2011年11月14日月曜日

パロディー東海道中膝栗毛 その7・シリーズ最終回



 鈴鹿山・坂の下

 古代は鈴鹿山に関があった。東海道は幾つかの峠があり難所とされるが、箱根ほどではないにしてもこの絵から見ると旅人もかなり難渋したものと思われる。
 図は筆捨山とその渓谷を眺めるのによい場所に作られていた筆捨山茶屋。旅人は茶を飲んだり景色を眺めたりして一服した。
 筆捨山からは幾条かの滝が流れ落ちている。
 
 水口

 東海道の宿場にはいろいろな名物がある。ここ水口は干ぴょうが名物である。
 干ぴょうは夕顔の実を細く長く剝いて図のように天日で乾かしたものである。


 大津

 日本では馬車は発達しなかったが、江戸時代西国ではこのように牛にひかせた荷車の利用は盛んであった。当時の日本の馬は貧弱で馬力が出なかったという。
 図を見るとかなりたくさんの荷(米俵)を運んでいる。牛は歩みは鈍いが馬力ならぬ牛力は強い。大荷物なので牛も大汗をかいて暑いのだろうか、牛の背中を日よけが覆っている。
 左の方には水が湧き出ている「走井」があり、暑い時期は冷たい水でのどをうるおす旅人も大勢いた。

 京

 この時代の東海道の終点は京都である。
 三条大橋から東山の方を眺めている。
 山の中腹には清水寺が見えている。
 三条大橋の上に立つ弥次喜多も「とうとう着いたぞ」と感慨に耽っているのであろうが、芝居が見たいとかいっているようである。

  
 京で芝居見物をする

  芝居小屋の内部をのぞいてみよう。芝居小屋は大きな建物であっても小屋という。二段の桟敷そして大屋根を架けた格子天井を有する本格的な芝居小屋である。

 ほぼ満員の観客が見ているのは今日でも歌舞伎でおなじみの「八百屋お七」の狂言である。

2 件のコメント:

Unknown さんのコメント...

シリーズ最終回、おめでとうございます。
江戸時代の生活様式は、今後TPPで、農業が最悪の事態になった時に役に立つような気がします。鎖国か自由貿易かですが、当然今は後者しか道はないと思いますが、首根っこつかまれ状態ですね。ここはいっそ鎖国して江戸時代に戻ったほうがいいような気もします。当然、核爆弾を持った江戸幕府ですけどね。ヽ(^。^)ノ

yamasan さんのコメント...

歴史物にあまり興味のないしんさまに最後までコメントを入れてくださって感謝しております。

 昔、お江戸でござる、という番組で江戸のエコな生活が知られるようになりました。
 農業・食糧政策ではしんさまの意見に大賛成です。(江戸封建制賛成)

 幕府が核を持つという話ですが、いいんじゃないでしょうか。

 我が国の近くにも「人民」には原始時代の生活をさせて核を持ってる国がありますから。