければと思います。
 法と正義の対立はありうることです。でもその対立の図式がはっきりするためには法治が行われていることが大前提です。法が存在しそれに基づく統治です。古今東西、法により統治され秩序が保たれたといわれたりしますが、「法治」ということの意味での法でない場合が多いです。
 一番簡単にみわける方法は、為政者によって、その法が自分の都合の良いように勝手に変え、あるいは解釈されうるか、ということです。「法」が為政者自身も縛り、恣意的に変更がされ得ないのであれば、「法」が行われているということができるでしょう。
 現代国家は法治が原則でありますが、現代でも某超大国は「法治」の法が行われているとはとてもいえない状態であることはご存じのとおりです。
 その前提があって正義との対立が存在しえます。
 法は強制力をもち、罰則も伴います。万人が守らなければならないものです。人はそれぞれ信念を持っていますが、たいていは信念が法の前に折れる。しかし、ある人が正義の信念を持ち、多くの人がそれを正義として認めた場合。ある人がその正義の信念のためあえて法を犯せば、そこではじめて「法と正義」の対立となるのです。
 ただ、二項対立といっても「法」は定義がしっかりしていてあいまいさはみじんもないように書かれています。それに比べ「正義」は人々の価値観に基づくためあいまいさをどうしても伴いますが、人々に共有される正義はあります。
 正義のため法を犯した場合。たいていは正義の主張は為政者に無視され、法を犯したことで罰せられます。対立の痕跡もかき消されます。
 法と正義の対立が大きな話題となること自体、かなり成熟した民主主義社会です。
 ましてや、為政者が犯した人を正義と認めつつ、法治の原則から、やむを得ず罰を加える。など背反するようなことのできる為政者を持った国は世界史上まれです。ソクラテス、プラトンのいた古代民主政体のギリシャか、近代以降のフランス、イギリス、アメリカくらいなものでしょう。(英米仏は直後に特赦をあたえ罰則を停止するでしょうが)
 このなかでギリシャは燦然と光輝を放っています。「法と正義」の対立のばあい必ず取りあげられるほどです。
 ソクラテスの信念はゆるぎないものでしたが、合議制の裁判から死刑の判決を受けたとき「悪法も法なり」といって従容として受け入れました。弟子プラトンは、なぜソクラテスは死ななければならなかったのか、と深く考え、法と正義について哲学的な著述をしました。
 このようなまれなこと、実は300年前我が日本にもあったといえば驚かれるでしょうか。
 為政者は、五代将軍徳川綱吉。法を犯したものは、赤穂浪人、いわゆる四十七士。義のためにあえて幕法を犯した彼らを綱吉は内心助けるつもりだったといわれています。
 そして綱吉は荻生徂徠に諮問します。徂徠は「義のよってなしたことはわたくしごとである。法を犯したことはおおやけごと、おおやけによって幕法で裁かれなければならない。」と答えます。
 綱吉は、義であることを認めつつ法を厳格に適用します。為政者であっても情によって法は曲げないという、「法治」につながる信念が貫かれています。
 われわれはこのようなみごとな芸当といってもいいような法と正義をあつかえる先人をもった国です。
 はたしてこのような対立が起こったとき、正義と認めつつ、法は厳格に適応するということが今の政府にできるでしょうか。
 輿論におもねり正義と認め罪を消す。や、正義と認めず法のみ厳格に適応する。には私は反対です。
 みなさんの意見はどうですか。
 

2010年11月9日火曜日

新品の暖房器具を使い始めた。

 ファンヒーター
 去年まで使っていたファンヒーターは今年の3月頃壊れて、そのままになっていた。十一月に入って寒い日が続いているので買わなければと思いつつ、パソコン購入とインターネットの契約で使えるお金は極めて窮屈。
 日曜日、町内の電機量販店へ行って見ていると、限定5台とあって、9480円のファンヒーターが置いてある。「安い!」 聞けば保証もついてるということなので、買ってそのまま持って帰る。
 そして今日、昨日とうってかわって、寒い。夕方さっそく灯油をいれ初始動する。調子はいいようだ。さすがファンヒーター、すぐ暖かくなる。
 今日は旧暦十月の最初の亥の日。昔はこの日に炬燵をしつらえ、火をいれたのである。
「おお、ふさわしい日じゃ!」
時雨の炬燵
 今日は朝から風も強く、気温が下がり時雨もよいの日。そして炬燵びらきの日。時雨炬燵、この二つから何を連想しますか?冷たい雨で外に出られず、おこたに体の大部分を入れて寝そべっている。中では猫が丸くなっている。
 まあ、たいていの人はそんな連想でしょう。
 じゃあ時雨にふりこめられその炬燵に入っている人はいったい何を考えているのでしょう?ゆったりした気分か、ぼんやりしているか、そんな感じでしょうか。
 実はね。その炬燵には一人前の男が入って、女房と恋人のどちらを見切ろうか、こっち、いやあっち、とウジウジクドクドと考えているのです。いったんは恋人と別れると、女房の前で口にするのですが、また、思い返したりするのです。いまはやりの「ダメンズ」男。
 なんで、強引にそんなことわかるの。と聞かれるでしょうが「時雨、炬燵」といえばそうなのです。インターネットで検索してもそれ以外にはヒットしないでしょう。
 「心中天網島・時雨の炬燵」、近松門左衛門作、歌舞伎や文楽ファンならよく知っています。
 炬燵の中でこの主人公情けなくなるくらい女房と恋人との間を気持ちがふらふら行きつ戻りつします。
 これってでも300年前の戯曲ですよ。日本ってマッチョな武士ばかりじゃないんですね。現代人にも負けない優男っていたんですよ。顔はよくて女にもてても、からっきしダメな男。
 誠実でブ男の私から見れば「けしからん!」
 結局、切羽詰まって、恋人と心中。どう思います?
わたしも炬燵が恋しい
 いまファンヒーターは回っていますが、足元、さむ~い。去年はホットカーペットで座卓に炬燵布団をかけて炬燵を作っていたが、炬燵布団は長年の使用がたたってぼろぼろ、牛の喉の奥から引っ張り出したようなぼろきれになった。綿はところかまわず飛出し、最早、いくらなんでも今年は使えない。ああ、炬燵が恋しい・・・いや、もとい、炬燵布団が欲しい。