何もかも濡れそぼった公園には誰もいない。桜の木はすべて葉が落ちすでに冬木立。
花さえ見当たらない。
見渡せば花も紅葉もなかりけり、浦の苫屋の秋の夕暮
定家の歌である。
物寂しく、貧しそうな風景を見ての歌である。そこには歌の題材となるようなものは何一つない。しかしそれだからこそ詩情をかきたてられるのであろうか。
幽玄枯淡の世界。
理解しようとしばらく公園内をさまよったが惨めさが増すばかり、これを詩情に転換できるのが詩人だろうか。
写真を2枚撮って家に引き返した。
苫屋ではないが東屋を通して桜の冬木立をみる |
雨の日、平泉で見た毛越寺庭園を思い出した |
2 件のコメント:
近くに大きな公園があっていいですね。自分の家の庭と考えるとリッチな気分になれますね。ところで、ここの桜は咲いてないようですね。葉が落ちている奴は咲いてもいいような気がするのですが、つつましい種類なんでしょうかね。
花の写真は綺麗ですね。個人的な希望を言えば、上の写真はもうちょっとピントが合っててほしかったような気もします。(^_^.)
狂い咲きは八重桜の木が多いようですね。
接写ですのでシャッターを性急に切りすぎました。浅く押してそれから2段階に押せてなかったからだと思います。
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