今朝、七時ごろ西麻植の駅のホームで列車を待っていると、ササーッと時雨。天蓋のあるホーム部分で濡れないよう列車を待っていて西の空を見ると早朝の虹が。
夕べから未明にかけて持病がでて苦しい思いをして、睡眠もあまり取れない朝。それでも緊急外来の戸をたたかなくてもなんとかおさまったため、今日も定時に通学列車。
あさから気の抜けたようになっているのに、空には虹。列車が来るまでぼんやり眺める。
美しいがたまさかの自然現象は吉兆だろうかそれとも別の啓示か。旧約聖書では、神が、大洪水で人草をノア一族を除いて根絶やしにしたあと、再びこのようなことを起こさないとのノアとの契約のしるしが虹である。といってなかったかな。じゃあ吉兆か。
人は小さいころ生まれて初めての経験を覚えていることはすくないが、私は虹に関してはこのことを覚えている。うんと小さいころとしか言いようのないころ、祖母が「あれあれ、虹がでとるよ」と教えてくれた。庭越しに大きなアーチの鮮明な虹が見えた。初めて見る虹に不思議さいっぱいだった。祖母に、虹のアーチの端が地上に接しているところへ行きたいとねだった。アーチの地に接するところに小さな家が見え、虹はそこでうすぼんやり地についているようにみえた。
「はよう、はよう」とせかしたが、笑って「ばかだね、そこまでいっても、虹はもっとむこうに見えていて、追いつかんわ。」小さいから理屈はわからず。たぶん自分一人でいこうとした。そこから記憶はあいまいで、はじめてみる虹をどこまでおいかけたのやら、覚えていないが、そんな小さい子供のこと、町内も出ないうちに消えてしまったに違いない。
そうだ。そうだ。虹は何分も続くものではない。はかなくきえるのだ。
うんと小さい頃だった。はじめてみた感動だろうか?どこまでも追いかけていきたかったなあ。
いま虹を見て、そんな情熱があるか?寒いホームで病気をかかえ、うつろに見ている自分がいる。それにしても子供のころみた虹はもっともっと巨大だったぞ。
なにもかも・・・・・・・・線路に目を落としこんなことを考えていると、列車が入ってきた。西を見るといつのまにか虹は消えかかっている。ああ、かすかな夢も希望も、そして健康さえもあの虹といっしょに、なかぞらへ消えようとしている。
2 件のコメント:
朝の虹って見る機会ないですね。
ナイスタイミングです。
しかも、写真もバッチリです。
見事に虹が綺麗ですね。早朝で出るというのも珍しいかも。
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