戸塚にて日暮れ、旅籠に泊まろうとする
弥次喜多はかなり懐具合もよいのであろうか、この旅籠はかなり高級な部類に入る。路銀が乏しい旅行者は木賃宿に泊まる。もちろん食事つきではなく、自炊が原則、汚い大部屋で混んでるときは目いっぱい詰め込まれる。ただし料金は非常に安い。マキ代の木代という意味で「木賃宿」と名づけられた。
この旅籠は食事・風呂付である。馬から戸口に乗りつけたお客を女中が丁寧に迎えている。
旅籠代が気になるところだが、いくらくらいであろうか?まあ推定だが銭500文、銀だと5匁、貨幣だと1~2朱というとこだろうか。いやいや、女中の雰囲気からしてもっとするかもしれない。
富士を間近に見て感動する弥次喜多
江戸からでも富士はみえる。江戸時代は大気汚染の心配はないため晴れていれば街中から遠望も楽しめる。しかし、間近に見る富士は格別である。やはり日本一の霊峰である。
弥次喜多、日暮れて思わぬ大雪にあう
話は現在に飛ぶが、昨日は日中から寒かった。暖房を用意したくらいだが、夜に入っても寒く鼻とのどをやられてしまった。
東海道が通っている太平洋側は冬は乾燥した晴天が多いが、時たま低気圧が発生して思わぬ大雪になることがある。この江戸時代は今よりこういった大雪は多かった。
大雪にあった弥次喜多、日暮れて宿を探そうにも早々と家々は戸を閉めてしまっている。
ほとほと困惑する二人。明日にはここに大きな雪だるまができているのだろうか?
2 件のコメント:
昔、6年も住んでた戸塚ですが、当時の面影の欠片もないですね。たった150年しかたってないのに、世の中は大きく変わったんだなと痛感しますです。(^_^)
しんさま戸塚に住んでいたんですね、いくぶん「浜っ子」ですね。語尾にしんさま、「~ジャン」ってつけることがありますがあれってハマのほうげんでしょ?
膝栗毛はダジャレの連続です。戸塚の手前の宿場は保土ヶ谷なんですけどさっそく
「留め女、お泊りは、良い保土ヶ谷(よいほどが宿)と、戸塚(とっつか)まえて離さざりけり・・」
などと詠んでいます。
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