2011年11月12日土曜日
パロディー東海道中膝栗毛 その5
絶景だった風景
箱根
東海道一の難所である。
また、「入り鉄砲に出女」といわれるように江戸への出入りをチェックするため幕府は、ここに関所を設けた。
弥次喜多も町名主を通じて得られた「道中手形」を持っていて、関所改めを受ける。
この図を見てもわかるように箱根は山岳地帯であり湖もある。景色はよく夏は涼しい。すぐ近くに湯量泉質もよい温泉もある。江戸からも近いので江戸からの保養・湯治客も多い。
左富士と街道松並木
江戸から京に向かっていると、富士のお山は右手に見るのがふつうであるが、ここ吉原の地では道が曲がっている関係で富士が左に見えるところがある。
また、街道の立派な松並木がずっと続いている。
弥次喜多の向かう方向が逆なのはお許しあれ、ま、少しの距離なら何らかの理由で逆戻りもありますね。
薩埵嶺(さったとうげ)
ちょっと怖い場所だけど眺めは見ての通りいいですね。
今、海岸はほとんど土木工事で護岸のコンクリで固められ、テトラポットで埋められています。
手つかずのこの時代の自然が羨ましいですね。
和宮が江戸へ嫁入るとき、東海道でなく中山道を通りますが、その理由の一つがこの「薩埵嶺」(さった)・去る、を通るから、語呂が似てて悪い、でした。こじつけですね。
大井川
幕府の方針で大河には橋は架けられていません。大雨で水量が多くなると通行止めになります。
このため何日も川止めという事態もあり得ます。
「箱根八里は馬でも越すが、越すに越されぬ大井川」と歌われました。
弥次喜多の旅は寒い時期なので川止めはなかったでしょう。
でも渡し賃が結構いるんですよね。
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