皆さん今日、11月18日のグーグル(google)ロゴには何やらレトロな家族写真のイラストが使われてますよね。クリックすると今日は「ルイ ダゲール」という人の生まれた日で生誕224年目ということがわかります。
ところでルイ ダゲールという人は一体何をした人かご存知でしょうか。彼は1839年に彼の名前をとったダゲレオタイプという写真技術を発明したのです。
今日発達しているデジタル写真はおくとして、伝統的な写真技術はレンズを中心に組み立てられた「光学機器」と「感光板」(フィルム)、そして焼き付けられた「印画紙」からなるものでした。
このうち「光学機器」(カメラと呼んでもいいだろうが、レンズと暗室ボックス、投影画面からなるもの)は、もう16世紀ごろには発明されていました。
じゃあそれが写真技術の発明じゃないのか、と思われましょうが当時のカメラは、ガラスの投影画面に裏から薄い半透明の紙を当て、鮮明に映った逆像(レンズを通すから)を画家がなぞり、正確に写すものだったのです。
カメラに映る像を画家がなぞってそのまま写し取るのですから写真に近い画像になりますが人の手で描きあげるのですから写真とは言えませんね。
人の手を借りずに写すのは「感光剤」が発明されねばなりません。光に反応して変色するものは候補になります。
これはカメラの発明より数百年遅れます。いろいろな薬品剤が試されたことでしょう。「アスファルト」で戸外の家を焼き付けた写真らしきものも登場しますが、不鮮明でとても写真術とは言えませんでした。
感光剤として人々が「銀」そして「銀化合物」に注目してそれを選んだ時、写真技術は実用化に向けて一歩を踏み出しました。
そしてその実用技術第一号がダゲレオタイプだったのです。これは感光剤も印画板も一体のものでそれは「銀の板」でした。それゆえダゲレオタイプは別名「銀板写真」と呼ばれました。
これがごく初期の第一世代の写真技術です。しかし、銀板に映った映像は、露出に時間がかかるとはいえ、当時の人をして生き写しと驚嘆せしめた今日でいう白黒写真でした。
なお、幕末、長崎で竜馬や志士たちが撮る写真は第二世代の写真技術で湿板ガラスと印画紙が分離した方式で第一世代より進んだものでした。この時代より10年ほど前、ペリーが携えてきた写真技術がより初期のこのダゲレオタイプでした。
さて、ペリーが持ち込んダゲレオタイプ写真で当時の武士も写してもらい、そのぞっとするような生き写しに驚天動地の事態となります。やがて魂が吸い取られるとの迷信も産むのですが、実はもっと困った問題がこの写真にはあったのです。
さあ!それが今日のクェスチョンです。
当時のダゲレオタイプの武士の写真が見つかりませんので、鴨島で今行われている菊人形の武士の写真を私が撮り、ダゲレオタイプに似た写真に編集しました。
こんなイメージがダゲレオタイプ(銀板写真)写真です。
これのどこが困った問題なのでしょうか?
※ ヒントは前のブログのテスト投稿の動画にあります。
4 件のコメント:
中々精悍な顔つきの方ですね。今日はバイトの面接に行ってきます。
モノトーンだということでしょうか?
>>てるさんへ
天気は悪いけど頑張ってくださいね。
>>しんさま
銀板写真は画像を直接写します。第二世代以降の写真はまずガラス板にネガを撮り、印画紙にポジを焼き付けるので左右が逆になりません。
銀板は直接ですから左右逆になります。
だから刀の差し方も着物の合わせ目も逆に映ります。これは大変不吉なことです。(今でも死に装束は逆です)
それを嫌いました。
だからわざわざ写す前に右左逆にして写す人もいました。
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