今日のこの動画のメインは画像でなく歌です。
高校三年のお別れクラス会のとき、私の友がおどけてこの歌を歌いました。その時までにはもうみんなの進路は決定していましたが、中には浪人する者もいました。
私は県外の理系の大学に進みたかったが、家の経済事情のため県内の夜間の短大へ行くことが決まっていました。
都会の四年制大学へ行くものがうらやましく、高校三年卒業の門出を迎えているのに心の色はブルーでした。今から思えば甘っちょろい感傷ですね。
この歌を聴くとそのとき歌った友人の姿とともに、進路が思うに任せずつらかったことなどがしみじみと思い出されてきます。
42年もたったのについこの間のことのような気がします。
あっという間の時の流れ、しかし、わが身は紅顔白皙の少年から白髭の爺さんに、
浦島太郎の玉手箱じゃあるまいに、無残なりわが42年
今日、見学した博物館の写真に「その時の歌」をのせました。お聴きください。
4 件のコメント:
夜間の短大ですか、苦労なさったんですね。私も高専を7年かけて卒業しました。何回もめげそうになりましたが、無事卒業でき今日に至りました。(^.^)
いえ、夜間はいろいろな学生がいて楽しかったです。
もともとまじめに勉強しないくせに学校は好きなんですね。
その後、42年のうち四分の一はどこかの学校行ってましたわ。
仕事嫌い、実社会嫌いなんですね。今から思うと。(^_^;)
徳島県の100歳以上の人が、400人いるそうです。
やまさんこれからですよ。
ありがとうございます。
でもそんなに生きたいとは思いません。頭もしっかりして動けるうちに気がついたら死んでた。のようなのが理想ですね。
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